ハリウッド監督・紀里谷和明2万字インタビュー×東大作家・鏡征爾:禁断の解禁 ここにあなたの悩みをひもとく全てがある<後編>(2/2 ページ)
作品づくり、ロジカルとイロジカル、そして死について。
X ロジカルとイロジカルの狭間で
須田:そのー、もうまさにその通りで、僕も個人的には自分わりと衝動的な方だと思っているので、そのー、すごく仰る通りだなと思ったんですけど、そこで、いま映画つくるときに、ロジカルな部分も当然あるっておっしゃいましたよね。そのバランスってどういう風にとってるのかなってことがちょっと気になります。
紀里谷:そこに方程式はないと思う。そこはもうなんか自分の感覚で。これ。まあ単純な話だよ。「ラスト・ナイツ」という映画をつくりたいと。極めて情緒的なものだよ、これは。
「つくりたい!」「じゃあどうすんの?」そこから始まるわけだ。あとはもう、お金が必要だとか人手が足りないとか問題は大量にある。
でも、その「つくりたい」って衝動を忘れないってことだよね。
それを人間は忘れちゃうんだ。どんどんどんどん変形していってしまうんだよ。そうして最初に思い描いていたものとまったく違うものになってしまう。
「じゃあそもそもなんでこんなことやり始めたの?」となる。
良い例が車のモーターショー。プロトタイプが出てくるだろう? 超絶かっこいいプロトタイプが出てくる。それをじゃあつくりましょうとなったときに、「いや、ここのとこをもうちょっとコスト削減してこれにしてもらえませんか」「いやエンジニアがこれは無理だからここはこうしてくれといっています」といった風に、どんどんどんどん変えていくとまったく似つきもしないものが出来上がっちゃって、「じゃあこれはそもそも何だったんですか?」となる。それは、それだけは、俺は絶対に嫌なんだ。
それを必死になってやったのがスティーブ・ジョブズ。とにかく戦って戦って戦って、オリジナルのまま出そうとしたわけじゃないか。
XI 東大生を代表する質問
K(東大文学部4年):僕が一つ気になったのは、なんでこんなに、僕らみたいな若い世代の子たち含めて、まわりの人たちが、まあ何かロジカルに生きないと、そのエベレストに登るんならヘリコプター使わなくちゃいけないよね。って思っちゃってるのか。それは何でだとお考えですか?
紀里谷:時代が楽な方にシフトしたからだ。俺は日本の高度成長期というものが好きなんだよ。本田宗一郎という人がいて。無駄に速いバイクをつくったとかさ。何でもいいじゃない。ソニーとかさ。トランジスタ・ラジオつくるんですとか。ウォークマンつくるんだとかさ。これと同じことだよ。とにかく「欲しい!」「それやりたい!」「つくりたい!」というさ。
そこからみんなが一生懸命やって、戦って戦って戦って、そうやって不可能を可能にしていく瞬間、物事を成し遂げていく行程がある。
成し遂げるまで全員帰れない。寝れない。
きみ(須田に向かって)「下町ロケット」って見た?
須田:はい。
紀里谷:あれと同じだよ。夢があって、それをやるんだという、ある種幼稚な話だよ。しかしながらそれが成功してしまったら、巨大な富がそこに存在している。そうしてそれを守る方にまわっちゃったんだよ。新しい富をつくりだす方ではなく、守る方に。防御する方に。出来上がったものをディフェンスする側にまわっちゃったんだ。そうするとマインドが変わる。リスクを負わない方がいいでしょうと。富を守る方がいいでしょうと。守る側が守る側を育てるというマインドになってしまう。
そしてそうした守る側を量産するために、受験戦争がつくりだされる。守る側の人間、ディフェンスの奴を量産する。
そういう風潮の中で、俺はこれをやると言ったところで、「もう一回世界一のバイクつくるんだ」と言ったところで、「何言っちゃってんの?」と笑われてしまう。そういった感性が大多数になる。俺はそこの部分に関しても冷静に見ているよ。だけどさ、逆に言えば、ただ単にそれだけの話なんだよ。
鏡:それだけだけど、それだけじゃない。
紀里谷:そう。そこできみが、きみたち(東大生3人)が、なぜここに来ているのかということにつながってくる。
本当にこれでいいんだろうか。
そんな思いが、心のどこかに情緒的にあるわけだろう? その燻ったものを抱えたまま生きていて本当に幸せなんだろうかという思いがあるわけだろう? もっといえば死ぬ前に心に揺らめく何かがあるのかと言うことだろう?
全てはロジカルに連なっているんだ。俺は何もかっ飛んだことは言っていないんだ。むしろきみたちがかっ飛んでいるんだよ。なんでそうなってしまったのかというさ。ココイチのカレーがそこにあるのになんでそこに行かないの? そこにあるのになんで手をのばさないの? そこにあるのになんで取りに行かないの?
俺からするとそう見えてしまうんだ。
XII 死について
K(東大文学部4年):死にたいとき、どう立ち向かっていますか?
紀里谷:死にたいのね。俺にもよくある。では例えば自殺するところを想像してほしい。自殺して、その次の世界があるのかを想像してほしいんだけど、自殺する自分がいるとする。で、もう一つは自然に、病気とか事故とかで死ぬ自分がいるとする。どちらが「終了する感覚」があると思う?
俺の個人的な感覚では、後者の方が「終了する感覚」「終わる感覚」があるんだ。前者は終わらない。例えばここ(六本木ヒルズの超高層階)から飛び降りるとするだろう。本当にそれで終わるのか? と逆に恐怖を感じる。自分の苦しみが本当にそこで終わるのか。それでいいのかということで、そうなった時にチョイスが2つしかない場合に後者を取るしかない。
自然に「これは自分の意志ではなかった」という死に方じゃない限りその苦しみは終わらないと思うんだ。「できるだけやった」ということ。例えば今回の話もそうなんだけど、「ラスト・ナイツ」の宣伝で、インタビューを350媒体やった。チラシ配りも俺個人で4万枚やった。人からすると「すごいですね」となるんだけど結果としては惨敗。しかしながら俺は一抹の悔しさもないわけ。映画製作も含めてこの6年間やれることを徹底的に全部やったから。
でもその間に「何か俺、手抜いてたな。やれることやってなかったな」ということになった場合、苦しみが残る。死後の世界。輪廻(りんね)とかそういうことではない。ここから飛び降りて落ちる瞬間にきみの全ては無くなっているのか。実は無くなっていないのではないか?
きみの気持ちはよくわかるよ。俺の祖父は自殺しているし、俺自身が抱えているテーマでもある。だがどうしても自殺できないと考えたとき、「なぜなのか」と考えた。そうしたら想像で自殺した未来に行った時に苦しみが終わらなかったんだよね。
K:生きて悔いのないように、ということですか。
紀里谷:それもそうだし、自然に終了させなければならない。だから、つらいんだよ。この世界で生きていくことは。存在の苦しさがそこにある。それはもう、向き合うしかない。他の選択肢はそれを解決しないのだから。だから、死にたいのか苦しみを終わらせたいのか、どっちなの? って話。
K:苦しみを終わらせたいです。
紀里谷:でしょ。そこなんだよ。そこがこの次元というか、この次元の極めて残酷なところなんだよ。向き合うしかないよね。それは。極めて実存的なことなんだよ、俺の言っていることは。みんな死にたいんだよ。それから逃げるから笑っちゃったりするわけで、向き合えばいいんだよその衝動に。
それをロジカルに考えていこうというメッセージなんだ。俺が言いたいことは。この次元は二元的にしか進まないわけじゃないか。光と影。男と女。全てが分割されるような、二元的なものしか存在し得ないという、極めて悪趣味な次元なんだよ。俺は大嫌いだよ。だけどそこを肯定していかない限り、その苦しみは終わらない。苦しみがあったとしても、それに対して理不尽さを感じなくなっていく。きみの苦しみには理不尽さがあるわけじゃないか。それを終わらせなければいけない。根源的に悩んでいるんだよ、みんな。釈迦(しゃか)やキリストの時代から。それをどうするかというのをロジカルに考えないと到達しない。それを情緒的に解明しようとするからおかしなことになるんだよ。
鏡:どうしてそういうことを考えるようになったんですか。
紀里谷:圧倒的な苦しみがあったからだよ。圧倒的な苦しみがあって、どのようにしてその苦しみから逃れられるかってことだよ。それはもう、向き合うしかないよね。頭抱えて、「これどうするの」「これどうやって向き合っていくの」、ってとこでしかないんだよね。そこの真剣さだよ。
鏡:一番悩んだのはいつですか。
紀里谷:それはもうずっと悩んでる。でも考えて考えて考えていって、そうしたらだいぶ軽減されていくよ。やるせなさがなくなるから。やるせない頭痛なわけでしょ、それは。そこに理由が見つかれば、軽減されて、向き合っていけるよ。ゼロになることはないだろうけどさ。そこの真剣さなんだよ。だから俺は苦しむということに徹底的に向き合ってきた。そりゃ、何度も逃げようとしたよ。でも逃げようとしたら追い付いてくるんだから。
>対談小説へ続く
作者プロフィール
鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。
『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。
『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。
― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―
最新作―― https://kakuyomu.jp/users/kagamisa/works
Twitter:@kagamisa_yousei
関連記事
ハリウッド監督・紀里谷和明2万字インタビュー×東大作家・鏡征爾:禁断の解禁 ここにあなたの悩みをひもとく全てがある<前編>
インタビューは、映画「ラスト・ナイツ」の日本公開直後、2015年に行われた。「描きたかったのは“見る”ことがどういうことか」 映画「東京喰種 トーキョーグール」萩原健太郎監督に聞いた
「“目”から始まって“目”で終わるように作った」という作品への思いを聞きました。「映画とは人生そのもの」 映画フリーク永井豪、漫画との関係性や“文化”としての創作を語りまくる
「映画は最も漫画に近いというか、“映像で伝える”というところが近いと思うんです」。巨匠・モンキー・パンチ、“漫画の神様”手塚治虫を語る 「手塚先生がいなければ漫画家になってなかった」
「手塚治虫文化祭 ~キチムシ‘16~」の開催を記念し、手塚るみ子さんとの対談が実現した。魂が入ったアニメーション――押井守が語った実写「攻殻機動隊」の不思議な感覚と素子に残る“引っ掛かり”
実際のところ、押井守は何か新しいテーマや表現を持って再び「攻殻機動隊」を手掛けたいと思っているのだろうか?「完全なファン目線で、どこまで凝れるか」 別次元のクオリティで『HiGH&LOW』世界を再現した「ハイローランド」誕生の秘密
コンテンツへの深い理解と愛情。「ほぼ無名」の低予算ホラーが起こした奇跡 ネット騒然「コワすぎ!」人気の理由は
niconicoを中心に一部でカルト的人気を誇る「コワすぎ!」シリーズ。夏の一挙放送を前に、白石晃士監督に撮影の裏側や制作の狙いを聞いた。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.