谷口ジローの遺作、2作品刊行 闘病中も新たな技法に挑んだ“漫画への熱い思い”とは
「たったひとりでもいい 何度も、何度でも本がボロボロになるまで 読まれるマンガを描きたい。」
2017年2月に死去した漫画家・谷口ジローさんの未発表絶筆が、2冊の単行本として12月8日に小学館から刊行される。
1点は薄墨と鉛筆とホワイト(修正液)だけで執筆した『いざなうもの』、もう1点は原稿用紙を“横長”に2枚並べる見開きで描いたオールカラー作品『光年の森』。いずれも2015年から闘病生活中に描かれたにもかかわらず、革新的な技法に挑んだ意欲作だ。
谷口さんはなぜ、病に伏しながらも画期的な漫画表現に挑んだのか。12月7日に小学館本社で発表記者会見が開かれ、谷口さんの漫画に対する熱い姿勢が、編集担当者の口から語られた。
薄墨の濃淡が織りなす『いざなうもの』
『いざなうもの』は、小説家・内田百けんさんの短編集『冥途』最初の1編「花火」が原作(※“けん”の正式表記は、門がまえに月)。従来の執筆方法と異なり、薄墨・鉛筆・ホワイトの3つのみを用いて描かれている。
まずは谷口さんが鉛筆で下描きし、それをアシスタントが原稿用紙にトレースして返し、仕上げのペン入れや薄墨は谷口さんが自宅でほぼ一人で行った。2017年1月上旬までの2年間で断続的に執筆し、全30ページのうち10ページは下描きのまま、この世を去ることとなった。
単行本には20ページの完成原稿と、最後の10ページを下描きのまま遺族の了解を得た上で掲載。他にも近年の短編『魔法の山』(2006年)や『彼方より』(2014年)、エッセイ、2015年以降の闘病生活中に手帳に描いたイラストなどを収録している。
後期の谷口作品の特徴にスクリーントーンの多用があるが、最期にトーンを一切使わず薄墨を選んだのはなぜだったのか。谷口作品の著作権管理を務める財団法人・パピエの代表・米澤伸弥さんは、次のように説明した。
「谷口先生は90年代の終わり頃、漫画誌ではないオフセット印刷の雑誌に1作品、『いざなうもの』と同じようにトーン無しの薄墨とペンだけで描いた短編を寄せたことがあります。その時は、以前から墨のグラデーションを使った表現に興味があり、その媒体で試してみたと話していました。本作で挑んだのも、アシスタント無しで独りで挑戦できる表現であり、新しい技法として興味があったんだと思います」(米澤さん)
こうした経緯に加え、印刷技術の進歩によって薄い墨の色が紙面で再現できるようになったことが大きかったと、『光年の森』の編集担当・小田基行さんは述べた。
『いざなうもの』編集担当の今本統人さんは、作品の魅力を次のように話す。
「完結した形で発表できなかったことは私たちとしても残念ですが、非常に美しい作品となっており、漫画のみならず絵というものに興味のある方ならばみなさんに強い衝撃を与えるものになっていると考えています」(今本さん)
“風景の感情”をカラーのパノラマで 『光年の森』
『光年の森』は、森の声が聞こえる不思議な力を持つ一族の少年が、感受性が豊かすぎるがゆえに時に自分の心を傷つけながら成長していく物語。当初は第5章まで執筆予定だったが、1章を完成させ、2章の下描きを終わらせたところで徐々に病状が重くなり、クライマックスを描くこと無く旅立つこととなった。
特徴は、横長のオールカラーという新しいスタイルに挑戦している点。通常、漫画の“見開き”表現はB4サイズの原稿用紙を“縦長”に2枚並べて描く。谷口さんは“横長”に2枚並べて取り組んだ。このような作風は2016年にルイ・ヴィトンからの依頼で描いた書籍『トラベルブック ヴェネツィア』で作り出したという。
本作では、代表作『神々の山嶺』のように谷口さんが緻密に描写してきた自然の風景が、横いっぱいのパノラマとなって広がっている。編集担当の小田さんは次のように話す。
「“風景が持つ感情がある。僕は風景を単なる背景ではなく 登場人物の一人のように感情を語らせたいんだ”。谷口先生は常々こう話しておられました。自然が人間に語りかけて、人間がそれに応えていく。風景が持つ感情、自然との調和。谷口先生が生涯をかけて描き続けてきたテーマが凝縮された作品になっていると思います」(小田さん)
闘病中の手帳に記されていた 谷口の“たったひとつの小さな望み”
闘病中の谷口さんについて、今本さんは次のように振り返った。
「谷口先生は新作の構想を短編から長いものまでいろいろと話されていました。さらに死後見つかった手帖には口頭で聞かされていないものまでたくさんのアイデアが書かれていました。本当にこれから多くの作品を描いてみたい、表現を試してみたい、という思いでいらっしゃったんだなと感じています」(今本さん)
また「谷口先生の熱い思いが込められている」と、『いざなうもの』単行本の巻末に印刷されている肉筆文を紹介した。死後、最近になって闘病中の手帳から見つかり、2016年10月から11月くらいに書かれた文だという。次のような内容だ。
たったひとりでもいい
何度も、何度でも本がボロボロになるまで
読まれるマンガを描きたい。
あきることなく何度も開いて絵を
見てくれる漫画を描きたい。
それが私のたったひとつの小さな望み。
そんなマンガが私に描けたかどうか疑問は
あるが、今、頭の中で妄想している物語
その世界と絵はなんとなく見えているのだが
これをひとつの形にするのは難しく骨の折れる
作業となる。それでも苦痛を乗り越えた
楽しさがあるのもまちがいのないことだ。
「まだご自身でやったことのない、到達していない境地がきっとある。そこに向けてもっともっと努力をして実現していきたいという、谷口先生の漫画に対する熱い思いが込められた言葉だと思います」と、今本さんは思いの丈を述べた。
2011年にフランス政府芸術文化勲章・シュヴァリエが授与されるなど、谷口作品はヨーロッパでも高い評価を得ていた。『光年の森』はすでに2017年9月からフランス、ドイツ、イタリア、スペインなどで発売中で、『いざなうもの』もいずれ近いうちに各国版が刊行される見込みだという。
頭の中にあるイメージを原稿用紙に落とし込むことの苦痛を知りながら、その向こう側の“楽しさ”を見据え、最期まで原稿用紙に向き合い続けた谷口さん。遺作からその並々ならぬ情熱に触れたい。
(黒木貴啓)
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