コラム

魔法の鍋「ストウブ」と、ていねいに暮らしたい

私にとっての、魔法の鍋。

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 その形、その手触り、その重さ。一度は手にしてみたい、そんな鍋がある。たかが鍋、けれどもなかなかどうして、鍋。新しい暮らしを始めるとき、自炊をしようと思うならば必ずまずは手に入れるのが鍋だろう。インスタントラーメンもおみそ汁も、カレーも煮物も鍋。はじめはとりあえずってことでホームセンターで手頃なものを買ったけれど、そろそろ「イイ鍋」も欲しくなってきた。どうやらカレーも煮物もなんでもその鍋で作ればグッとおいしくなるという、「魔法の鍋」があるという。

 昼寝から覚めるとたいていその後30分はぼうぜんとしている。身体がだるく、すぐには動かない。ぼーっとする頭でさっきまで見ていた夢を振り返る。この十年間途切れ途切れに見続ける、またあの夢だった。私は大学受験を控えている。しかも勉強をほとんどしないまま、受験日が迫っている。嫌だなあまた受験しなきゃいけないのか。そう思ってうつむきながら暗い歩道を歩いていた。惰眠であるがゆえ、昼寝をするとかならず夢を見る。昼食をとって、するとすぐに眠くなって寝てしまうが、また惰眠をむさぼってしまったとそのたび自己嫌悪におちいるものだ。

 やっと身体を起こし、するともう18時を過ぎている。冷蔵庫にある豚ひき肉で、今夜はギョーザにしようと思っていたけれど、それなら昼寝をする前に肉だねをこねておくのだった。肉と調味料を白くなるまで混ぜて数時間冷蔵庫で休ませる。それから塩もみして細かく刻んだ白菜、ニラを混ぜて作るギョーザの餡はなんともジューシーでおいしい。今からじゃもう遅いな、さてひき肉をどうしたものかと思いながら野菜室を開け、少し考えて玉ねぎとにんじんを取り出す。というかそれしかなかった。あ、萎びた茄子も一本あるぞ。

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 「それ」をはじめて目にしたのは社会人一年目の冬だった。

 久々に会うサークルの女友達と大学のすぐそばの、ホテルニューオータニでディナーとしゃれ込んだ。社会人になったんだもんね、私たちもこんなところで集まれるようになったんだね、などとみんなではしゃぎながら、そこへ運ばれてきたメインディッシュは1人1つの小ぶりな、けれどどっしりと重量感のある鍋であった。蓋、重い! などと言い合いながら開けてみると、そこには湯気とともにたっぷりふつふつと煮えるビーフシチュー。ニューオータニのシェフのなせる技なのか、これがその鍋の威力なのか、そのどちらもであるのか、確かにとてもおいしかった。誰かが「これ、ストウブだよね」と言っていた。ストウブ、そうあのうわさのイカした鍋である。

あこがれのストウブのある暮らし

 インスタには「#ストウ部」というハッシュタグが存在するほど、ストウブ愛好者は多い。ル・クルーゼ勢、バーミキュラ勢、と鋳物やホーローの「いい鍋」派閥はいくつかあるが、やはりここはストウブでしょう、と私は胸を張る。なぜって、一番その姿がかっこいいから。

 料理のアイテムとは、その機能を前提とすればあとはもう見た目であるというのが持論だ。ストウブのこの武骨な佇まい。小さめの部類に入る直径22センチの鍋でも重さは4.2キロある(生まれたての赤子よりもさらに重いのだ!)。しかしその重量感こそ、充実感。どっしりと重い鍋の蓋こそが、素材のうま味を閉じ込める重要な役割を担ってもいると聞く。

 野菜室に転がっていた小ぶりな玉ねぎ2つをみじん切りにし、にんじんはすりおろす。オリーブオイルで先に輪切りにした茄子を焼いておこう。油を吸って焦げ目がついたら取り出して、オリーブオイルを追加。にんにくで香りを立たせたら野菜を入れ、しんなりするまで炒める。ああこの工程こそ、料理してるぜ私、と思える至高のひとときだ。子どもの頃、母の横に並んで野菜のクズを切り刻んではお皿のなかで炒めるマネをしていたことを何度だって思い出す。ひき肉を投入し、木ベラで鍋底に押しつけながら、だんだんと活力が湧いてくる。切って炒めて、肉をつぶしてまた炒める。悪い夢見には、ちょうどいいストレス発散法ではないか。肉に火が通ったら1カップほど水を入れ、コンソメも少し加えて蓋をする。

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 ニューオータニではじめてお目にかかったストウブであったが、やはり意識してみればおしゃれな人は必ず持っていた。ストウブで作る無水カレーはおいしい、なんてインスタで見かけるたびにどうしてもほしくなってついに去年、自分の誕生日を理由に我が家へ迎え入れた。

 野菜の水分だけで作るという無水カレーは確かにおいしいし、煮物はもちろん、地味な色合いのおでんだって、ストウブで煮ればいい感じの渋さを醸す。しかし、これが「魔法の鍋」と絶賛される味なのか? と聞かれると難しい。そうなのかな、そうなんだろうなと納得させているが、正直先代のティファール氏で作る肉じゃがも十分おいしかったのだ。

 けれど、と翻って重い蓋を持ち上げる。湯気がすごい。蓋の裏にはたくさんの水滴がついており、これこそがうま味なのだろうと余さず鍋に滑り込ませる。いい感じに煮立っている。カレールーを2かけ入れて、ゆっくりかき混ぜる。仕上げにウスターソース、ケチャップ、オイスターソース。もう少しだけ弱火で煮詰めよう。

私にとっての「魔法の鍋」

 料理とは、気分である。そう言い切って気持ちがいいのは、だってこんな風に私はストウブのおかげで上機嫌に、そしてほどよくていねいに、夕飯を作ることができるのだから。憂鬱な夢見に、あるいはまた平凡な毎日に、どっしりと、武骨でラフな、けれどもこんなに様になる、その姿はどうしたってこちらのテンションを持ち上げてくれる。余るほどの時間があっても、怠惰がゆえにていねいに暮らせない。ストウブはそんな自己嫌悪を吹き飛ばしてくれる頼もしいキッチンの主役なのだ。そういう意味では、やっぱりうわさどおり、ストウブは私にとっても「魔法の鍋」である。なんだって私にとって、そう思えることが何より大事で、はじめて買った安物のステンレスの鍋だって、私を、最高に楽しませてくれるならばそれが魔法の鍋なのだ。そう思って、上機嫌に料理できる相棒を見つけられることは、なんだか幸せではないか。

 しかし、料理とはその時の自分のテンションを、あるいは思いをかくも引きずって反映されるものだとそのたびに実感する。いつまでも大学受験への不安に駆られて見続ける夢を引きずって、ちまちまとギョーザを包むのはなんだか辛気臭い。大きな鍋に、無心で切り刻んだ野菜をジュージュー炒めるほうが、よっぽどしっくりくる。そんな風に、食べたいもの、と同じくらい気分とは作る料理を決めるものである。

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 村上春樹はアンニュイな午後に何度だって飽きずにスパゲティをゆでるし、そのたび必ず女の子から電話はかかってくる。春樹に対抗するなら、ストウブで作るボロネーゼはなかなかの絶品。保温効果も抜群だから、いつ誰かから電話がかかってきてもオーケーだ。でも私は今夜、ストウブでドライカレーを作ろう。そういう気分なのだ。

 さてできあがったドライカレーに、はじめに焼いておいた茄子を乗せて、目玉焼きも載せてやれば、ワンプレートの夕食の完成である。朝のみそ汁も残っているから温めよう。ミネストローネや、コンソメスープである必要はない。ゆるやかに、気分よく、それがわたしの「ていねいな暮らし」なのだから。

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