結婚式を自粛したら100万円飛んだ末、それ以上のものを得た話(2/2 ページ)
「この状況がいつまで続くのかは分からないけど、僕はまた旅行記を書き始めたいと思う」
キャンセルの決断
どうやら転倒して、後頭部を洗面台に思い切りぶつけたらしい。不思議と痛みはないが、慌てる奥さんの様子と、殺害現場みたいに広がる血を見るに、ただならぬ事態なんだろう。すぐにタクシーへ乗って救急医療センターに訪れた。
誰もいない深夜の病院は、建物全体が息をひそめていた。研修医らしき先生は僕の傷をみて、ああこりゃ深いねえと感心するような声をあげた。いろんな検査をしてみたけれど脳に異常はないみたいで、とりあえず消毒して縫うことになった。「たぶん、うーんいやきっと痛いかな。」先生はそんなことを呟きながら消毒液をバシャバシャとかけて、ホッチキスみたいな器具で傷口を留めていった。
バチン。暗い部屋にホッチキス音が響く。バチン。初めての痛みがじんわり広がる。バチン。先生曰く「見事に割れた」皮膚が、針で少しづつ繋ぎ合わされていく。
バチン。その音が鳴るたびに、身体の力がすっと抜けていった。
もし家で独りだったら。意識を失ったまま、体育座りで血を流し続けていたら。
治療室を出て、廊下に響く2人分の足音に感謝した。どういう結末になってもいいんだと、初めて思えた。
3月25日。東京都知事の緊急記者会見が流れた。不要不急の外出の自粛要請だ。がくんとうなだれた一方で、ほっとした気持ちがあったのも事実だった。僕はもう、ここで降りられる。
その夜、式場に延期を申し出た。すぐにWeb会議の場が設けられたけど、結論としてはやはりあくまで「自粛」であることから、費用は発生すると告げられた。
ただより強い形での公式要請が出たと言う事態を踏まえて、担当者の方は親身に相談に乗ってくれたし、本社にも最大限掛け合ってくれた。おそらく全国の式場で、そういう交渉が繰り広げられているんだと思う。無料になったという話も聞くし、あるいは全額負担だったという話も聞く。
僕の場合、規約上は全額負担のはずだったが、式場の配慮により100万円弱に落ち着いた。それでもう十分だった。もちろん式場も大変だろうし、何よりこの苦しみから逃れられるなら、払おうと思った。
延期を決めてからはあっという間だった。30分でゲストに連絡を終えて、全員が理解を示してくれた。事務手続きもサクサク終わって、家にはお手製のウェルカムボードと、6kg痩せて仕上がった身体だけが残った。ここ何週間かの狂騒曲が呆気なく終わって、僕も奥さんもどこかすっきりした気分でいた。
式をするはずだった1日――予期せぬ「Zoom結婚式」が突如スタートした
そうして4月4日。式をするはずだった1日。カレンダーの空白の1日。空は見事な晴天である。いやなにもここまで晴れなくても。
することがない。
僕が結婚式で楽しみにしていたのは、何より懐かしい友人たちと酒を飲むことだった。せめてもとこれまで我慢していたビールを開けて、朝からほろ酔い状態でインターネットにいそしんでいると、ちょうど大学の友人からメッセージが届いている。そこにはWeb会議ツール「Zoom」のURLが貼ってあって、13時になったら奥さんと一緒に入るように指示されていた。
最近はオンライン飲み会ばかりやっている。また新しい会が催されるのかもしれないが、しかし奥さんも一緒とはどういう意味だろうか。
13時になって、書斎のPCからそこにログインしてみると、そこには礼服姿の6人がスタンバイしていた。
え?
なにこれ?
全員、結婚式に招待していた大学の友人たちだ。効果音と共に、おめでとうと祝福の言葉が一斉に投げかけられる。僕も奥さんもぽかんと口を開けるばかりだ。
困惑しながら訳を聞くと、なんとキャンセルした僕たちのために、いまからお手製の式を開いてくれるという。
それぞれが桜やウェディング画像を背景に、当日着るはずだった衣装に身を包んでいた。新郎新婦だけが部屋着のまま、こうして予期せぬ「Zoom結婚式」が突如スタートしたのである。
まず、挙式は語学に堪能な友人Aを牧師に見立てて実施された。
誓いの言葉は、僕たち夫婦がイラン好きという理由からなぜかペルシャ語で読み上げられた。宮沢賢治の詩とペルシャ詩集「ルバイヤート」が混ざりあった独創的な内容で、正直言ってることはよくわからないけど、なんとなく雰囲気は伝わってくる。唄うようなリズムを聞きながら流し込むビールは極上の喉ごしだ。
(ちなみに後から聞いたら友人Aはペルシャ語は喋れなくて、実は代わりにトルコ語で発音していたらしい。「なんか言語的に近そうだから」とのことだった。)
余興もあった。ダンスの得意な友人による画面越しのきゃりーぱみゅぱみゅは、そのあまりのキレの良さに回線が追いつかず途中で画面が止まった。静止したままの彼を眺めながら大きな拍手を贈る。
他にも映画に詳しい友人が新婚にオススメの映画を紹介するコーナーがあったり、かつて共に海外旅行に行った友人のスピーチがあったり。一緒に飛行機に乗り遅れた話や現地の警察に捕まりそうになった話など、ハートフルなエピソードに場もどんどん盛り上がっていく。
途中から僕もスーツに着替えて、新郎新婦の挨拶なんかもした。本当はこういうのはもっと緊張するんだろうけど、自然と感謝の言葉が口から湧き出てくる。
ああ、楽しいな。
カメラの角度がおかしくて顔が半分しか写っていないやつもいるし、背景画像に同化してほとんど消えているやつもいる。友人Wはベランダから参加しているらしくて、やたらと前髪が風に煽られていた。Zoomを使い慣れていないその様子に、急遽準備をしてくれたんだろうなとしみじみしてしまう。
懐かしい友達で集まって、晴れやかな気持ちで祝福を交わして、美味い酒を飲んで。僕はこれがやりたかったんだ。式場が部屋の中になっただけで、これは間違いなく思い描いていた結婚式である。こんなに腹の底から笑ったのはいつぶりだろう。
困難な状況というのは、いつも自分にとって真に大切なものを認識させてくれる。これまで積み上げてきたものは間違っていなかったし、今はそれに誇りすら感じる。100万円を失った僕たちは、それ以上のものを得て前に進んでいける。
ピンポン。
式も終盤に差し掛かった頃、突然インターホンが鳴った。扉を開けると、大きな花束がそこにあった(※)。友人たちからのプレゼントだった。
花からは春の香りが漂っている。最近部屋に篭っていたので知らなかったけど、外はもう新しい季節を迎えているんだ。
浴槽に浸かって、夢のような1日の余韻に耽ける。結婚式の開催に悩んでいた頃が、もう随分昔のことのように思える。不安のあまり、好奇心に耳を塞いでいたあの頃。旅について考えるのも嫌で、一切の興味を失っていたあの頃。振り返ると、それは緩やかな腐敗だったと思う。僕の根っこを形成している部分が腐っていって、そうして洗面台に頭をぶつけたのだ。
こんな状況だから、仕方のないことだと思っていた。外に出られない世界なんて、モノクロでしかないと思っていた。違った。Zoomで開かれた突貫の結婚式は、どんな旅にも負けず劣らず、とびきり刺激的で、鮮やかな色合いをしていた。友人たちの遊び心が、この狭い書斎を華やかな式場に変えてしまったのだ。
この状況がいつまで続くのかは分からないけど、僕はまた旅行記を書き始めたいと思う。たとえ物理的に引きこもっても、淡々と、しかし粘り強く好奇心を保ち続けていく。この切断されゆく世界で、ホッチキスで傷をとめるみたいに、いびつな接点を探っていく。外へ出られなくても、それが僕の今の旅である。
もうのぼせてしまわないように、今日は早めに風呂を上がろう。
noteで掲載されたものを岡田悠さんにより再編集&追記していただいたものです。
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