星野一義と鈴木亜久里が激白 伝説の「グループCカー」こんなにヤバいマシンだった(1/2 ページ)
伝説通りヤバかった……。「雨の日、窓が曇るので手で拭いていた」「“足の底”をヤケドしちゃんだから」ってひぇぇ!
元レーシングドライバーの星野一義さんと鈴木亜久里さんが、鈴鹿サーキット公式YouTubeチャンネルで、伝説の激烈レースマシン「グループCカー」時代の貴重なエピソードを語りました。クルマ好きからは「もうめちゃくちゃ貴重な話~」「とんでもない話で真顔で聞くしかない」などの声が上がっています。
グループCとは、1980~90年代に人気を博したレース競技カテゴリー。このカテゴリー/レギュレーションに準拠したレースに出るためのマシンがグループCカーです。「排気量制限なし、エンジン形式自由。燃料使用量に制限あり」とするブッ飛んだレギュレーションのもと、“F1にカウルをかぶせただけ”のような、各国自動車メーカーが威信をかけて開発した1000馬力クラスの超ド級モンスターマシンで競われました。
グループCカーは、出力1500馬力超に達し、サルトサーキットの直線で時速400キロ超えを記録したといった伝説も数多く残ります。
国内メーカーではトヨタ、日産、マツダが参戦しました。トヨタはミノルタカラーの「91C-V」など、日産はカルソニックカラーの「R92CP」など、マツダは日本メーカー+ロータリーエンジンで初めてル・マン24時間レースで勝った「787B」などがよく知られています。
日本一速い男と、日本人で初めてF1表彰台に上がった男。日本レース界におけるレジェンド2人は、当時のグループCカーをどんな気持ちで運転していたのでしょうか。
真夏の鈴鹿サーキットでのレースは……「とにかく暑かった!(鈴木さん)」「車内は60度くらいあったからね。ほんとうにキツかったね(星野さん)」といきなり過酷すぎる環境を振り返ります。60度ってひぇぇ、もうサウナレベル。
それは、ペダル類まで熱を帯びて「足の裏がヤケド」するほどだったそうです。「レース後はね、バケツに足を突っ込んで冷やしていたよ(星野さん)」。クルマのペダルが熱くてヤケドするなんて想像できない……まさに命がけ!
(参考)日産のグループCマシン「R85V」(1985年/左の白い「ナンバー32」号車)と日産ヘリテージコレクション庫内。1986年、星野さんと鈴木さんは同系統のR86Vでル・マン24時間レースを走った。(右の青白赤「ナンバー85」号車は同年に米IMSA GT選手権に出た「GTP ZX-Turbo」)
雨天時もひぇぇです。湿気と熱(車内外の温度差)でフロントウィンドウが曇りまくるのです。「スチームサウナみたいな状態だね(鈴木さん)」「何も見えない! タオルで拭きながら走ってたな(星野さん)」。レーシングスピードで競いながら「曇って前見えない」→「自分で内窓拭き」ってマジか……。マイカーの「ACボタン」入れ忘れていた、てへ、なんてレベルのお話ではなさそうです。
昨今は、グランツーリスモ7などのレーシングシミュレーターで往年のグループCカーも運転できます。でも、レジェンド2人の真の体験である「車内の灼熱」とか「窓の曇りを拭く」まではとても再現できないでしょう。やっぱり伝説だ……!
動画にも「ドライバーがマシンと格闘していた様子が、お二人の話からよく分かります」「さすが、日本人レーサーのレジェンドですね」「レジェンドって言葉はこの人達の為にある」などのコメントが多く寄せられていました。
(カナブンさん)
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