ディズニーの実写版「美女と野獣」はいかに画期的だったのか その躍進と見過ごされた“大きな課題”(2/3 ページ)
評価するポイントと訴える課題とは――。
実写版の「美女と野獣」はさらに躍進
実写版は以上のようなアニメーション版の精神を引き継ぎつつ、さらに現代的なアップデートが加えられたものと言えるでしょう。
まずはベルをエマ・ワトソンが演じた、というその事実が重要です。ワトソンは2010年代に盛り上がったフェミニズムの潮流をけん引した人物の1人です(ちなみに、この動きは現在では「第4波フェミニズム」と呼ばれています。そして、ここでは詳しく論じませんが、2010年代の「アナと雪の女王」(2013年)を中心とするディズニーの第2次ルネサンスは、この第4波フェミニズムと時代性を共有していたと言えるでしょう)。とりわけ、ワトソンと言えば、2014年に国連がジェンダー平等のキャンペーン「HeForSheキャンペーン」を立ち上げた際、UN Women(国連女性機関)の親善大使として披露したスピーチが大きな話題となりました。
(※編注)河野真太郎さんは著書『戦う姫、働く少女』のなかで、「アナと雪の女王」について批評しています
それだけではなく、実写版は細部まで「ダイバーシティ」を意識した形にアップデートされています。1つは、人種的多様性への意識です。冒頭で描かれる王子時代の野獣の城での舞踏会では、半数に近い人物がアフリカ系(黒人)などの有色人種であり、ベルが通う本屋の店主も、最後に人間に戻ったプルメットとマダム・ド・ガルドローブも有色人種であることが明らかになります。
有色人種がいるだけではなく、村娘3人組(一般的には「ビンベッツ=頭がからっぽの女の子たち」と呼称されています)のデザイン変更も興味深い点です。アニメ版ではこの3人はブロンドで胸が大きく、ガストンに夢中という、いわゆる「ダム・ブロンド(美人だが頭が弱い金髪女性を揶揄する言葉)」の差別的な表象になっています。それが実写版ではブロンドではなく黒髪に変わっているのは、おそらく差別表現の意識的な回避でしょう。
また、実写版はディズニー映画で初めてゲイのキャラクターを登場させたとされています。ガストンの従者のル・フウです。実際にはほのめかし程度の表現なのですが、彼がゲイとして設定されていることは公開前から話題となり、一部の保守的な国や州によっては上映禁止される事態となりました。これに関連して、監督のビル・コンドンが(加えて、ガストン役のルーク・エヴァンズも)ゲイとしてカムアウトしていることは付記すべきでしょう。
実写版で男性キャラクターたちに加えられた変更も重要です。ここで注目したいのはガストンと、ほかならぬ野獣です。この2人に共通するのは、いずれもある種の脆弱性、弱者性が新たな背景を付け加えることで強調されています。
ガストンはアニメーション版で追加されたキャラクターで、もともとは自分大好きで粗野で暴力的、ベルや他の女性たちの気持ちなんかまったく考慮しない、「有害な男性」そのものでした。
実写版でもその性格は基本的には受け継がれています。ですが、冒頭の登場シーンでは、ガストンは「戦争」の後に何らかの「欠落」を抱えていることが示唆されます。その欠落をベルが埋めてくれるかもしれない、と彼はぼんやり感じているようです。つまり、彼はどうも戦争でのトラウマを抱えているものの、それをしっかり意識化できないままにベルに執着しているのです。
この事実を中心に見ると(そしてル・フウが同性愛者という旧来の『男性性』から外れた設定であることも折り込んで考えると)、ガストンの「有害な男性性」はまったく違った見え方をしてきます。彼は「戦争」で折れてしまった男性性を内側に抱え持っており、その欠落を埋めるために過剰に暴力的な男性性を振り撒いている、そのように見えてくるのです。
同時に、野獣にも新たな物語が用意されます。野獣はそもそも、利己的で他者を思いやらない性格ゆえに野獣に変えられているのですが、そのような性格になってしまったのは、母の死後に父にそのように育てられたからだ、と告白するシーンが描かれるのです。彼の歪んだ性格も、父の暴力という背景を与えられ、物語全体は彼がそのようにして身につけてしまった有害性を脱ぎ去る、という物語になっています。
このような男性性についての一段深い反省も、実写版でアップデートされた側面だと言えるでしょう。
実写版「リトル・マーメイド」への否定的な反応があぶり出したもの
さて、ここまで読んできた読者の方は、私がディズニー版「美女と野獣」をフェミニズムやダイバーシティに配慮されてアップデートされ、男性性の有害性を解消するような、ある種のメンズリブ(男性解放)的な作品として手放しで褒めてきたように思えるでしょう。
ところが、意外と思われるかもしれませんが、最後に私が主張したいのは、突き詰めればそのいずれの読みもできない、ということです。もっとも大きな問題は、いろいろと「緩和」されてはいるものの、変化する階級社会の中で家父長制を温存させるという原作が持っていた問題が本当に解消されているのか、ということだと考えています。
ガストンの戦争トラウマはともかくとして、野獣の男性性への反省はおそらくベルによる「承認」を必要とし、それによって完成するものでしょう。野獣とベルの間の愛は、実写版ではマイノリティ的境遇の共有を基盤にしているように見えます。つまり、自分のコミュニティの中での孤立・孤独に苦しみ、母を失うという経験を共有していることが2人を結びつけ、ベルの野獣への理解と許容もそれを基盤にしているのです。
しかし、2人のマイノリティ性は本当に「同じもの」でしょうか? いつの間にか、2人の間のジェンダーの差異が抹消され、その抹消によってこそベルは野獣の有害性についての反省を許容できているのではないでしょうか? このとき、ベルの「父親思い」的な美徳は原作からは意味がズラされてはいるものの、やはり男性の中心性を承認し、温存させる方向に働いていることは否定できないのではないでしょうか?(父が原作よりも「許しやすい」存在になっていることもまた、実はこの方向を手助けしています)
もっとかみ砕いて言えば、野獣はもともと有害で、ひょっとするとDV気質なところもあるかもしれないにもかからず、それが父の養育のせいであるといった事情を酌量しながら許す、という構図になっています。これは少し大げさと思われるかもしれませんが、現実社会で考えるならばDV夫に対して、その妻や子どもが「あの人も苦しんでいるんだから」といって許し、結局は暴力を甘受したり許したりするような構図と変わらないのではないか、とも捉えられるという見方を示したいと思います。
この前提に立って考えると、実写版でさまざまに盛り込まれたダイバーシティへの配慮も、社会学者のケイン樹里安さんの言葉を借りれば「ちぎりとられたダイバーシティ」のように思えてきます。ちぎりとられたダイバーシティとは、支配的なもの(例えば、男性、異性愛者、日本人など)の中心性は変更せずに、周辺に多様な存在を許容する身振りだけをする、ということです。
また、近い言葉に「トークニズム」という言葉も存在します。特に人種差別などについて使われる言葉で、平等のように見せるためにマイノリティを言い訳のように配して、ダイバーシティへの配慮をアピールする、というやり方です。
実際、6月9日に公開される実写版の「リトル・マーメイド」の主人公アリエルをアフリカ系のハリー・ベイリーが演ずることが発表された際、一部では否定的なリアクションが巻き起こりました。この反応は、「美女と野獣」のダイバーシティが結局は白人の中心性を温存させるような、「ちぎりとられたダイバーシティ」あるいは「トークニズム」でしかなかったことを痛感させるものだと言えます。
もちろん、これらの反応は少なくとも建前上では、アニメーション版との差異に対しての違和感として吐き出されているものの、やはり「アフリカ系のアリエル」は拒否する一方で、ワトソン演じるベルのように主人公はあくまで白人で、ある種のフェミニストかもしれないが、野獣(有害かもしれない男性)を承認するなら抵抗なく受け入れられる、というわけです。
もちろん、このような結論には同意なさらない方も多いのではないかと思います。現代性を積極的に取り入れたディズニーの変化を認めないのか、という意見もあるでしょう。ですが、ディズニーほどにポピュラーな文化をめぐっては、ジェンダー平等やダイバーシティに向けた直線的な進歩を単純に祝福することはできないでしょう。
そこに存在する複雑な力学を解きほぐさない限り、真の意味での平等や多様性は達成されないと私は信じます。その意味では「美女と野獣」の現代性は、それ自体達成として認めるべきです。ですが、そこにある限界も同時に見据える必要があります。文化はそのようにしてしか前進しないのです。
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