――猫の武具というのはあまりないのでしょうか
野口:非常に少ないですね。刀飾りに小さな猫が付いている物はありますが、ほかでは見たことがないです。そうした背景から「侍と猫の組み合わせはアンバランス」という先入観が定着して、あの兜も、ひとまずミミズクとする方が無難だと考えられたのではないか、と僕は思っています。
――ほかの動物かもしれないという可能性はありませんか
野口:例えば大きな耳を持った動物、虎や熊という可能性も考えられますが、虎の象徴であるシマ模様が施されていないこと、また熊ならば、戦国時代は通常、熊毛を植えて表現するので、それらが無いという理由から、猫がもっとも有力だと考えています。また昔の武将の肖像画に猫が登場するものがあります。もちろん、僕が描いた物じゃなくて、戦国時代の本物です(笑)。昔は描く要素によって制作料金が変わっていたと考えられるので、追加料金を払ってまで猫を描きたいと思う武将がいたということは、武具(兜)のモチーフに猫を使った武将がいても、決しておかしくないと思うのです。
――ではこのよろい兜についてもう少し詳しく聞かせてください
野口:そうですね。特徴的な兜が目立って、あまり注目されませんが、兜と胴は別に作られたもの。つまり時代が異なる物だと思います。
――どうして別の時代のものと分かるのでしょうか
野口:専門的な部分は略して説明します。胴の部分の「葵の紋」が入っているところを「小札(こざね)」といいますが、ここを見ると、かなり手が込んでいることが分かります。金具の細工なども見事で、これは江戸期以前の手法です。一方、兜の方を見てみると、「しころ」と呼ばれる首筋を覆う部分が比較的新しい形式で、胴に比べると少し作域が落ちます。といっても、漆の仕上げは丁寧でかなりの高級品ですけどね。個人的には、胴は主人であった徳川家康からの拝領品、兜は胴よりもしばらく後で松平信一が新調したんだと思います。
「作域が落ちる」とは……制作の手法のレベルが落ちること。
――具体的にはいつごろ作られたものなのでしょうか
野口:個人的な見立てでは、よろいが作られたのは慶長期、豊臣秀吉の時代で、猫耳の兜はその20年ほど後、徳川家康の晩年、もしくは死後間もなくのころに作られたと思います。
――着用者と云われる松平信一がデザインを指定したのでしょうか
野口:そこまでは特定できていませんが、兜の時代的な特徴からして、晩年の松平信一、もしくはその子どもが発注した可能性は高いと思います。
――こうした変わり兜は珍しいのでしょうか
野口:いえ、流行した時期もあります。変り兜には江戸時代に観賞用として作られたものもありますが、実戦で使用されたものも多いですよ。松平の兜も実戦期の制作と思われます。実戦に使われたものはシンプルなデザインの変わり兜が多いですね。
――実戦にこんなに珍しい兜をかぶっていったのですか
野口:そうです。こうした珍しい兜をかぶって実戦に挑むのは、やはり「自分を目立たせるため」と考えられますが、なぜ自分を目立たせなくてはいけないかについては、僕はこれまでの通説とは違った考えを持っています。
――どういうことでしょうか
野口:これまで侍が高価なよろいや目立つ兜をかぶるのは「死に装束で、自分の死を華々しく飾るため」という、共同幻想のような考えがありました。でも本当にそうでしょうか? もし仮に侍が「死を飾る」概念をもっているとすれば、彼らのお葬式はド派手じゃないといけませんよね。でも、侍のお葬式といえば白一色で、とても厳か。死を華々しく飾る感覚とは思えません。いくら侍や武将であっても、あくまでも人間です。死ぬためにではなく生きて帰るために高価なよろいを着て、合理的に手柄を立てる。その延長に、変わり兜があったのではないかと思うのです。
――具体的にはどういうことでしょうか
野口:武将たちの日記や彼らの活躍を描いた軍記物を読んでみると、誰がどんな格好で合戦に参加したのかがやたらと細かく書かれていることがあります。「どこの誰某は何糸威のよろいに竜頭の前立て打ちたる兜を……」みたいなやつですね。これが、“侍が自分の死を飾った”とか、“ファッションに命を懸けた”という少し偏った意見につながったのだと思います。でも、その理由をよーく考えてみるうちに、「録画機材の無い時代、(合戦で)誰が手柄を立てたのかは、互いの目撃談に頼るしかなかった」ということに思い至りました。つまり、論功行賞をスムーズに行うために、混乱する戦場では奇抜で覚えやすい形状の「変り兜」を被らざるを得なかったのではないか、という考えです。
――なるほど
野口:派手な理由は「ファッション」ではなく「識別」のため。踏切の遮断機やパトカー、カラーコーンなどに派手なペイントを施す理由に似ています。これはよろい兜の造形や勉強をする中で、僕が独自にたどり着いた結論です。もちろん、多少は着用者の好みや趣向が反映されたデザインだったとは思いますけどね。
――それはまた合理的で面白いですね
野口:歴史を研究してみると、ちょっとした矛盾や違和感を覚えることがあります。その矛盾に突き当たったときに「エライ先生が言っているのだから……」と済ませるのではなく、自分なりに調べてみると新しい発見や新説が出てくるかもしれない、というところが面白いですよね。今回お話させていただいた「松平信一の兜は猫をモチーフにしている」という説も、きっと僕以外にも多くの人が「(兜の印象を)猫っぽいな……」と思っていたはずです。“裸の王様”の話じゃないですが、リスクを恐れず、感じたことに素直に向かい合うことは、誰にとっても大切なことではないかと思います。
野口さんが唱える「松平信一の兜、実は猫がモチーフ」説が認められれば、歴史的大発見となるかもしれません。
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(Kikka)
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