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1週間で1000万です――3年を捧げた奇跡の大作、依頼の実態は「ゴーストライター」東大ラノベ作家の悲劇――鏡征爾(3/3 ページ)

作家志望者が作家死亡者にならないために。

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8 新たなモンスター登場――編集Δさんの意見が企画立ち上げ人の意見と真逆で対立。毎回ひっくり返される


 この企画の先導者が×さんだけであれば、どれだけ楽だっただろう?
 編集×さんを早々に見切れなかった理由は、彼の、完全には憎めない、優しさをもった部分にある。なんとか帳尻を合わせ、いったん原稿を完成させることが出来た(この段階で1年半が経過している)。
 だが、それが世に出ることはなかった。
(もう食傷気味かもしれないけれど、最後まで付き合ってほしい)

 さらにまずいことに、ここに新たなモンスター。
 出版社直属の担当編集、通称「Δ(おにぎり)」さんが登場するのだ。

 最初、企画を立ち上げたインセンティブペケ太郎さんのサブとして、いわばタイムキーパー的に参加していたおにぎりさんだったが、Aの話を聞くうちに「これは売れる!」と思い始めた。
 そして、実権を握ろうとし始めた。

 要するに、自分も手柄をシェアしてほしい、企画に携わりたいという欲望に――精神を浸食され始めたのである。

 もちろん、それ自体は、何らおかしなことではないだろう。
 編集として、ベストセラーをモノにしたいと考えるのは、至極当然のことだ。

 しかし問題は、これまで企画を主導していた×さんとおにぎりさんの意見が真っ向から対立し、×さんの依頼を受けて書いてようやくOKが出たらおにぎりさんにひっくり返され、おにぎりさんの意向を聞いて一から直せば今度はAさんにひっくり返されるという事態なのだ。

 これは地獄だった。
 何を信じていいかわからなくなった。
 ×さんは、
「俺を信じろ。俺を信じれば全部通してやる。俺の力が一番強い」と言う(誇張ではなくホントにこのまま言ってます)。
 しかしおにぎりさんにひっくり返されると、
「すいませんでしたあああああああ」となる。
 憎めない人なんだけどな……そんな風に、毎回毎回、思ったよ。


9 仲介役に実権はない。版元の出版社が絶対


 出版の仲介役というのは、時と場合にもよるが、ある種の「傀儡」に過ぎない。
 企画を進行する役割を担うが、しかし、出版社直属の担当である編集さんの意向が絶対で、逆らうことができない。
 要するに、何の決定権も、発言力もないのだ。

 にもかかわらず、編集×さんは、独自の言い分で、前ページに原稿に赤入れして送ってくる。一言一句、魂を注いで紡いだ文章が――小学生のTwitterのような稚拙な日本語で、内容まで改編されて送られてくる。
(しかもそれが、たった数十ページに二ヶ月とかかかる――これは冗談ではなく、そうなのだ。ペケさんの口癖は、「僕は文章が下手すぎる」というものだった」)
 抗議の電話をかけると、
「いや、こっちの方がいいと思った」などと言う。結論を言おう。

 要するに×さんは、ただたんに自分が書きたいだけなのだ。

 その上で、見るも無惨な姿になってしまった自分の原稿を――、

「僕の文章が酷すぎるので鏡さんが美しい文章になおしてください」
 と言ってくる。

 ……ええ?

 絶句して、あいた口がふさがらなかった。

「おれはおまえの幼稚園の国語の先生じゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええええんんんだよおおおこのハイエナがああああああああああああああああああ!」

東大ラノベ作家の悲劇

 と、言えたらどれだけラクだっただろう。
 いや、言えないからこそ、自分はダメなのだろう。
 中途ハンパな存在なのだろう。

「はあ……でも、これ、ちょっとありえないんですけど……」
 と、言うのが精一杯だった。
 なんだかいろいろなことに絶望して、それくらいしか覚えてなかった。
 あまりにのことに呆然としていると、ペケ太郎さんはまた例の話を持ち出した。

「いやね、鏡さん。でもね、これ、1週間で1000万の企画ですよ」
「そう言いながらもう半年ですよ」どこが1週間だ。
「いやでもね、ほら、もう3分の1は執筆終わってるじゃないですか。本当に美しい文章に仕上がっている。作家が全力で書いたものを、編集が全力で返す。最高の関係ですよ」
 最高の関係? 何を言っているのですか。
「いや、ちょっと、さすがにありえないんですけど……」
「いやね、鏡さん、でも、もう少しじゃないですか。最高の物語調の成功本に仕上がっているじゃないですか。こうすれば、Aさんの自尊心も傷つけることなく、みかけエンターテイメントっぽくして、馬鹿な読者も騙せるじゃないですか。完璧な「成功する55の方法」が提供できる。鏡さん。最高ですよ、マジでこんな素晴らしい設定と物語と登場人物とストーリー(全部小説だと思って書いたもの)ありがとうございます! でも、まだもうちょっとだけ残っている。ね? もうすぐっすよ。あと1週間もあれば終わるじゃないですか」
 読者は馬鹿じゃないですよ。
「こんな本買う奴らはみんな馬鹿ですよ」
 ×さんは本当にそういった。僕は耳を疑ったが、あえてその話題には触れないことにした。これが太田克史さんだったら、読者は馬鹿じゃないと怒って一緒に戦ってくれるだろう(彼はそこら辺はガチ)。
「ね? もうすぐ終わるじゃないですか。もう5分の3ができてるじゃないですか。あとちょっとだから、ね?」
「そう言いながらもう2年ですよ」
 そんなやりとりを繰り返していると、×さんはいつものように、
「あなたは分かってない!」と、独自の理論を持ち出し始める。「これがあなたのためなんだ!」と言い始める。「結果を出してない人に、発言権なんてあると思うんですか? 鏡さんも僕みたいな生活がしたいでしょう? 稼ぎたいんでしょ?」
 そうやって巧みに話をすり替えながら、こう言うのだ。

「こないだね。キャバクラで50万使ったんすよー。ドンペリ開けてさあ。ぷしゃああああっ! って。梨汁ぷしゃあああああああああ! そりゃあ、気持ちよかったっすよー。ぎゃはははははは」

 これは、いったいなんなんだろうね。


10 こういう人間が年収2000万超えの社会


 ……僕が企画を辞めることができなかったのは、Aさんが理由だ。
 僕は、自伝のために話を伺うなかで、Aさんの話に、とても共感した。
 Aさんは、非常に苦労をされてトップまでのぼりつめた方で、その努力と生き方に、感動にも近いものを覚えていたのだ。
 Aさんに迷惑をかけたくないという気持ちが強かったし、Aさんの話を物語化したら、本当に見たこともない凄いものができるという期待があった。
だが、それは叶わなかった。最初から不可能だった。
 事の真相はこうだ。

編集たちはなかなか許可の降りない大物Aに「僕」というカードを差し出した。彼が推薦してきた人間を絡ませることによって企画の許諾を得て、後は巧妙に中身を作り替え(実際、当初の企画書の面影は微塵もない)、全責任を僕に押しつけながら悪戯に時間をかけ続けて、2年半以上もの間だらだらだらだらと時間を使わせ、疲弊させる。そしていまさら誰も引くに引けない状態にした上で、一切の条件を飲ませる算段だったのだ。
 おまえのやっていることは小説ではなくゴーストライター、文句を言うなら仕組みだけつくらせて捨てますよ、と――。

 以下、今回の失敗で得た教訓を逆襲のシャア風に記す。


11 作家志望者が作家死亡者にならないための教訓

「認めたくないものだな……自分自身の若さ故の過ちというものを……」
 ……いまから四半世紀前にそんな台詞を残したシャア先生は、自分の過ちを認めていた。
 僕も、それを認めなければならない。

「戦いとは、常に二手三手先を読んで行うものだ」
 シャア先生はそう言っておられた。

 クリエイティブ業界は戦争だ。

 かたちのないものを届ける現場では、数年かけた企画が一瞬でボツになる。状況に応じて、戦局がめまぐるしく移り変わる。
 風向きを常に読み、対応していく力が求められる。

「この私を誰だと思っている!」
 シャア先生は、そう言っておられた。

 誰が決定権をもつ人なのかを見極めよう。

 クリエイティブな仕事は、基本的に実態のないものなので、企画にかたちを与える最終決定者が誰なのかを、つねに把握しておく必要がある。

「人はニュータイプを戦争の道具としてしか使えん! ララァは死に行く運命だったのだ!」
 シャア先生は、そう嘆いておられた。

 クリエイターは美学のない組織にとってはただの道具だ。だが死に行く人間魚雷になってはならない。

 真面目に、誠実に、心の底から情熱を注いで本をつくっている編集さんも、たくさんいる。編集批判がなされることの割と多い昨今だが、まだまだ小説の力を信じ、作家の可能性を信じて、辛抱強く打ち合わせに付き合ってくださる編集さんも存在する。
 だがその一方で、作家を使い捨ての道具としか思わない編集さんも、たくさんいる。使い捨ての道具になってはならない。替えの効かない存在であることを、諦めてはならない。
 巧みな甘言に騙され、時間を使わされて、ずるずるずるずる妥協に妥協を重ねて、茹で蛙のように死んでいってはならないのだ。
 自分が何のために生きているのか。何のために作家になりたいと思ったのか。ものをつくりたいと思ったのか。
 茹で蛙のように死んでいくために、1億総クリエイティブ時代の戦渦のただなかに飛び込んだわけではないはずだ。

 と。
 まあ、ここまでの話なら、こちら側が完全に被害者、ということになるのだろう。
 読者の方の同情も、ひけるのかもしれない。
 自己憐憫に満ちた憐れな底辺作家として――それなりに支持を貰うことも出来るかもしれない。
 しかし、そんなものは金輪際ドブに投げ捨てる。

 僕は最低最悪の人間なのだ。


12 最後に残ったもの


 企画が始動してはや3年。
 一銭も、貰っていない。二十代の最後の貴重な3年をドブに捨て、色々なチャンスを投げ打って、その結果がこれである。

 繰り返すが、僕は自分の文章にプライドを持っている。
 正直、漢字のひらき具合から句読点の位置に至るまで、徹底的に計算してつくっている。時間と空間を意識しながら物語を紡ぐ。 

 それが、編集二人の徹底的な改編によって、見る影もなくなった後に、僕が思ったのは、「これは自分の名前では出せない」ということだった。

 そのことに気付いた時、僕が思考したのは、「如何に企画を降りるか」だった。作品に、自分の名前をクレジットしないことは、早くから決めていた。
 しかし自分から企画を降りると口にすれば、企画の放棄を意味する。逆に、賠償金を請求されないとも限らない。

 なら、どうするか。

 自分から言うのではなく相手に言わせる。徹底的に自分を貫きながら、そもそもの企画の趣旨が詐欺まがいなのだからそれを自覚させて、これまでにかかった費用を支払わせる。
 自分が折れるか。相手が折れるか。消耗戦のチキンレースだ。忍耐力の勝負である。そして僕は賭けに勝った。本はじきに発売されるだろう。作品の仕組みは僕がつくった。設定も。物語も。インタビューも。文章の下地も。毎回の叙情的な描写も。しかしそれらは僕の作品であって僕の作品ではない。最後くらい意地を張らせてくれ。
 ある親友のイラストレーターが企画開始直後に言った。
「早く征爾はその企画から降りるべきだ」と。「その編集が最低最悪の人種だったら、仕組みだけ作らせてあとは安い大学生バイトに依頼して捨てる。そうすると仲介役の編集に印税の50パーセントが入る。そこまで考えるだろう」と。案の条その通りだった。僕はわかっていた。全部計算通りだ。完璧に計算通りに、僕は1000万の100分の1以下の保証金を手に入れた。そしてそのお金で、亡くなった祖父の葬式の香典料を支払った。
 失われた3年は帰ってこない。だが僕は自分の作品に対する矜持を守った。実質キャリアは終わっただろう。3年であまりにも多くのチャンスを失った。
 何にもなれなかった自分だが、最後に形にならない「何か」は残った。
 そしてそれはいまも自分のなかで燻っている。

 僕の魂は、それを知っている。


作者プロフィール

鏡征爾:小説家。東京大学大学院博士課程在籍。

『白の断章』講談社BOX新人賞で初の大賞を受賞。

『少女ドグマ』第2回カクヨム小説コンテスト読者投票1位(ジャンル別)。他『ロデオボーイの憂鬱』(『群像』)など。

― 花無心招蝶蝶無心尋花 花開時蝶来蝶来時花開 ―

最新作―― https://kakuyomu.jp/users/kagamisa/works

Twitter:@kagamisa_yousei



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