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また海底で発見 軽巡「ヘレナ」の武勲と黒歴史、軽巡洋艦なのになぜこんなに「でかかった」のかキャプテンながはまのマニアックすぎるシリーズ(2/2 ページ)

米海軍の那珂ちゃん。

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うっかり最新式のレーダーを搭載し、「頼れるやつ」として活躍

 そんな実質は重巡洋艦だったヘレナは、同級の姉妹たちの中でも何気に目立つ存在でした。

 まずは、一足先に戦争を始めていたドイツ海軍のポケット戦艦「アドミラル・グラフ・シュペー」(関連記事)に全世界が注目する中で、それが南米ウルグアイで沈んだときの姿をタイミング良く撮影して全世界に衝撃を与えます。「おいおい、お前そこにいたんか」。

ポールアレン ヘレナ 発見 ヘレナが撮影した、自沈するアドミラル・グラフ・シュペーの写真と調査報告書

 続いて、戦艦ペンシルバニアの泊地に係留していたら、真珠湾攻撃で戦艦と間違って雷撃されて魚雷を食らいます。でも、その修理をしたおかげで最新式のレーダーを搭載できました。

ポールアレン ヘレナ 発見 真珠湾攻撃の3日前に撮影された航空写真。ヘレナは中央の戦艦用ドックに入渠している
そのせいで戦艦と間違われて雷撃を受けてしまう
ポールアレン ヘレナ 発見 修理中のヘレナ艦橋部分。背の高いレーダーが主砲射撃指揮用のMk-3(その下に主砲射撃指揮装置のMk-34が見える)でそれまでのレーダーよりも使用電波の波長が短くて探知精度が高い。その前方には対空射撃指揮用のMk-4レーダーとMk-37射撃指揮装置がある

 この最新式のレーダーを搭載したことで、ヘレナは1942年の8月から始まったガダルカナルを巡る戦いや、その後の1943年におけるソロモン諸島で起きた日本海軍との激しい砲雷戦で「頼れるやつ」として活躍します。主な海戦だけでも10月11日の「サボ島沖海戦」、11月13日の第三次ソロモン海戦、そしてヘレナ自身が沈むことになるクラ湾に参加しています。

ポールアレン ヘレナ 発見 ソロモン諸島海域を行動する米軽巡戦隊。左に見えるのがヘレナといわれている。この撮影の2週間後にヘレナはクラ湾海戦で沈没する

 サボ島沖海戦と第三次ソロモン海戦でヘレナは、最新式レーダーを駆使して日本海軍をいち早く発見します。しかし奇遇にもどちらの海戦も重巡洋艦なのにヘレナより古くて、レーダーも旧式だった旗艦「サンフランシスコ」がモタモタしてたことから苦戦を強いられます。ヘレナのレーダーはわずかに浮上した日本の潜水艦も発見できる能力を見せつけ、駆逐艦を誘導して共同で撃沈することもありました(「伊18」と「伊172」の2隻)。また、米空母「ワスプ」が伊19の雷撃で沈没したときも、護衛していたヘレナは400人のワスプの乗員を救助しています。

 ただし、そんな活躍の裏側で「黒歴史」もありました。米軽巡ジュノーが伊26の雷撃で轟沈されたときに護衛していたヘレナは、さらなる潜水艦の雷撃を警戒してジュノーの生存者を置き去りにして逃げてしまいました。ジュノーの生存者の多くは、サメにやられたり長時間の漂流で力尽きたりして、生き残ったのはわずか10人だけでした。以前、ジュノーの悲劇として紹介した「見捨てて逃げた僚艦」とはヘレナのことです。ヘレナの艦長はその責任を負われ解任されてしまいます。

 続くクラ湾海戦で米海軍は、日本の駆逐艦「新月」を撃沈して第三水雷戦隊司令部を全滅させるなど、戦いを優勢に進めます。しかしふと見落としていた駆逐艦の雷撃を受けて、ヘレナに3本の魚雷が立て続けに命中します。1本当たれば、駆逐艦ならば轟沈、重巡洋艦でも大破してしまうという恐怖の「93式酸素魚雷」が3本も当たったのです。

ポールアレン ヘレナ 発見 クラ湾海戦で砲撃するヘレナといわれている。この直後、魚雷が命中したヘレナはわずか20分で轟沈する
ポールアレン ヘレナ 発見
戦斗詳報 駆遂艦谷風(昭和十八年七月クラ湾沖海戦)」に残っていたクラ湾沖海戦の行動図。集中砲火を浴びた新月に続航していた涼風と谷風が23時56分に魚雷を距離4000メートルで射出し、0時2分にヘレナに命中したとある

 米海軍の公式報告書「U.S.S. Helena (CL50) Loss in Action Kula Gulf, Solomon Islands 6 July, 1943」によると、ヘレナには魚雷が3分間で3本命中し、3本目の魚雷が命中してからわずか20分後に沈没します。その破壊範囲は広範囲に及び、船首部分は切断寸前、船体中央は左舷側がほぼ喪失して、真ん中からV字型に折れて沈んだと記録されています。

ポールアレン ヘレナ 発見 ヘレナに命中した魚雷によって受けたダメージを分析した報告書。魚雷1本でこんなに吹き飛ばされてしまうのですね

 しかし、そこまで深刻な損害を受けて短時間で沈んでしまったのに、1188人の乗員で戦死したのは200人未満にとどまります。その多くは日本軍が占領していた島に流れ着き、大掛かりな脱出作戦を経て救出されます。その話だけで映画1本が作れそうなほどですが、船の話とは関係はありませんので、今回はここまでといたしましょう。

写真:Naval History and Heritage Command

長浜和也

 IT記者は仮の姿で本業は船長(自称)。小型帆船を三浦半島の先っちょに係留する“一人旅”セイラー。伊豆諸島を旅するため、学連経験やクルー修行をすっとばして、いきなり1級船舶免許を取得してヨットに乗りはじめて早20年。かつて船で使うデジタルガジェットを紹介する不定期連載も。

 →「海で使うIT」


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