日本初の路面電車に実在した少年乗務員「告知人」の悲しくはかないお話(1/4 ページ)
6月10日は路面電車の日。明治時代、ボーズ頭の少年が「あぶのおまっせー!」と叫ぶ路面電車の仕事がありました。
6月10日は、6(ろ→路面)と10(テン→電→電車)の語呂合わせで「路面電車の日」です。
日本初の路面電車は、京都で1895(明治28)年2月1日に開業した京都電気鉄道会社(京電)。この京電には一時期、運転士・車掌とともに電車に乗って安全確保の仕事をした「告知人」(あるいは「先走り」)と呼ばれた「少年」がいました。
この「告知人」はどんな仕事だったのでしょう。なぜ「少年」だったのでしょう。調べてみると、この仕事はとても過酷で、驚かされるものでした。今回は日本初の路面電車にのみ存在したという幻の鉄道係員「告知人」の悲しくはかない歴史を紹介します。
「電車がきまっせー! あぶのおまっせー!」 “電車の前を走って”注意を促す業務
告知人として働いたのは「12〜15歳の少年たち」でした。現代だと小学校6年生から中学生。彼らはそろいの法被(はっぴ)を着て、運転士、車掌とともに車両に乗り込んで働きました。
告知人の仕事は、電車と歩行者の「事故が起こらないように注意を促す」こと。その方法は「路面電車の“前”、5間(約9メートル)以内を、昼間は赤旗を振って、夜間は赤ちょうちんを持って走る」というものでした。
告知人は、路面電車が人通りの多い区間に差し掛かると、赤い旗を手に電車から飛び降りて走り出します。
「電車がきまっせー! 危(あぶ)のおまっせー!」
こう叫んで周囲の歩行者に注意を促します。区間が過ぎるとまた電車に飛び乗り、次の場所まで待機します。
夜間はさらにハードです。暗くて見えませんから、告知人は赤いちょうちんを手に、何と「全区間」車両の前を走って注意を促していたそうです。
今より街灯も少ない時代、京都市内であっても日が落ちれば本当に真っ暗だったことでしょう。暗闇の中、「電車の前」を、ちょうちん片手に叫びながら走リ続ける……。つまづいて転んでしまったらどうなるの……? 疲れてしまったらどうなるの……? 想像しただけで大変そうです。
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