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日本初の路面電車に実在した少年乗務員「告知人」の悲しくはかないお話(2/4 ページ)

6月10日は路面電車の日。明治時代、ボーズ頭の少年が「あぶのおまっせー!」と叫ぶ路面電車の仕事がありました。

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少年は、そもそも電車の前を走り続けることができたのか

 そもそも、本当に電車の前を走り続けるなんてことができたのでしょうか。ちょっと計算してみました。

 当時の路面電車の最高速度は時速8マイル(※)、つまり時速約12.9キロ。実走行時は時速10キロ以内だったといわれています。当時の七条停車場から伏見区下油掛町間は約6キロの距離でした。

※ 1930(昭和5)年3月31日まで、日本の鉄道ではヤード・ポンド法が使われていました

 少年の走る速さは、スポーツ庁が公表した「平成30年度体力・運動能力調査」によると、15歳男子の1500メートル持久走の平均タイムは375.46秒(約6分15秒)で、平均時速は約14.4キロ。当時の少年の身体能力と単純な比較ではないにせよ、不可能ではなさそうです。

告知人
「電車の前」を走って注意を促している告知人の姿(画像:京都府立京都学・歴彩館所蔵「石井行昌撮影写真資料」)

 京都府立京都学・歴彩館所蔵「石井行昌撮影写真資料」に、本当に電車の前を走る告知人の姿を捉えた写真が残っていました。

 写真は明治35年、北野天満宮近くの「下の森(しものもり)」と呼ばれる地域で撮影されたもの。下の森は2020年現在も商店街があり、交通量がそれなりに多い場所です。この日は特に、北野天満宮の千年祭で参拝客が多くごったがえしていました。

 路面電車が写真中央から左下方向へ進んでいます。その前を先導するように走る少年らしき姿が見えます。疾走するかのように早い動きのためか「ちょっとブレ」ています。

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