解説
最上階に住む彼女がエレベーターを下りていく背中を見送っている=「俺」が最上階まで上ったエレベーターから降りていないこと、「定員5人」のエレベーターに「彼女」「カップル」「老夫婦」と乗っても定員オーバーになっていないことから、「俺」がこの世のモノではないことはすぐに分かります。
ポイントは、「俺」がそれを自覚しているということ。死んだことに気づいていないのではなく、意図して「彼女」をこちら側に引きずり込もうとしていると、最後の一行で分かります。つまり「怪異と会話を交わしてしまうことが、引き込まれるきっかけになる」というルール。彼は自身が怪異の呼びかけに応えてしまった経験から、それを知っていたのでしょう。
白樺香澄
ライター・編集者。在学中は推理小説研究会「ワセダミステリ・クラブ」に所属。クラブのことを恋人から「殺人集団」と呼ばれているが特に否定はしていない。怖がりだけど怖い話は好き。Twitter:@kasumishirakaba
読者が知らない「私」の盲点
ミステリには「『私』が犯人もの」というジャンル(?)があります。犯人が最初から明示されているいわゆる「倒叙もの」とは異なり、叙述トリックが仕掛けられていて、解決編で一人称的視点・語り手として登場していたキャラクターが犯人だと明かされるパターンです。
この種のミステリのサプライズとはつまり、視点人物として、読者が半ば自身と同化しながら読んでいた「よく知っているはずの人物」に、知らない「加害者の一面」があったことを知らされるという、自分の「盲点」の存在を知る驚きであり、それは「部屋を出てから友人に、ベッドの下に男が隠れていたと教えられる」系の怪談の恐怖と近いかもしれません。
今回は、ベタな「語り手がおばけでしたオチ」にさらに一捻り加え、上記のような「読み手が同化していた語り手に加害者性を持たせる」プロットを考えてみました。
もしかすると、意味怖でなくもっと長い普通の「こわい話」としても、「自分が『マジョリティ/正義だと思って立っていた側』が『悪』に転落する怖さ」……ホラーの中でも、マシスンの『アイ・アム・レジェンド』あたりを嚆矢とするゾンビものやパンデミックものが孕んでいたこの種の恐怖は、SNSにおけるデマの拡散や個人への誹謗中傷といった問題に直面している今、同時代性を帯びた「怖さ」としてトレンドになるかもしれません。
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