――私の母の友人で、北海道に住むKさんの話。
昨年のお盆のこと。Kさんの二十歳になる一人娘が帰省してきた。大学進学で上京し、一人暮らしを始めてからはバイトや課題で忙しいからと、夏冬の長期休暇にも帰ってこず、顔を見るのは二年ぶりだった。
空港で待っていたKさんは、久しぶりに会う娘の表情が硬く、伏し目がちで、夏だというのに黒い長袖のニットを着ているのもあってひどく暗い雰囲気だったのに驚いた。
元々、人懐っこく明るい娘だったのだ。
帰りの車の中でも娘はほとんど喋らなかった。
「そうだ、昔よく一緒に行ったお風呂屋さんに、久しぶりに行ってみようか」
Kさんが後部座席を振り返り、娘がぽたぽたと大粒の涙を流していることに気づいた。
家に着き、Kさんは言った。「何かあったなら教えて? お母さんはあなたの味方だから」
すると娘は泣きじゃくりながら、着ていたニットを脱いでKさんに背中を見せた。
「私のこと、嫌いにならないで」
娘の背中には、卑猥なスラングやイラスト、男の名前の刺青が、びっしり彫られていた。
上京してすぐに付き合い始めた恋人が異常に嫉妬深い男で、浮気防止と称して無理やり、彫らせたのだという。――
……というこわい話は、私がでっち上げた大ウソです。サイコ男にタトゥーを彫らされた女の子は居ないので安心してください。ここからは、この“こわい話”を解剖していきます。
白樺香澄
ライター・編集者。在学中は推理小説研究会「ワセダミステリ・クラブ」に所属。クラブのことを恋人から「殺人集団」と呼ばれているが特に否定はしていない。怖がりだけど怖い話は好き。Twitter:@kasumishirakaba
「整形失敗者」の物語でもある口裂け女
前回は、怪談が「都市伝説」として長く・広く語り継がれるために必要な条件のひとつが「多くの人が共感する教訓性を含んでいること」だと紹介し、1979年の「口裂け女」譚の流行には、「受験戦争」へのネガティブな世論が反映されていたのではないか……という話をしました。
「口裂け女」にはもうひとつ、見逃せない要素が含まれています。
それは「女性への抑圧」という、この手の都市伝説にたびたび見られるプロットです。
「口裂け女」の正体はしばしば「美容整形手術に失敗した女性」と説明されます。
ここには、「美容整形」に対する不信感と嫌悪感が反映されています。
美容整形に批判的な人の常套句に、「親からもらった体を傷つけるなんて」というのがあります。実はこの言葉のルーツは儒教で、『孝経』巻頭に「身體髪膚、之れを父母に受く、敢へて毀傷せざるは、孝の始なり」とあります。
2018年に大阪樟蔭女子大学の松下戦具氏が発表した質問紙調査の結果によれば、上述のような「道徳的信念」は、回答者が美容整形に否定的な感情を抱く、最も重要な因子となっています。
「整形=親不孝=悪」という、クラシカルな家父長制に根差した「道徳観」は、今日においても多くの人に内面化されており、「口裂け女」譚にもそれが教訓として織り込まれているのです。
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