娘の彼氏はまとも! だと思ったら……
とはいえ、劇中に出てくるのは過激派ヴィーガンやクソみたいなマウントをしてくる夫婦だけではない。例えば、娘が連れてきた彼氏もまたヴィーガンなのだが、彼は「僕は店を襲うような連中とは違います。個人的な信条を他人に押し付けたりはしません」と言ってくれる。
そうだよね、お肉を食べる人も、ヴィーガンも、それぞれが自分の信条を大切にしつつ、他人に押し付けたりしなければいいんだよね! なんだまともな人もいるじゃないか! と、安心したのもつかの間。彼は「肉食の人とキスしたら肉も食べたも同然です」「ぶどうをつぶす時だって葉虫が入っているかもしれません」など、いくらなんでもそれは厳しすぎると思ってしまうルールを次々に話し出すので、肉屋夫婦となんだかギクシャクしてしまうのだ。
こうした展開により、過激派ヴィーガンを次々に殺害するという飛躍の激しい場面だけでなく、現実にもありそうな、肉食をしている人とヴィーガンとの気まずい関係性も描いているというわけだ(それにしたって極端だが)。また、夫婦はそれでも彼に歩み寄ろうとしたり、娘の幸せを願う様を見せる(裏では過激派ヴィーガンをハムにしているけど)。
こうした視点を挟むことで、本作はただヴィーガンを敵視したりさげすむような内容にはなっていない。
また、先にも触れた『ジョジョ』では、15巻においてインドに訪れた一行が、現地の人々に囲まれ「バクシーシ」と言われ、金銭などをせびられるシーンがある。バクシーシとは、中東・東南アジアなどで根付いている、富める者が貧しい者に金銭を施すのを良しとする風習。
「ヴィーガンズ・ハム」劇中では、このバクシーシという言葉が、貧乏人を蔑む、差別的な文脈として出てくる。それもまた作り手が差別を、前述したマウントよりもさらに悪しきものとして捉えているからこそのものである。殺人もマウントも差別もダメ絶対。
本作は、「不幸の連鎖が続きすぎると、人は間違った方向にエスカレートしてしまうかもしれない」という寓話的な構造をしており、不寛容や排他主義についての普遍的な風刺が込められている。ここから反面教師的に、他者の主張を認めつつ自分の信条を持ち続けることや、お互いを尊重し合った上で話し合う重要性も学べるだろう。勝手なレッテル貼りなどよりも大切なことは、絶対にあるはずだ。
夫婦は連続殺人を繰り返していくのだが、夫のほうはあることをきっかけに、さすがに良心の呵責に耐えきれなくなる一幕もある。そうした視点から、「なんだ一定のモラルもあり、ちゃんとしているじゃないか!」と思わせるところもあった。そう、決してインモラルで不謹慎なだけの内容ではないのだ。9割5分くらいがインモラルで不謹慎だけど。ぜひ、笑うに笑えないけど笑ってしまうことも含めて、楽しんでほしい。
(ヒナタカ)
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
- 交通事故より無能な上司が大問題! “社畜”が1週間をループしつづける悪夢的コメディ映画「MONDAYS」レビュー
社畜は意外とポジティブシンキング。 - インド版「ドラゴン桜」かと思ったら殺し屋との受験戦争(物理)が勃発する映画「スーパー30」レビュー
これでも実話が9割。 - 今こそ振り返る「ワンピース」映画史上最大の問題作 細田守監督作品「オマツリ男爵」とはなんだったのか?
「ハウルの動く城」の頃の孤独と絶望が反映されていた。 - さかなクンをのんが演じてさかなクンが不審者を演じる映画「さかなのこ」レビュー
性別の違いはささいなことである。