日本初の「加熱式駅弁」は、どのようにできたのか? 詳しく解説
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全国各地から冬の便りが届くようになりました。寒い時期、鉄道旅のお供には、紐を引き抜いて蒸気で温める「加熱式駅弁」が重宝される存在です。穴子、すき焼き、牛たんから焼きそばまで、いろいろな種類がある加熱式。いまから34年前、最初の「加熱式駅弁」を発売したのが、神戸駅弁の淡路屋です。いまのような「加熱式駅弁」はいったいどのようにしてできていったのか? その開発秘話を淡路屋のトップに伺いました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第31弾・淡路屋編(第4回/全7回)
N700S新幹線電車の下り「のぞみ」号が、山陽新幹線の「六甲トンネル」に吸い込まれて行きます。昭和47(1972)年の新幹線岡山開業から間もなく半世紀。兵庫県西宮市内の山陽新幹線記念公園には、六甲トンネルの工事中に崩落事故や出水事故で殉職された54名の方の名前が刻まれた慰霊碑があります。約16kmの長い六甲トンネルを抜けると、下り列車は新神戸駅に到着します。
その新神戸駅で駅弁を販売するのが、神戸を拠点に駅弁を製造している「淡路屋」です。数々のユニークな駅弁を開発している淡路屋ですが、私が初めてその名前を知ったのは、昭和の終わり、紐を引き抜いて蒸気で温める「加熱式駅弁」の発売が、新聞・テレビ等のメディアで報じられたときだったと記憶しています。「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第31弾、淡路屋・寺本社長インタビュー、今回はこの昭和後期のお話です。
ひかりは西へ! 山陽新幹線・新神戸駅開業も「駅弁」は……
―昭和47(1972)年の山陽新幹線岡山開業によって山陽路も新幹線時代に入りました。新神戸駅が開業しましたが、この影響はいかがでしたか?
寺本:昭和39(1964)年の新幹線開業の際、新大阪で在来線特急に乗り継ぐ形になり、上り列車のお客様は新大阪で駅弁を買い求められる方が多くなりました。昭和47(1972)年の岡山開業でもその流れは変わらず、在来線から優等列車が約9割消え、売り上げは半分となり、新神戸駅でもいまほど駅弁は売れませんでした。昭和50(1975)年の博多開業では、新幹線に食堂車が連結されたこともあって、駅弁は厳しいままでした。
―新神戸は、いまでこそ地下鉄と接続していますが、当時は新幹線単独駅でしたね?
寺本:新神戸駅に停まる列車も最速の「ひかり」は通過してしまい、新神戸・姫路停車と新大阪から各停の「ひかり」、そして「こだま」号だけだったんです。これが解消されるのは、JRになって、神戸空港開港を前に、新神戸に全列車が停まるようになってからですね。いまでは上下それぞれ1本のホームですべての列車をさばいていますから、日本有数のいろいろな種類の列車が来る駅として、海外メディアの取材も来るほどになりました。
安全で美味しい「温まる駅弁」を作ろう!
―JRになった昭和62(1987)年、最初の加熱式駅弁「あっちっちスチーム弁当」を発売しましたが、これはどのように生まれたのでしょうか?
寺本:この弁当には前史があります。昭和50年代後半、当時ブームだった携帯カイロを使った「あっちっち弁当」という弁当を、郡山駅弁・福豆屋と共同で作りました。弊社ではカイロを敷いた上にすき焼きを載せていて、よく売れましたが、数年で発売を中止しました。それというのもカイロは熱が持続する分、作り手として温かい状態が続くことが衛生的に怖かったんです。このため、消費期限を短く設定せざるを得ませんでした。
―いまのような、紐を引き抜いて蒸気で温める「加熱式」の容器はどうやって開発を?
寺本:福井県のフクビ化学工業と共同開発しました。従来の駅弁同様、製造後、急速に冷却し菌の増殖を抑えます。そして、お召し上がりいただく直前に、下から一気に蒸気で加熱します。高温になる際、殺菌も可能になりました。生石灰と水の化学反応の仕組みを取り入れたのは、ある発明好きの年配の方が、フクビ化学に企画を持ち込んだのが最初と聞いています。
いくつもの失敗と改良を続けて、いまの「加熱式駅弁」に!
―「最初の」加熱式駅弁は、どのようにしてできたのでしょうか?
寺本:当初は横浜名物・崎陽軒のシウマイを温めるために活用されました。(注)ただ、駅弁に活用するためには、さらにハードルがありまして、数ヵ月ほど試行錯誤が続きました。とくに加熱装置の価格を勘案すると、ある程度、高級な食材を使わないと、駅弁としては“成立”しないんです。そこで、穴子めしを加熱式容器に詰めまして、駅弁として初めて、「あっちっちスチーム弁当」として商品化することに成功いたしました。
(注)「ジェットボックスシウマイ」……昭和62(1987)年2月~平成9(1997)年2月まで10年間にわたって販売された(情報提供:崎陽軒)。
―加熱式容器が、「駅弁」に与えた影響については、いかがですか?
寺本:駅弁業者は当時、冷えたご飯をどうにかして温めたいと考えていました。(レンチンは簡単ですが)いまでもご飯を電子レンジで温めるとパリパリになってしまいます。でも、「蒸気」で温める方法ができたことで、主食のご飯を温めるのにジャストフィットしました。一方で新幹線のお客様が召し上がった際、容器が温まりすぎて背面テーブルが変形、JRさんからお𠮟りを受けたことは苦い経験です。このため容器に熱を逃がす煙突を作ったり、断熱材として段ボールを敷くなどの改良を続けていきました。実験中、横からプシュ―っと出てきた蒸気でやけどしたこともありますよ。私も若いときで、メチャメチャ楽しかったですけれどね(笑)。
数多く販売されている淡路屋「あっちっちシリーズ」の加熱式駅弁。そのシンボル的な存在が「あっちっち但馬牛すき焼き弁当」(1400円)です。神戸らしい洋風のパッケージには、「アッちっちスチーム弁当」のロゴマークと“湯気たつ出来立て”の文字が躍って、蒸気で温める加熱式駅弁であることをアピールしています。平成28(2016)年11月からいまの但馬牛を使ったバージョンにグレードアップしました。
改めて「加熱式駅弁」の温め方をおさらいしましょう。まず、容器を水平な場所に置きます。その上で、蓋を上から軽く押さえながら、黄色いひもを素早く一気に「引き抜く」のが大事。すき焼きご飯の下で、生石灰と水の化学反応が起こっていきます(CaO+H₂O→Ca(OH)₂)。このときに発生する熱がご飯とすき焼きに伝わって、約8分で駅弁がホカホカになります。なお、封入されている生卵は、断熱素材で巻かれているので、加熱しても生のままです。
【おしながき】
・ご飯
・但馬牛すき煮(豆腐、糸こんにゃく、玉ねぎ、白菜、ねぎ、椎茸、人参)
・生卵
蓋を開け、蒸気とともにすき焼きのいい香りを浴びながら、コンコンっとやって生卵を割るのが至福のひととき。容器の真ん中に「煙突」があり、下には段ボールが敷かれているのは、工夫や改良の証です。駅弁なのに、普通のすき焼きのように味わうことができるまでには、さまざまな苦労があったことに思いを巡らせていただくと、美味しさもさらに増していきますね。駅弁、加熱式容器、黒毛和牛・生卵と、日本の文化がこのなかには詰まっているのです。
但馬牛の故郷、兵庫県但馬地方と県庁所在地・神戸を結んでいる特急「はまかぜ」が、終着・大阪を目指して上って行きます。この列車が経由する播但線(姫路~和田山間)は、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災のとき、大きな被害を受けた東海道・山陽本線に代わって、東西を行き来する人たちの迂回ルートとなりました。次回はこの震災のときのお話を伺います。
連載情報
ライター望月の駅弁膝栗毛
著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/
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