「長州藩の志士」で好きな人は誰?【アンケート実施中】

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 1853年の黒船来航をきっかけに、激動の時代を迎えることになる幕末の時代。そんな時代を駆け抜けたのが、日本という国の未来を考え活動していた各地の志士たちです。幕末に活躍した志士は数知れませんが、長州藩からは伊藤博文や山縣有朋といった、後の明治政府で重鎮を務めた人物を数多く輩出しています。

 そこで今回は、「『長州藩の志士』で好きな人は誰?」というアンケートを実施します。あなたが一番好きな長州藩の志士を教えてください。それでは、幕末に活躍した志士から5人を紹介します。

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伊藤博文

 秘密裏に欧州へ留学していた「長州ファイブ」の一人で、日本の初代総理大臣を務めた人物。若いころは松下村塾に入塾し、尊王攘夷運動に参加しています。しかし、イギリス留学をきっかけに日本と海外の力の差を知ることに。長州藩と欧米の国々との間で勃発した下関戦争の和平交渉では、通訳を務めていました。明治維新後には英語に堪能なことを買われ要職を歴任したのち、初代総理大臣に就任。その後も4度にわたり、総理大臣を務めました。

画像は「国立国会図書館 近代日本人の肖像」より引用
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桂小五郎(木戸孝允)

 吉田松陰から兵学を学んだほか、剣術にも注力し文武ともに才能を発揮したのが桂小五郎です。黒船来航の折には江戸に滞在していたため、その脅威を目の当たりにし、洋式の砲術や造船術など新しい知識をどん欲に吸収。長州藩の尊王攘夷派のリーダーとして活躍するなか、帰藩を機に姓を「木戸」に改名し、薩長同盟を締結しています。明治維新後も政府の中心人物として、近代国家の礎を築きあげました。

画像は「国立国会図書館 近代日本人の肖像」より引用
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久坂玄瑞

 久坂玄瑞は、高杉晋作と共に「松下村塾の双璧」と称され、「松門四天王」にも数えられた人物です。吉田松陰の死後は尊王攘夷派の急先鋒として活動し、藩の方針を尊王攘夷に転換させるなど大きな功績を残します。しかし、八月十八日の政変をきっかけに起きた禁門の変で敗れたことから、若くしてこの世を去りました。

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高杉晋作

 久坂に並び「松下村塾の双璧」と呼ばれたのが高杉晋作です。上海への留学時に、清国が戦争に負け欧米諸国の支配を受けている実情を目にしていたことからか、尊王攘夷派のなかでも過激な思想の持ち主でもあり、建設中の英国公使館を焼き討ちするなどの行動を起こしています。1863年には身分を問わず参加できる「奇兵隊」を立ち上げ、討幕運動の中心として活躍することになります。しかし肺結核に侵されていた高杉は、1867年に明治の世を見ることなく亡くなりました。

画像は「国立国会図書館 近代日本人の肖像」より引用
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吉田松陰

 吉田松陰は、多くの志士を輩出した「松下村塾」を開いた人物として知られています。幼いころからその才能は知られており、わずか11歳で藩主に兵学の講義をしたことも。海外への密航を試みるも失敗し牢獄に投じられていましたが、解放された後に「松下村塾」を開くことになります。幕府が無勅許で日米修好通商条約を結んだことから痛烈に幕府政治を批判しており、「安政の大獄」において死罪となり、この世を去りました。

画像は「国立国会図書館 近代日本人の肖像」より引用
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「長州藩の志士」で好きな人は誰?

 長州藩の志士から、5人を紹介しました。このほかにも、「長州ファイブ」に数えられる井上馨や、優れた兵学者として活躍した大村益次郎など、数々の志士を輩出しています。

 今回のアンケートでは、23人の志士を選択肢にピックアップしていますが、投票したい志士が選択肢にいない場合は、その他に投票してコメント欄でその名前を教えてください。それでは、投票お待ちしております。

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