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第9位

 第9位は同率で2人の組長がランクイン。1人目は谷三十郎でした。新選組へ入った時期は不明ですが、1865年から七番隊組長を務めました。池田屋事件では土方隊の組に所属し、ぜんざい屋事件では大坂焼き討ち計画を未然に防ぐことに成功しています。

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第9位

 同率で第9位にランクインしたもう1人は、鈴木三樹三郎でした。1864年に新選組へ加入し、1865年に九番隊組長になったとされています。1867年には兄・伊東甲子太郎とともに新選組を離れて御陵衛士に属するも、後の油小路事件で兄を失ってしまいました。

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第8位

 第8位は武田観柳斎でした。1863年に新選組へ入り、1864年には副長助勤に抜擢され、後に五番隊組長を務めました。池田屋事件において攘夷派の志士であった古高俊太郎を捕縛した人物という説もあります。1866年に新選組を脱退。1867年に倒幕活動を企んでいたことが露見し、暗殺されました。

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第7位

 第7位は松原忠司でした。新選組の前身である壬生浪士組に入隊し、その見た目から「今弁慶」の異名をとったとされています。1864年の池田屋事件では土方隊に属して戦果を挙げ、その活躍が認められて1865年の組織再編で四番隊組長となりました。

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第6位

 第6位は井上源三郎でした。天然理心流の道場において、後の新選組局長・近藤勇の兄弟子にあたり、1862年に近藤や土方とともに浪士組に参加。池田屋事件では8人の浪士を捕縛してみせ、その活躍から翌年の新選組の組織再編で六番隊組長を任されました。

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