歴史好きにはたまらない、戦国武将たちの生き様。歴史を変えた偉業や思想、武勇伝などの要素が相まって、好きな大名や武将がいる人も多いでしょう。ドラマや漫画・ゲームなどでも、主人公として数々取り上げられているため、そこからハマる人も多いはず。
そこで今回、ねとらぼ調査隊では、「あなたの好きな戦国時代の大名は?」という人気投票を開催します。あなたが好きな人物を選んで、ぜひ投票してください!
なお、今回は、織田信長が台頭するきっかけとなった「桶狭間の戦い」(1560年)から、天下分け目の合戦となった「関ヶ原の戦い」(1600年)までの間に活躍していた主な「戦国大名」および「大名に出世した武将」をピックアップして紹介します。
織田信長
尾張の戦国大名にして「尾張の大うつけ」こと織田信長は、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取って大きな勝利を収めたことで、一気に歴史の表舞台へと駆け上がっていきます。冷酷なイメージもありながら、身内への愛情や遊び心のあるエピソードも多くあり、多様な魅力を持つ大名です。
豊臣秀吉
一説によればその出自は農民もしくは下級武士であったとされていますが、織田信長に仕えて数々の功績を築き上げ、最終的には太閤・関白にまで大出世を成し遂げた英傑です。死後も豊臣家のために尽力する武将や大名など多くの信奉者を生み、人の心を掴むのがうまかったと伝わっています。
徳川家康
三河国の戦国大名にして信長、秀吉に並ぶ英傑の一人。もとは今川家に仕えていましたが、桶狭間の戦いで今川義元が討たれたことで独立。織田信長と同盟を結びます。その後、豊臣秀吉に仕えたのち秀吉死後に天下を統一。江戸幕府を開き、数百年にわたって戦のない平和な時代を築きました。その功績は海外でも高く評価されています。
武田信玄
甲斐国の戦国大名。戦国最強とも称される騎馬隊により数々の勝ち戦を収め、「甲斐の虎」とも呼ばれた高い人気を誇る大名です。荒々しいイメージが強い一方で、非常に人間くさいエピソードも多数残されています。
上杉謙信
越後国の大名にして関東管領。戦国時代でも屈指の戦上手とされる戦国大名です。武田信玄の宿敵であり、川中島の戦いでは何度も相対しました。また、毘沙門天の化身を自称し、その神がかり的な強さから後世には「軍神」や「越後の龍」とも称されました。
斎藤道三
美濃国の戦国大名で、「美濃の蝮」という異名でも知られています。かつての通説では、油売りの行商人から成り上がり、“国盗り”を果たして大名となったとされていました。娘の帰蝶は織田信長の正室となったため、信長の義父でもあります。
今川義元
駿河国および遠江国にまたがる広大な領域を支配した大名。桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討ち取られてしまいましたが、三河国や尾張国にまで勢力を拡大させるなど今川氏の最盛期を築き、「海道一の弓取り」の異名を取りました。
北条氏政
難攻不落で知られる小田原城を拠点とする相模国の戦国大名。名君と言われた父・氏康の跡を継ぎ、後北条氏の最大版図を築きあげたものの、豊臣秀吉に最後まで抵抗したため「小田原征伐」により敗れ、切腹しました。北条氏を滅ぼした暗愚な大名というイメージが強いですが、近年の研究では決して無能な大名ではなかったとされています。
明智光秀
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公。織田信長が高く評価したとされる優れた武将です。1582年、突如として謀反を起こし「本能寺の変」によって信長を討ち取るも、羽柴秀吉の前に敗れ去ります。謀反に至った理由については諸説あるほか、その後も生き延びていたのではないかとする伝説も残されている謎めいた人物でもあります。
前田利家
加賀藩主前田氏の祖として知られる戦国武将にして大名。織田信長に仕えて功績を上げ、同じく信長の家臣であった羽柴秀吉の盟友ともなります。秀吉時代には宿老として仕え、のちの「加賀藩百万石」の礎を築き上げました。若い頃は目立ちたがり屋で「傾奇者」とされており、槍が得意だったことから「槍の又左」とも呼ばれました。
毛利元就
安芸国の戦国大名。優れた策略家とされており、小さな国人領主に過ぎなかった毛利家を、わずか一代で中国地方を手中に収める巨大勢力へと成長させました。毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の3人の息子たちへ結束を促すために語ったとされる「三本の矢」の逸話でも知られています。
長宗我部元親
土佐国の戦国大名。土佐の国人から大名へと成長し、阿波・讃岐・伊予の各国へと侵攻。幾多の激戦を繰り広げながら、悲願の「四国統一」を成し遂げるべく勢力を拡大していきます。しかし、最終的に豊臣秀吉に敗れ、土佐一国を安堵されるに至りました。彼の四男である盛親やその息子たちは、悲劇的なエピソードでも知られています。
真田昌幸
武田家に仕えた後に独立し、優れた策を講じて真田家を存続させた頭脳派の大名。2度の戦で徳川軍を退けた話も伝わっています。大河ドラマ「真田丸」でも人気を博した、真田信之・真田信繁兄弟の父としても知られています。
黒田孝高
軍師「黒田官兵衛」または黒田如水としても知られる戦国武将にして大名。信長、秀吉、家康に仕え重用されたのち、筑前国福岡藩の藩祖となりました。特に秀吉時代のエピソードはよく知られており、そのあまりの優秀さには秀吉も恐れをなしたとか。
島津義久
薩摩国の戦国大名。家督を継ぐと次第に勢力を拡大し、耳川の戦いでは九州最大の戦国大名であった大友氏に大勝し、沖田畷の戦いでは九州三強の一角であった龍造寺氏を撃ち破るなど、九州全土にその名を轟かせます。その後、猛将として名高い島津義弘など優秀な弟たちや家臣団と共に、強固な勢力を保持したまま戦国の世を生き抜き、江戸末期まで続く大名・島津氏の礎を築きました。
石田三成
五奉行のうちの一人として、豊臣政権のブレーンとして活躍した知将。豊臣秀吉の死後、勢力を拡大する徳川家康を打倒するために決起。毛利輝元を擁立するなど諸大名を仲間に引き入れ西軍を組織し、関ヶ原の戦いに挑むも徳川家康率いる東軍の前に敗れます。秀吉への忠誠心の厚さや悲劇的なエピソードで高い人気を誇っています。
加藤清正
豊臣秀吉から高い評価を受け、「賤ケ岳の七本槍」の1人として知られる武将。秀吉の死後は石田三成らと対立し、関ヶ原の戦いでは盟友の福島正則と共に東軍に所属。戦後は熊本藩主となりました。築城の名手としても知られ、熊本城を築いたことでも有名です。
伊達政宗
出羽国と陸奥国の戦国大名で、のちに初代仙台藩主となりました。幼少期に隻眼となったことから「独眼竜」の異名でも知られています。若くして伊達家の当主となり、目を見張る勢いで勢力を拡大しました。天下統一への野心も強かったとされ、生まれた時代が遅すぎたという声も。また、派手な自己プロデュース力の高さも魅力の1つです。
その他
戦国武将や大名の数だけ、熱い戦いがあり、壮絶なドラマがあります。少しずつ紐解かれてゆく人柄なども加えて、群雄割拠の戦国時代にロマンを感じる人は少なくないことでしょう。
今回は主要な「戦国大名」および「武将から出世した大名」をピックアップして紹介しました。しかし、もちろん武勇にあふれる優れた名将は数多く存在します。ピックアップした中に好きな大名がいない場合は、「その他」に投票のうえコメントをよろしくお願いします。
それでは、アンケートへのご投票および各大名への愛のあるコメントをお待ちしています!
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