「食えなければ飢え死にしなさい」その言葉が紀里谷和明のキャリアに火をつけた 対談小説:鏡征爾(1/3 ページ)

開始10分。紀里谷さんは言った。不意打ちだった。「きみは何を恐れているんだ?」

» 2017年09月26日 12時00分 公開
[鏡征爾ねとらぼ]


 地獄に鳴る音楽のように、
 この物語があなたに届きますように



1 暗闇を光に

 長い暗闇を抜けると、煌(きら)びやかな六本木ヒルズの建物がみえる。
 日比谷線C出口、地下コンコース直結です。そんなグーグルマップの解釈に騙されるように、僕はインタビュー現場にやってきた。
 慣れない場所、慣れない機材、そして初めての対談――。
 指の震えは寒さのせいだけではなかった。

 そもそもの企画の発端は、単純だ。
「若者の悩みに答える小説が書きたい」
 だが大手ポータルサイトで小説連載を開始することになったとき、普通に作家の私小説を書いてもつまらないんじゃないか。と思った。編集長の須田もぼさぼさのあたまで同意してくれた。
 私小説とは、日本文学の伝統につらなる表現形式で、私事を語ったもの。
 要するに作者の日常を語ったものだ。
 だから個人の悩みとは相性がいい。
 だけどここに、近代における共同性の問題が横たわる。
 共同性とは平たくいえば、「わかるわかる」という感覚。「ああそれみんな思ってるよね」という感覚。「その音楽みんなすきだよね」という感覚。だがそれが成り立たない、あるいは非常に成り立ちにくい時代に僕らはいる。
 うーん。太宰治をイメージしてもらえるとわかりやすい。
 “恥の多い生涯を送って来ました”
 そんなフレーズから始めたときに、「ふーん。で?」と言われてしまう、そんな社会に、僕らは生きている。
 おまえの人生なんて興味ない。誰かの人生なんて興味がない。誰にでも興味があるのは、他の誰でもない、自分自身の人生の物語だ。
 だから、語るに値する人間の物語でなければならない。
 そのために、語るに値しない人間の悩みを必要とする。
 僕のような。

 僕は作家であり、東京大学の学生であり、駅前でティッシュを配るアルバイターだが、語るすべを持たない。
 20歳前後に書いた小説でレーベルで初の大賞を受賞し、期待されデビューしたものの鳴かず飛ばず。ボロボロの靴を履いてクリスマスのイルミネーションを独り彷徨(さまよ)う、青春の亡霊のような社会不適合者に過ぎない。
 西尾維新氏や舞城王太郎氏や佐藤友哉さんといった、圧倒的な実績を残し続けるレーベルの先輩作家のみならず、古市憲寿や乙一さんや森川智喜といった友人や知人や後輩作家たちが、次々と輝かしい舞台に上がるなかで、希望の残飯をあさるように原稿に向かっている男……。
 そんな男が、初めて誰かに会いたくてタイプした。

 Subject:紀里谷監督、会って下さい。

 メールを送る3時間前。僕は急行列車に飛び乗り「ラスト・ナイツ」を見に行った。
 折しも11月14日公開初日。
 場末の、寂れた映画館のレイトショー。
 劇場内は静かで、甘いポップコーンの匂いがして、微かな胸の期待とともに、
すべてが硬いフロアを打ち鳴らす靴音の向こうに隠れていく。
 何かが始まるような予感と、絶望を包み込んでくれるような暗闇。
 その暗闇に一条の光が射しこみ、銀色のタイトルコールの直後に、アークライト・ピクチャーズの名前を見たとき――胸に浮かんだのは次の言葉だった。
 暗闇(アーク)を光(ライト)にする。
 たった2時間の映画が、自分の心の深い暗闇を照らしてくれるような、そんな予感がして、そしてそれは見事に当たった。

 復讐(ふくしゅう)を果たし、
 最後に顔をあげたクライヴ・オーウェンの表情が――
 暗闇に射し込む光のように瞳に焼き付いて離れなかった。



2 D +Arc Light な風景

 自分の瞳に映る世界をどう表現すべきだろう。
 超高層ビルの圧倒的な風景が、現実感のない夢のように眼下に広がる。
 煌びやかな服を着た業界人が、対談場所の豪華なフロアの一室に詰めている。
入れ替わり立ち替わり現れる人影が、ガラスの向こうの空をシャッフルする。
「あ……紀里谷監督だ」
 誰が口にしたわけでもないのに、誰が教えてくれたわけでもないのに、わかってしまった。
 周囲の空気が一瞬で変わって、そして待ち人はやってきた。
 紀里谷和明。
 ハリウッドでモーガン・フリーマン、クライヴ・オーウェンといった名優達と渡り合い、傑作を完成させた映画監督。宇多田ヒカルのミュージック・ビデオ、「traveling」「FINAL DISTANCE」などで注目された鬼才。中学を2年で修了するというウルトラC(そもそもそんなことができるのか?)を成し遂げ、単身アメリカに渡りNYでキャリアをスタートさせた一流の写真家。
 少年の頃から好きだったんだ。
 でも、僕はもう少年じゃない。
 弱かった、何もできなかった自分じゃない。
 紀里谷監督だって普通の人間だろ?
 まあ大丈夫だろ。僕だって作家の端くれ。著名人には慣れている。いつも通りの自分で、いつも通りに気侭に、傲慢(ごうまん)に見られてしまう態度を封じこめてマシンガンみたいに喋れる。
 そうやって、若者の悩みに答えるという使命を果たすのだ。幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた彼から、わかりやすい答えを引き出すのだ。
「死について」
「居場所がないことについて」
「物事を相対化してしまう日本の教育システム」
 その3点について、明確な解答を得るのである。
 そう言い聞かせて、僕は彼と向き合い、対談形式のインタビューの席に着いた。
「よろしくお願いします」
 そして――当初の目論見(もくろみ)は、粉々に砕け散った。


紀里谷和明

3 紀里谷和明はバガボンドの鬼剣士のようだ

「今日は『ラスト・ナイツ』のお話を伺いながら、『理想と現実』をテーマに、若者の悩みにもひらいていけたらな、と思います」
 そんな風に、淡々と、僕は始めた。
「紀里谷監督はこの十年間、悩み、苦しみ、『死』すら考えたと仰っています。
でもその苦しみを超えて、衝動を形にし続けている。そんな監督の経験を、伝えていただけないだろうかと思ったんです」
 紀里谷監督は、僕を見つめたまま、動かない。
「――『理想で暗闇を照らす』というバルトーク卿の死の直前のセリフがあります。そうやって彼は剣を授けた。魂を託した。それがなぜか僕らへのメッセージであるかのように思ったんですね。この強さはどこからくるのだろう。そう考えたときに、どうしても監督の強さがかぶるんですね」
 紀里谷監督は、動かない。ジッと、僕を見つめている。
「監督はハリウッドに突き抜けて、アメリカに中学で突き抜けて、映像の表現からも突き抜けてしまっている。だからハリウッドの話、アメリカの話、映像表現の話。まずはこの3点について、突き抜けるという観点から伺いたいんです」
 ――こんな語りから始めた僕の意図は、単純だ。
「絶望を乗り越えた英雄譚にしよう」
 そうすれば、最もわかりやすく、最も単純に、読者に届く。
 パッケージングとしては悪くない。矢沢永吉の『成り上がり』で糸井重里がとった手法であり、飯野賢治の『ゲーム』で太田克史がとった戦法であり、しかも劇場公開は既に始まっている。作品は短時間で仕上げる必要がある。
 でも――言い終えると紀里谷さんはこう言ったんだ。
「OK きみの狙いはわかった。だが突き抜けるって何かっていうことだろう。
何に突き抜けるってことになる。それは壁であったり雑多な問題であったりする。だがおれがいいたいのはどっちに問題があるのかってことなんだよ」
 僕は開始10秒で悟った。
「あ。終わった」
 これまで必死で築き上げてきたものがガラガラと音をたてて崩れていくのを感じた。それは今回の企画のために組んだシナリオが完全に役に立たないという計算であり、自分の生き方を根本から見直さなければならないという直観だった。



4 突き抜けるのではなく突き詰める

 テープを止めて暗闇のなかで考える。
 1分間を文字に起こすのに1時間も2時間もかかってしまう。
 何度も何度も擦り切れるほど再生して、宙を見上げて頭を抱えて考える。
 紀里谷さんはこう続けた。
「映画の宣伝なんてどうだっていいよ」
 マーロン・ブランドのように顔の前で片手を返して、彼は続ける。
「まず壁というものを前提として肯定してしまって、それがあるから突き抜けなければいけないと思うのか。それともただ単に自分がやりたいこと。やらなければならないこと。当たり前だと思うことをやるのか。考えなければならないのはそこだ。要するにその信念がないかぎり突き抜けるがための突き抜けるという話になっていくわけだろう」
 だからハリウッドであれだけのことができるのか、と僕は聞いた。
「でも当たり前のことだぜ」
 そういって紀里谷さんは煙草を吸うように糖分を摂った。
「ハリウッドなんて当たり前のことなんだ。海外の人からすると当たり前なんだよ。日本国という既得権益を信じて、そのなかで――日本語の言語を喋るという既得権益が当たり前だと思ってしまっている。他が言っているのはそことの比較でしかないわけだ。相対的な話でしかないわけだよ。相対論なんてどうでもいい。ハリウッドという括りすらどうでもいい。おれは映画監督という肩書だってどうでもいいんだ。おれは当たり前のことをやっているだけなんだよ。スピルバーグだってデヴィッド・フィンチャーだって普通にやっているじゃないか。おれは当たり前のことを当たり前にやっているだけなんだよ」
 そしてまた紀里谷さんは砂糖菓子を口に入れた。才能は糖分を必要とする。
「だから自分たちで壁をつくりすぎなんだよ。多くの人たちは相対性の壁をつくりすぎてる。日本人とすらおれはいわない。日本人というくくりなんてどうでもいい。誰もが自分で壁をつくりすぎなんだ。わかるか」
 僕は念入りにティーカップのスプーンをかき混ぜた。
「OK 続けるからついてこい。おまえはわかるはずだ。どいつもこいつもヌルすぎる。誰も彼も相対的すぎる。そうやって自分たちで<檻>に入っていくわけだろう? 例えば東京大学という檻がある。日本では最高権威とされているような檻でもある。しかし檻でしかないわけだよ。檻に入ってしまったらその東京大学という権威に縋る。だがそこで何を学ぶかということが重要なわけだろう。その行為で何につなげるのかってことが重要なわけだろう。ただ単にそれだけの話であって、それは単なるラベルでしかなくて、肩書でしかない。
だがそれが既得権益になってくわけだ。東京大学という名の既得権益。それはつまらないことだろう。なぜならそこには自分がいない」
 僕は途中から黙り込んでしまった。
 目の前にいる人間の顔がぼやけている。
 暗闇にらんらんと光る猛獣の眼球のように、高層ビルの逆光に照らされた紀里谷さんの瞳だけが、意識の空白に浮かんでいる――。



5 それで食えなければ飢え死にしなさい

「なぜならそこには自分がいない……『ブツッ』」
 僕はテープを止めた。たった数十秒の文字を起こすのに2時間も3時間もかかってしまう。どんどん時間が延びていく。自分と向き合う時間が圧倒的に増えていく。
 僕はまた独房のような雑居ビルで、スイッチを押す。自分のヘンテコな声が聞こえてくる。
「紀里谷監督はニューヨークでの新人時代に15ページの企画の依頼をうけましたよね」
 そうだ、紀里谷さんだって人間だ。最初から吹っ切れていたわけじゃない。
そのことをあらためて思い出したのである。
「監督は売れるものをつくるために当時売れているものを研究した。流行に寄せることもやった。売れているものをつくらなければいけないと思っていた」
「それやってた。おれ」
 砂糖菓子を口に放り込みながら、鋭い瞳で僕を見る。
「そのときの当時の編集者とのやりとりが記憶に残っています。『どんなものをつくればいいですか』『あんたがつくりたいものをつくるべきよ』『でもそれじゃ食えないですか』『それで食えなければいいのよ。やりたいことをやって食えなければ飢え死にしなさい』当時二十代だった監督は、その言葉に衝撃を受けた」
 紀里谷さんは、彼のキャリアの転機となった出来事を、とても丁寧に説明してくれた。
「そうだな。まず――第三者認証があってそれが必要だとされる。もちろんビジネス。お客さんが入ってもらわなければ困ってしまう。すごいお金を使ってやってるわけだから」ハリウッドでの映画制作には、何十億、何百億というお金がかかる。
「例えばそれをやっていると仮定する。それに従い、そのロジックに従い、第三者認証を第一義として考えてやるとする」
 一般論から、彼の創作観――いや、人生の哲学ともいえる内容に踏み込んでいく。
「だが、それが100パーセント売れることなどないわけだよ。確率論の、問題なんだけどさ。しかし顧客視点はありつつも、やはり自分が信じてるもの、良いと思うもの、このために生きて居るという衝動に向き合ったものを提案しない限り、ではなぜその仕事をしてるのかという話になる。ただの金銭それ自体の獲得が、目的なのであれば、他にもっと効率のいい仕事なんて大量にあるだろう。極論だが、統計的には、デイトレード等の方がまだ確率的にはいい。確率的にいい金儲けの手段なんていっぱいあるわけだよ。だが何故それをやってないのかというところなわけだ。まずは。スタート地点は。すごくすごく考えなければいけないことは。思い知らなければいけないことは。で。そのために自分は生きてるのだという認識があれば、それができないとなれば死んでもいいだろうという話になる。それだけの話だよ」
 僕はテープを止めた。
 聞くのがつらかった。どうして聞くのがつらいのだろう? だが地獄の採録はまだまだ続く。先方(kiriya pictures)から催促がくる。僕は書かなければならない。この原稿を完成させなければならない。僕はスイッチを押す。

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