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» 2018年11月17日 11時00分 公開

「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレレビュー 伏して拝むがいい、黄金のまどろみを

ついに完結。

[将来の終わり,ねとらぼ]

 2018年は国産アニメ映画の当たり年といっていい年となった。4月に公開された「名探偵コナン ゼロの執行人」は興行収入90億円を突破。「ドラえもん のび太の宝島」も歴代最高の動員数を記録し、「文豪ストレイドッグス DEAD APPLE」はロングランを記録。最近では「劇場版 若おかみは小学生!」が口コミによる上映数再拡大など異例の現象が続いた。

 そんな中、前年から公開された「怪獣惑星」「決戦機動増殖都市」に続く日本を代表するポップアイコン、ゴジラのアニメシリーズ劇場三部作最終章である本作は、その最後までがどういうべきか、飲み込みづらい作品となってしまっている。


「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレレビュー 伏して拝むがいい、黄金のまどろみを (C)2018 TOHO CO., LTD.

★以下、「GODZILLA 星を喰う者」のネタバレを含みます


「怪獣プロレスをしない」という確固たる意志

 前作「機動増殖都市」は不満点が多々残る作品だった。1作目の「怪獣惑星」に続きキャラクター周りの描写があまりにも粗雑であること、見せ場がないからねじ込んだようにしか思えない意味を持たない中途半端な戦闘シーン、そして何よりメカゴジラが出てこないことだ。


「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレレビュー 伏して拝むがいい、黄金のまどろみを ソフビ化はされたものの、ついぞ本編で活躍の機会がなかったメカゴジラ

 アニメでゴジラをやると決めたとき、制作側に「本シリーズでは怪獣プロレスを行わない」という確固たる意志と戦略があったこと自体は理解できる。日本のCGアニメーションでいかに努力したところで、公開を控えているレジェンダリー版怪獣プロレスとなるはずの「モンスターバース」シリーズの怪獣大戦争にはひいき目に見ても及ばないだろう。

 であれば「怪獣」という現象に立ち向かう人間たちを描くことで新しい怪獣映画を作ろうという気概は前二作から見てとることができたし、少なくとも前日譚小説「怪獣黙示録」「プロジェクト・メカゴジラ」はそこを見事に突いた傑作だった。


ギドラは登場したものの

 では「星を喰う者」はどうだったか。 前作でビルサルド側の裏の顔が明らかになったように、今作ではエクシフ側の陰謀が明るみに出る。またもゴジラとの戦いに破れたことで精神的に弱ってしまった人類側は、もはや科学の力ですらゴジラには敵わないとエクシフの高僧・メトフィエスにいいように拐かされてしまう。

 ナノメタルに侵食され脳死したユウコを前に、ハルオは終末思想に染まるカルト宗教信者と化した部下を全く制御できない。そんな中エクシフのあがめる神であるギドラの力を用いてのみゴジラに対抗できると、自らの当初よりのもくろみを遂行しようとするメトフィエス。


「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレレビュー 伏して拝むがいい、黄金のまどろみを 3章で重要な役割を担うメトフィエス(画像はYouTube公式予告編より

 狂った祈りと多くの犠牲により、ついに予告編でも大々的にフィーチャーされたゴジラ最大にして最強のライバルが登場する。ゴジラを覆い尽くす黄金の三ツ首が輝くティーザーポスターが期待を煽ったギドラである。登場しないメカゴジラの詐欺ポスターの前科が頭をよぎるなか、ギドラは確かに登場した。だがスクリーンに現れたのは前回の「ポスターと全然違う」戦闘シーンの真逆、「ポスターの絵から少しも動かない」、絡み合うゴジラとギドラの全く変化のない塩試合だ。


「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレレビュー 伏して拝むがいい、黄金のまどろみを 動きが乏しすぎる対決

 別の宇宙・高次元の存在であるギドラはワームホールから長い首だけを登場させ、ゴジラからの攻撃を一切受け付けない。それで何をするかといえばゴジラにかみつきエネルギーを吸い取るのみ。人類側はといえばその泥仕合を観戦し、機械の不調を訴え、実況するだけの存在と成り果てるのである。


黄金のまどろみのなかで

 英雄であるはずのハルオはその戦いの最中なにかをしているのかといえば、マイナやメトフィエスと禅問答を繰り広げ、自らのインナースペースに潜り、人類にとっての勝ちとはなにか、怪獣とは何なのか、自分はどうするべきなのか? を自問自答し続ける。「それっぽさ」だけが支配する空間、変化のない画作りの中、とにかく会話のみによって。

 単調な戦闘の合間に単調な映像を挟み込み続けるという発想はなかなか出きるものではない。ただ、一体この映画は何なのだろうという思いがまどろみとともに訪れはじめたとき、ハルオがたどり着く最後の結論だけは評価したいと思う。

 おごりの下進められる発展の先には自滅だけがあるというメッセージと共に自らを世界から消し去る行為は、1954年版「ゴジラ」の芹沢博士の最期とも繫がるものだ。しかしやはり、結果として人類が命をつなぐだけの存在に成り果ててしまうのであれば、それは宇宙船の中で死を待つだけの物語のスタート地点と等しく、やはり家畜となんら変わりない。本作はもとよりそのような生き方に反旗を翻す物語であったと思うのだが……。


「GODZILLA 星を喰う者」ネタバレレビュー 伏して拝むがいい、黄金のまどろみを 本作の主人公・ハルオ


 これがハルオの物語なのであれば、自らの無策と考え足らずで人類という存在を滅ぼした身勝手な男の話だということになる。その種の物語でも成功しているものは存在する。ただ、この三作を通して描かれた、愚かで、脆く、ストーリーの推進力を持たず、終始場当たり的に動き続ける彼の姿からそれを感じ取るのは難しい。

 振り返ってみればこの映画に描かれたのは、人類の完膚無きまでの完全敗北だ。そういう意味では少なくとも新しいゴジラ映画の形ではあったのかもしれない。脚本のとがり具合でいえばおそらく随一だろう。これまでのシリーズ同様本作も間もなくNetflixでの配信が開始されるはずだが、もし本作の鑑賞を検討するのであれば、間違いなく映画館に行くことをお勧めしたい。停止して他の作品を見始めない自信がある方、あるいはGolden Slumber(黄金のまどろみ)を楽しみたい方を除いて。

将来の終わり

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