だって、艦橋の形が「陽炎型」なんですもの(仮)
艦隊これくしょんの「9・11」アップデートで「夕雲」とともに登場したのが「秋雲」だ。Wikipediaのおかげで、今では「陽炎型」という認識が一般的だが、起工は「夕雲」が早く、陽炎型後半の艦名は“風シリーズ”が続いていたため、長らく「夕雲型の2番艦」と思われていた。

秋雲型が陽炎型として広く認識されたのは、「世界の艦船」1994年4月号に掲載した田村俊夫氏執筆の「新事実発掘! 駆逐艦秋雲は陽炎型だった」を参考文献として紹介したWikipediaの記述からだが、その田村氏の記事の中では、秋雲陽炎型説を早い段階に一般誌で紹介した例として、「世界の艦船」1966年年5月号掲載の連載「日本海軍艦艇史資料(1)」に書かれていた、「一等駆逐艦陽炎型の項中「舞風」の下に「秋雲」を加える」(1941年3月25日内令246号)という記述を挙げている。

田村氏の記事では、起工は夕雲の後だったが、予算的な順番は秋雲が仮称第115号艦で夕雲の仮称第116号艦より早く、かつ、秋雲夕雲を建造したマル四計画における艦型概要の指示で「第4艦(陽炎級「嵐」の仮称112号艦から秋雲の仮称115号艦まで)迄は海軍補充計画に依る第17号艦(これが陽炎型)と同型とする」といった計画書記述や、秋雲の公式図面にある寸法(各部陽炎型と同じ)と図面履歴(陽炎型図面を秋雲用に振り替えている)、そして、Wikipediaでも引用している秋雲の艦橋写真などから、秋雲が陽炎型であると説明している。
「秋雲」は開戦直前の1941年9月に就役して以来、「夕雲」とともに、第5航空戦隊直属として空母「翔鶴」「瑞鶴」の直衛として真珠湾攻撃に参加した。以後、珊瑚海海戦を除いた第二次ソロモン海戦と南太平洋海戦という空母戦でも「翔鶴」と「瑞鶴」を護衛している(彼女たちが参加しなかったミッドウェー海戦でも空母部隊を直衛している)。それゆえに、“艦これ”的には、「『翔鶴』『瑞鶴』を守る気満々じゃないの?」と妄想が進むのであった(という思考がごく普通になってしまう艦これの怖さ)。
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