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その生涯を空母の守りと対空戦闘に捧げた娘
駆逐艦「巻雲」は、夕雲型の2番艦で1942年(昭和17年)3月14日に大阪は藤永田造船所で竣工した。同じ造船所では一緒に“艦これ”に加入した「長波」も生まれている。

「巻雲」の戦歴で最も有名なのは南太平洋海戦で大破した米海軍航空母艦「ホーネット」に「秋雲」とともに雷撃して撃沈した功績だろう。日本の駆逐艦が敵の航空母艦を雷撃して撃沈した事例はほかにない。そして、巻波、いや、巻雲が敵を雷撃した戦闘もこれが唯一となった。このことが物語るように、巻雲の戦歴は、終始第一線の空母機動部隊とともにあった。
竣工直後から夕雲型の「夕雲」「風雲」、そして、陽炎型の「秋雲」とともに第10駆逐隊を編成し、航空母艦の主力を直衛する第10戦隊に所属して、1942年6月のミッドウェー海戦に参加する。このときの配置は輪形陣の最後尾で空母「加賀」の後方を守った。1942年8月の第二次ソロモン海戦でも「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」基幹の第3艦隊本隊の直衛を務め、輪形陣最後方で「瑞鶴」左舷側を守っている。
輪形陣の後方には有力な防空担当艦を配置することが多く、その意味では、最大仰角75度と限定的ながら対空戦闘にも対応できる12.7センチ連装砲D型を採用した夕雲型「夕雲」「巻雲」の定位置となっていた。



巻雲は、1942年10月の南太平洋海戦にも参加したが、このとき主力空母直衛を務めたのは、“九八式10センチ六五口径高角砲”を搭載した最新鋭の駆逐艦「秋月」「照月」で、巻雲は本隊20海里先を進む戦艦「比叡」「霧島」重巡洋艦「鈴谷」「利根」「筑摩」基幹の前衛部隊を護衛し、激しい対空戦闘を経験した。
唯一水上打撃部隊として行動したのは1942年11月の第三次ソロモン海戦だが、このときは、重巡洋艦「鈴谷」「摩耶」を基幹とする外南洋部隊支援隊の直衛を務め、12日夜の第一次戦闘でも14日夜の第二次戦闘でもなく、13日夜にガダルカナル島北岸に突入してヘンダーソン基地の艦砲射撃に成功した。ただ、このときも敵魚雷艇との砲雷撃戦は起きず、結局巻雲は、帰途途上で対空戦闘を3時間ほど行っただけだった。
その後も、ニューギニア北東海岸への輸送作戦に従事してまたまた対空戦闘を実施する。そんな、対空戦闘に明け暮れた巻雲も、1943年2月1日のガダルカナル島撤退作戦「ケ号作戦」において、敵機雷に触れて損傷。航行不能となり、就役以来、第10戦隊でともに戦ってきた夕雲の魚雷で処分された。
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