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好調のときは下積みで苦境のときには大活躍
駆逐艦「時雨」は、白露型2番艦にして1936年(昭和11年)9月7日浦賀船渠の生まれ。太平洋戦争では1944年10月25日のスリガオ海峡海戦で唯一生き残るなど強運の持ち主として「呉の雪風、佐世保の時雨」と呼ばれるほどに有名な艦だ。

ただ、雪風が太平洋戦争の開戦初頭から著名な海戦に参加して第一線で活躍していたのに対して、時雨は、第1艦隊第1水雷戦隊第27駆逐隊に所属して戦艦部隊とともに呉軍港(柱島泊地)に待機。日本本土とトラック基地を結ぶ比較的安全な航路で輸送船団護衛を担当した。
1942年5月には珊瑚海海戦に参加して「翔鶴」「瑞鶴」を直衛するが、これも、本来の主力空母護衛戦力が手一杯だったので、日本で“控え”だった第27駆逐隊を割り当てたという事情からだ。しかし、理由はどうであれ、時雨は世界初の空母戦に参加するという武運に恵まれる。続く6月のミッドウェー海戦では、第1水雷戦隊本来の任務である戦艦部隊の護衛として参加し、第9戦隊の重雷装巡洋艦「大井」「北上」とともに第2戦隊を護衛する。
8月からのガダルカナル島をめぐる一連の作戦でも、担当するのはガダルカナル島に対する輸送作戦で、第三次ソロモン海戦でも退却航路の警戒担当で、乱戦を極めた第一次戦闘には参加していない。とはいえ、夜が明けて行動不能になった比叡を守る対空戦闘で時雨は損傷する。
時雨が本格的な砲雷撃戦に参加するのは、ガダルカナル島を失ったあとの1943年以降だ。当時、仲間の第27駆逐隊は、輸送作戦途上の航空攻撃で「有明」「夕暮」が沈没、「白露」も損傷して後退していたため、時雨は第4駆逐隊の「嵐」「萩風」とともに北部ソロモン海域の苦しい“ねずみ”輸送作戦(駆逐艦による輸送作戦)を繰り返す。
1943年は米海軍がレーダーを用いた戦闘指揮に熟練しており、夜戦における日本海軍の優勢は失われていた。時雨にとって初めての本格的砲雷撃戦となった“ベラ湾海戦”では、ともに参加した「嵐」「萩風」「江風」がレーダーを用いた敵奇襲によって戦闘開始15分で戦闘不能になって沈没する。最後を走っていた時雨は雷撃しつつ煙幕を張って反転してなんとか生き延びた。
わずか2週間後に起きた“ベラ・ラベラ北方夜戦”では「漣」「浜風」「磯風」とともに小艦艇で構成する輸送船団を護衛して敵駆逐艦と戦闘。10月の“ベラ・ラベラ島沖夜戦”(あーっ、ややこしい!)で、時雨は「五月雨」とともに、「夕雲」「秋雲」「磯風」「風雲」の本隊と分かれた別働隊として敵駆逐艦を雷撃している。その五月雨とは11月のブーゲンビル島沖海戦で衝突しちゃったりして一緒に損傷しちゃったりもしたいっけない。五月雨と衝突したのは白露でした。
その後、時雨は1944年6月の輝作戦、マリアナ沖海戦で主力艦の護衛として参加。そして、11月のレイテ沖海戦で戦艦「山城」「扶桑」、重巡洋艦「最上」の護衛として駆逐艦「満潮」、そして「山雲」「朝雲」とともにスリガオ海峡に突入して“ただ1人”生きて帰ってきた。
開戦から終戦まで著名な大規模作戦に参加して活躍して戦争を生き残った雪風と比べて、日本軍が下り坂となった1943年以降から激しい夜戦を経験し、その最初の夜戦と最後の夜戦でただ1人の生き残りとなった時雨の戦歴は、苦境に立たされた太平洋戦争後半の日本海軍を象徴していると言えるかもしれない。



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