花火といえば夏の風物詩ですね。6月〜9月ごろが、全国的に花火大会のシーズンになります。
でも、「冬に花火を打ち上げてもいいのでは」と思ったことはありませんか? 花火が夏の風物詩であるのは、なぜでしょうか。
まず、冬にも花火をあげることは可能
夏の花火が多いものの、北海道の「函館海上冬花火」や神奈川県の「よこすかカウントダウン」など、冬に花火を打ち上げているお祭りも実際にあります。冬に花火ができない技術的な理由があるわけではないようです。
とはいえ、冬の花火を想像してみると、外に出て花火を眺めるのは寒そうです。観賞する側からして冬の花火はちょっと厳しい、という難点が1つあるでしょう。また、冬は風が強いことも多く、打ち上げの事情に影響しやすいかもしれません。
こうした冬の天候のほかに、花火は歴史的な経緯から夏の風物詩になっていったとも考えられています。ここでは2つほど紹介します。
理由1:暑さをしのぐ慣習「納涼」
花火は大火事の原因になると考えられた
花火が日本に伝わってきたのは戦国〜江戸時代にかけてです。当初の花火は手持ち花火や吹き出し花火に類するものだったと考えられています。外国人の紹介で最初は大名が楽しみ、次第に町人も楽しめるものへ広がっていきました。
しかし、幕府は町中での花火を規制しようとします。というのも、当時は木造建築が多いため、「●●の大火」というように、少しの火種が大火事につながりやすく、花火は火種になりうる危険なものだったのです。幕府は、「川の近くなら花火をしてもよい」というお触れを出しました。
川は「納涼」の場
一方で、川といえば、夏の暑さをしのぐ「納涼」の場として機能していました。京都・鴨川などでは今でも「納涼床」が名物ですね。

こうした、「川での納涼」の慣習と「川でなら花火をしてよい」というお触れが合わさり、夏に花火をすることが定着した、というのが1つの考え方です。
理由2:慰霊のための花火が夏に行われた
上に書いたように、江戸時代中期ごろには、川で納涼とともに手持ち花火を楽しむ風習が広まりました。では、打ち上げ花火はどうして夏にするようになったのでしょうか。
1732年、西日本で作物が凶作となり、全国的な大飢饉が起こります。疫病も流行ったため死者が多く発生するなど、大惨事となりました。
時の将軍・徳川吉宗は、この犠牲者らの慰霊のため、隅田川の川開きが行われる旧暦の5月に「水神祭」を執り行い、この中で打ち上げ花火を上げることとしました。

以来、隅田川の川開き初日、およびその後の夏の間に花火を打ち上げるのが恒例となったようです。これが、現在の隅田川花火大会のもととなり、さらに全国に広まり、花火といえば夏の風物詩になった、というのがもう1つの考え方です。
おわりに
隅田川の花火は中断期間を挟みつつ、現代まで毎年夏の時期に行われています。
このほかにも、全国には長い開催実績を誇る花火大会が多く、それぞれがさまざまな背景・歴史をもって、夏の風物詩としての花火を盛り上げてきました。花火を見る際は、ぜひこうしたことにも思いを巡らせてみてください。
参考文献
新井充 監修(2016)『花火の事典』東京堂出版
小勝郷勇(1983)『花火ー火の芸術』岩波書店
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