ねとらぼ読者のみなさん、こんにちは。虚構新聞の社主UKです。
おすすめの漫画を紹介する本連載、約3カ月ぶりとなる今回は、講談社の漫画サイト「コミックDAYS」にて連載中、ルネッサンス吉田先生のラブコメ『中年卍』(〜1巻、以下続刊)をご紹介します。

『中年卍』(1〜2話試し読みページ)(C)吉田ルネッサンス/講談社
漫画の世界、特に少女漫画において、「女子高生と大人の恋愛」というのは一つのジャンルとして定着しています。中でも「教師との恋愛」は、表にはできない密かな関係というドキドキ感も相まって、多くの作家が手掛けてきたシチュエーションでもあります。
とはいうものの、我々が生きるこのリアルな世界で、そのような恋が生まれることは極めてまれ。その種の交際の大半が、いわゆる「不純な事案」として、日々報じられていることはご存知の通りです。逆に言えば、ほとんどの大人は、現実の女子高生とは距離を置いているし、ましてや教育に携わる者であれば、なおさら自制すべきでしょう。
しかし、そんな決意にもかかわらず、運命のいたずらによって、女子高生たちから積極的に迫られたら――。
本作『中年卍』は、無難で平穏な人生を願う校務員のおじさんが、厄介な女子高生に目を付けられたことをきっかけに、気を抜けば「事案」へと流されそうになる危機的状況から必死で逃れようとする物語。あらすじだけだと、怖い話に聞こえるかもしれませんが、そこは「文化庁メディア芸術祭」で新人賞を受賞した実力派。実際に読みはじめると、せりふ回しや構成など、その巧みなネームに、ついついニヤリとしてしまう作品でもあります。
社会的な死をもたらす女子高生のクッキー
本作の主人公となる人物は、野矢正蔵(54歳)。妻と娘に出ていかれ、その上25年務めた金属加工会社をリストラに遭った彼は、アパートの一室でたった一人の友人・サボ太郎(※サボテン)に語りかけるのが日課という、孤独な生活を送っていました。
しかし、彼は自身の境遇を悲観しているわけではありません。幸いにも高校の校務員として、再就職がすんなりと決まったこともあり、あとは今の仕事を無難に勤めあげ、平穏な最期を迎えるのが彼の願いでした。それが叶えば、「最高の人生」ではないかもしれませんが、それなりの人生を送ったといえるでしょう。
が、彼は今、その平穏な人生設計が狂うかもしれない危機に直面していたのです。
「校務員のおじさ〜〜ん♪」
いつものように校内で仕事をこなしていた正蔵を呼び止める声の主は、女子生徒の北園理子。言葉の語尾に音符とハートを踊らせながら、家庭科で作ったクッキーをプレゼントしてきます。

北園理子(右)からクッキーをもらう正蔵(左)
差し迫る危機、それは女子高生との「不純な事案」。彼女は明らかに正蔵を狙っており、平穏な人生を送りたい正蔵にとって、この好意は胃痛の種に他なりません。半ば無理やり受け取らされたクッキーを手に、正蔵は考えます。
「食べる」→「お礼を言う」→「声かけ事案」→「ネットニュースのトップ」→「暴走するネット民」→「突然の(社会的な)死」→「死」

3段目あたりから、被害妄想が入っているような気がしなくもないですが、いずれにせよ、彼がどれほど女子高生を恐れているかが分かってもらえるでしょう。「中年の人生をスナック感覚で壊してみたい年頃」とさえ言っています。
変に勘ぐり過ぎず、笑顔でもらっておけばいいじゃないか――。そう思う人もいると思います。実は社主もそう思いました。しかしその時、正蔵に語り掛ける声が。
「北園ちゃんは危険な案件です」

手に余るクッキーを持ってたたずむ彼に突然話しかけたのは、同じく女子高生の空知南。彼女は続けます。
「北園ちゃんは特殊な男性と付き合うことで他の女子にマウントをとっていくというファイティングスタイルです」「おじさんが彼女に何らかの好意的なアクションをとればもう彼氏認定です」「彼女はおじさんとのエピソードを捏造しあることないこと吹聴してまわるでしょう」
女子高生、いや、北園理子こわい……! 南の助言で一命を取りとめた正蔵。クッキーから始まる巧妙な罠を回避した彼は、脱線しかけた人生のレールに無事復帰したかのように思えました。
しかし、この南との出会いこそが、真の地獄の始まりだったのです――。
おじさんをステータスにしたい女子高生と、おじさんの本性を暴きたい女子高生
「善良なおじさん」として生きてきた正蔵に、救いの手を差し伸べたかに見えた南。しかし、彼女は突然不穏なことを言いだします。
「どんな人にも必ず邪悪な核があるんです」
正蔵は、その主張に疑問を投げかけますが、彼女は退かずに続けます。
「そんな善良そうなおじさんを支配してる欲望ってどんなのなんだろう」

さらに必死で否定する正蔵。
「ねえ、でも、だから、私 おじさんの本性 見てみたいの」
高度に計算し尽くした言動で誘惑してくる理子、そして、善良そうな人間に潜む邪悪な本性を暴くことに興味を持つ南。純粋な恋愛感情とは異なる動機で接近してくる2人に抗おうとする正蔵の意思をあざ笑うかのように、運命は、皮肉にも彼を人生の正常な軌道からそらす方へといざなっていくのです。
社会的死から必死に逃れようとする「精神的サバイバルホラー」
「あわよくば事案」を狙っているような、厄介な女子高生(しかも2人も)に目をつけられる。もし自分がそんな危機的状況に置かれたらそれこそ笑い事ではないですが、言葉の語尾にやたらと「……」と三点リーダーをつけてしまいがちな気弱でネガティブな正蔵の、いちいち2人の言動に翻弄されてしまうダメさには、ついついニヤリとさせられてしまいます。
それにしても、この「危機的状況から必死で逃れようとする人のダメな行動にフフッとなる感覚」、何かに似ているなと思って、気付きました。そう、ホラー作品を見ている感じに似ているのです。本人はいたって真剣に敵から生き延びようとしてるのだけど、そのシリアスさの中に、時としてどうしてもツッコみたくなるコミカルな部分が見え隠れする、あの感覚です。
本作でも同じく、「何で危ないって分かってるのに、よりにもよって女子高生と一緒に用具庫に隠れるの!?」とか、「そこで甘さを見せたら、あとで絶対後悔するのに……」とか、危機から回避できるフラグが立っているのに、どういうわけか正蔵は、自らそれをバキバキにへし折っていく。そんな人間臭さから生まれる可笑しさもまた大きな見どころです。

そんなふうに見てみると、公式では「ラブコメ」として紹介されている本作ですが、実は主人公が(物理的死はともかく)社会的死から逃れようとがんばる「精神的サバイバルホラー」なのかもしれません。今後、ラブコメへと展開していくかもしれませんが、少なくとも現段階ではそういう作品であるように思えます。
果たして、正蔵は平穏な校務員生活に戻ることができるのか。それとも、これまで見まいとしてきた邪悪な本性を目覚めさせてしまうのか――。最後に、第2話「死の遠景」から、今後の展開を暗示しているかのようなシーンを紹介して、今回の締めに代えたいと思います。
それは、正蔵が自身の人生を例えて言った「私が54年かけて誠実に執拗に地道に築き上げてきた堅牢な建物」という1コマ。この背景に描かれた「堅牢な建物」とやら、どう見てもバベルの塔です。本当にありがとうございました。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
(C)吉田ルネッサンス/講談社
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