ねとらぼ

開始5分で主人公のヤバさが渋滞

※この先は結末には触れず、一部ネタバレを含む内容となっています。

 「トラペジウム」の主軸の物語はシンプルで、「高校1年生の東ゆうが、3人の美少女を仲間にして共にアイドルを目指す」だ。なるほど王道のアイドルの成長物語と思うところだが、序盤から「なんだか様子がおかしい」と気付くだろう。

(C)2024「トラペジウム」製作委員会

 何しろ、東ゆうは訪れた「聖南テネリタス女学院」で「うわぁ東高、制服だっさ」と自身の高校の制服がディスられると、その校名の表札を「何が優しさだよ!」とキレながら蹴る(注:テネリタスはラテン語で「優しさ」であると直後の「校歌」で示される)。

 さらには目当ての美少女を見つけると「純金インゴット!」と口に出してよろこぶ。そんな重量級の呼び方をするな。開始5分にも満たない時点で、下世話な言い方だが、主人公の「やべーやつ」ぶりが渋滞しているのだ。

 そして、美少女を仲間にするためにノートにしたためた計画は客観的には「ガバガバ」で、彼女自身も「最初から計画が全部うまくいくとは思っていないし」「自信過剰なやつです」などと自己分析している。

 しかし、幸運または偶然が手伝いまくり、華鳥蘭子、大河くるみ、亀井美嘉という仲間が集まり、4人組グループ「東西南北」としてまい進していく。この「トントン拍子の成功」が、むしろ後の「狂気」につながったともいえる。

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「過去の言葉をくみ取った上で責める」陰湿さ

 そして、新進気鋭のアイドルグループ「東西南北」には次第に不穏な空気、いや「崩壊」の足音も聞こえてくる。

(C)2024「トラペジウム」製作委員会

 その理由のひとつは、東ゆうが「誰もがアイドルになりたいわけじゃない」という、当たり前のことに気づいていないことだ。それは例えば、東ゆうの「かわいい子を見るたびに思うんだ、アイドルになればいいのにって」「本人がアイドルに手を伸ばさない限り、アイドルにはなれないでしょ。それってすごくもったいない」という、なかなかに勝手なセリフからも分かる。

 そもそも、東ゆうは自身がアイドルになりたいという夢(本人いわく「もう現実にすると決めていること」)と、みんなとアイドルになりたいということを、少なくとも劇中では仲間にろくに話していない(協力者となる少年・工藤真司には話している)。そして、東ゆうはアイドルになってから、なまじ「プロ意識」が高いせいもあってか、トゲのありすぎる言葉で仲間たちを傷つけていく。

 特に、彼氏がいることがバレた亀井美嘉への、舌打ちの後に放った「彼氏がいるんだったら、友達にならなきゃよかった」は、彼女が過去に言っていた「私たちはもともと友達だったんだから(ボランティア仲間と言ってほしくなかった)」という「本人が大切している言葉をくみ取った上で責める」という、とても効果的かつ、陰湿なものだ。

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まともなところもあったはずなのに「狂気」が表出する

 一方で、東ゆうは初対面の女の子には敬語で話しかけるし、ちゃんとお礼も言えるし、謝ることもある、社会性のあるまっとうな人物だと思えるところもある。

(C)2024「トラペジウム」製作委員会

 例えば、序盤に登山ボランティアに行ったときは大河くるみに「ごめんね、無理言って付き合ってもらっちゃって」と言い、「ほんとだよ、楽しくなかったら許さないからね」と返されたりもする。「無理強いはよくない」という当然のことは、ちゃんと分かっているはずなのだ。

 そうであるのに、東ゆうは、もともと目立つことが苦手なくるみの精神が崩壊寸前であることに気づいていなかった。目の前でくるみが泣き叫び暴れる様を見てもなお、ため息をつきつつ、「明日も収録があるんだよ」という理由でくるみと話そうとしていた。

 そして、華鳥蘭子に「わたくしもね、気づいたことがあるの。アイドルって楽しくないわ」と言われたときに、ついに飛び出すのだ。「そんなのおかしいよ!」「こんな素敵な職業ないよ!」といった言葉、いや、アイドルという夢に取りつかれた、東ゆうの狂気が

 つまり、本作で描かれていることの本質は「好きなことを盲信し、それ以外のことに気づいていない」という、誰にでもあり得る過ちだ。あるいは、「好きは呪いにもなる」という、この世にある本質をついていると言っても良いだろう。好きとは、それほどまでに恐ろしいことだと気付かされる物語でもあるのだ。

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「出口。私は」の意味は?

 もちろん、ここまで来れば、さすがに東ゆうも過ちに気付く。「私ってさ、イヤなやつだよね」と自己卑下をする彼女に対しての、お母さんのとある言葉はあまりに尊く、これまで彼女の物語を追ってきた人であれば、きっと同意できるだろう。

 また、全てを失った東ゆうのノートには、「がんばる」という言葉に二重線が引かれ、涙のあとがあり、「出口。私は」と書かれている。この前後に続く言葉が何かははっきりとはしていないが、筆者個人は「この絶望的な状況の出口が見つからない」「私はもうがんばれない」という東ゆうの気持ちそのものだと思えた。

 なお、原作小説の131ページでも「出口」という言葉があり、そこからの引用とも取れるので、併せて読んでみてもいいだろう。映画でも原作でも、東ゆうはあの場所で、「出口」を見つけたともいえるのだから。

みんなが限界までがんばり続けた理由は、はっきりしている

 そして、東ゆう以外の3人が、(おそらくは)アイドルになりたいと思っていなかったはずなのに、なぜ限界まで頑張り続けていたのか、その理由ははっきりしている。

 自分たちの友達でもある、東ゆうのことが大好きだからだ。

 そして、みんなが「誰かのためになること」をしたいと思う、幸せや笑顔を願う、優しい女の子たちでもあるからだ。

 例えば、大河くるみは車いすの少女・サチを文化祭に誘っていて、亀井美嘉と華鳥蘭子も車いすを押してあげて、みんなで楽しそうにしていた。東ゆうもみんなで見ようと計画していたライブのチラシを捨てて、みんなで文化祭をまわることを優先した。サチ本人もお化け屋敷が怖すぎて泣いている華鳥蘭子をよしよししたり、アイドルの服を自分よりも東ゆうに着てほしいと言っていた。

 他にも、大河くるみは、東ゆうが流ちょうな英語を披露したとき、「今、タミヤでロボットを買ったって言った?」「いいなー、くるみもほしいなー」と言っている。タミヤは本来メーカー名で、東ゆうは「タミヤをお店の名前だと勘違いしている」わけだが、くるみはそのウソに「乗ってあげている」のだ。

 さらに、華鳥蘭子が登山ボランティアで大きめのレジャーシートを持ってきたのは「みんなで座るため」だろうし、亀井美嘉にとって東ゆうがどれだけ彼女の救いになっていたかは、2人が再会した時にはっきりと言葉で示されている。

(C)2024「トラペジウム」製作委員会

 また、東ゆうに届いたファンレターは少なかったが、「制服を着ている東ゆう」のイラストと「ゆうちゃん」という呼び名が添えられている「匿名希望ファン」からの手紙は、亀井美嘉からのものだという説も、ファンの間で議論されている。そのように、みんなが東ゆうが大好きということが、数々のシーンから観客が自主的に読み取れるのだ。

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