ねとらぼ
夢洲(ゆめしま)の地図
2025/06/29 12:00(公開)

これはすごい! 万博開催中の大阪「夢洲」周辺を“年代別”に比較したら…… “約40年“の変化が興味深い

 国土地理院のWebサイト「地理院地図」では、ある場所の上空からの景色を年代別に見ることができます。今回は、現在大阪・関西万博が開かれている大阪府“夢洲”の上空写真を、1970年代後半から2017年まで約40年見比べてみました。

夢洲(ゆめしま)の地図
現在の夢洲周辺。主に画像中央付近のエリアの変遷を見ていきます※出典:地理院地図(電子国土Web)、編集部で一部切り取り
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1979~1983年

夢洲(ゆめしま)の地図
1979~1983年の夢洲周辺の写真 ※出典:地理院地図(電子国土Web)、編集部で一部切り取り

 夢洲はもともとはごみの埋め立て地として計画され、1977年から工事が始まりました。ただし、見た目は陸というよりまだ海です。これは、埋め立て地を造るときには、一般に予定地を囲う岸づくりから行われるためです。

 なお、このころになると、夢洲の隣の舞洲(まいしま)の輪郭がはっきりしてきます。こちらは、夢洲より数年早く建設が始まった場所です。

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1984~1986年

夢洲(ゆめしま)の地図
1984~1986年の夢洲周辺の写真 ※出典:地理院地図(電子国土Web)、編集部で一部切り取り

 1984~1986年ごろになると建設が進み、こんにち見られるホームベースのような島の輪郭がはっきりしてきました。1991年には、公募により“夢洲”と命名。名前の由来は、「住江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ」という和歌に由来します。この歌は、平安時代の歌人・藤原敏行が詠んだもので、小倉百人一首に選ばれていることでも有名です。

 ちなみに、1980年代末にはこの地に多数の人が住めるようにし、オリンピックを招致するなどの計画がなされたのですが、バブル崩壊により頓挫してしまいました。

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2007年

夢洲(ゆめしま)の地図
2007年の夢洲周辺の写真 ※出典:地理院地図(電子国土Web)、編集部で一部切り取り

 2007年ごろには、かなり陸地らしくなりました。写真では、島の東側にコンテナターミナル、西側に大きな土地が見えます。このころは夢洲と舞洲をつなぐ夢舞大橋が建設中で、まだ開通はしていませんが、すでにその姿を確認することはできます。

2017年

夢洲(ゆめしま)の地図
2017年の夢洲周辺の写真 ※出典:地理院地図(電子国土Web)、編集部で一部切り取り

 2017年には、すでに本格的な土地利用が始まっていることが見てとれます。東側のコンテナターミナルが充実し、西側には「メガソーラー」とよばれる大規模な太陽光発電施設ができました。

 なお、上空からの写真の更新はここまでなのですが、2025年4月には地図画像が更新されました(本記事冒頭の画像です)。地図版では、万博用の特徴的な大屋根リングも確認することができます。

参考文献

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