国土地理院のWebサイト「地理院地図」では、ある場所の上空からの景色を年代別に見ることができます。今回は、横浜港の上空写真を、1945年から2019年まで70年以上にわたって見比べてみました。
1945~1950年
横浜はもともと漁村でしたが、幕末に行われた外国との交渉により、国際港としての歴史が始まりました。その後、工業用地としての埋め立ても進み、いわゆる「京浜工業地帯」の一翼を担いました。
ただ、その道のりは平坦ではなく、1923(大正12)年の関東大震災では大きな被害を受けました。そこから復興したと思えば、今度は第二次世界大戦。空襲で焼け、終戦を迎えた横浜港は、施設のほとんどを連合国軍に接収されました。戦後、再び民間貿易ができるようになったのは、1949年からです。1945~1950年の写真には、そんな激動の時代の横浜港が写っています。
1961~1969年
1961~1969年の横浜港は、海外との取引がますます充実し、荷物や乗客の積み下ろしに使われる“ふ頭”が増強されました。当時の写真を見ると、山下ふ頭(写真下中央。三叉に見える場所)をはじめ、湾内に出っ張った設備が増えていることが分かります。なお、山下ふ頭の根元に横浜マリンタワーができたのもこのころです。いまではすっかり現地のランドマークになっています。
1974~1978年
高度経済成長期には、外国からの荷物の積み下ろしにコンテナが使われるようになりました。コンテナは個別の荷物の梱包が簡単で積み下ろしも楽であるため、大量の荷物が取り扱えます。
このころ建設中の大黒ふ頭(写真右上)は、横浜初の本格的な島式ふ頭でした。島式は、陸から突き出すタイプのふ頭に比べて使える岸が多く、水深も確保できるため、まさに大型コンテナ船の接岸に適するつくりです。
1987~1990年
1989年には、大黒ふ頭に首都高速道路のインターチェンジができました。同時に、そこから延びるかたちで横浜ベイブリッジが架かったことが見てとれます。横浜スタジアム(写真左下)は、1つ前の写真では建設途中のようでしたが、1987~1990年の写真では完成済みのようで、緑の芝生がよく目立ちます。なお、写真ではやや見づらいですが、横浜港シンボルタワーもできあがりました。
2019年
2019年には、横浜港周辺はほぼ現在の姿になりました。2017年に“国際旅客船拠点形成港湾”に指定されたこともあり、クルーズ船を安定的に受け入れ、地域経済の活性化を図る施策が始まりました。国際港・横浜は、これからも進化を続けていくようです。
参考文献
- 地理院地図(電子国土Web)
- 横浜市「横浜港の歴史」
- 横浜市「横浜港国際旅客船拠点形成計画」
- 横浜港埠頭株式会社「施設紹介」
- 一般社団法人沿岸技術研究センター「クルーズ新時代と港湾技術 ~日本の港とクルーズ船~」
- 横浜スタジアム「横浜スタジアムの歴史」
- 横浜港シンボルタワー「タワー概要」
文:近藤仁美(こんどう・ひとみ)
クイズ作家。国際クイズ連盟日本支部長。株式会社凰プランニング代表取締役。これまでに、『高校生クイズ』『マジカル頭脳パワー!!2025』等のテレビ番組の他、各種メディア・イベントなどにクイズ・雑学を提供する。国際賞「Trivia Hall of Fame(トリビアの殿堂)」殿堂入り。著書に、『クイズ作家のすごい思考法』『人に話したくなるほど面白い! 教養になる超雑学』などがある。
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