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「GUNGRAVE」発売記念イベントでウラ話連発!
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2002年7月20日 |
7月20日,“ゲーマーの街”秋葉原において,「GUNGRAVE」発売記念トークショー&サイン会が開催された。会場となったアキハバラデパートにはスタートを待つ熱心なファンが,長蛇の列を作り,トークショーが始まるのを待ちわびていた。
このイベントには,キャラクターデザインを手掛けた内藤泰弘氏と,プロデューサーであるレッド・エンタテインメントの久保亨氏が出演! 開発秘話をはじめ,軽快なトークで集まったファンを大いに沸かせてくれたぞ。
ファンの前に現れたお2人は,両者の初めての出会ったのが,何故か米国でのトイザラス(オモチャ屋)で買い物をしていたときだった話や,内藤氏がフィギュアを作ってもらいたくて久保プロデューサーに海洋堂に紹介してもらったなど,ゲーム開発以前からの交流話を披露してくれた。
余談だが,ワンフェスのマスコットキャラ「カット」くん(あのネコのぬいぐるみ)に入って,愛嬌を振りままいていたのは,なんと久保プロデューサーだったそうだ。
レッドで内藤氏を起用した理由は,広井王子氏がトライガンのイラストを見て「格好いい。是非会いたい」と言ったことがきっかけだったという。その後,元々知り合いだった内藤氏と久保プロデューサーがタッグを組んだのが「GUNGRAVE」のスタートとなった。
'98年10月にはキャラクターのラフができ上がり,ゲームのタイトルはなるべく分かりやすく「ギャングガン」にしようなど,さまざまな企画を進めていたようだ。当時はPS2もまだ発売されておらず,将来のハイスペックマシンで,どんなことができるか検討を重ねて,足かけ4年もかけたこととなる。
久保氏は,当時を振り返り,「開発途中,同じく2丁拳銃を使うガンアクション“デビルメイクライ”(カプコン)が発表され,“やばい!こっちも早く発表しなきゃ”と,スタッフが騒然としたこともあった」と話す。
また開発に当たり,池袋にスタジオを開設したが,このスタジオの下の階が,女性向けの同人誌販売ショップで気まずかったことなども,今回のトークショーで明らかにされ,会場の笑を誘っていた。
メカデザインに藤島康介氏を起用した理由は,藤島氏が内藤氏のファンだったためだとか。その際,膨大な銃の設定を描き起こした藤島氏に,容赦なくボツを出した内藤氏に,「こんなにボツを喰らったのは初めて」とこぼしたとか……。
さらにマンガが読みたいとのファンの声に内藤氏は「トライガン」が終わらなければ,とても実現できないとしていた……が! 実は,企画書の書き方が分からなかった内藤氏は,ゲーム立ち上げ時に,企画書の代わりに19ページのマンガを制作していたことが判明! 久保プロデューサーは,現在の「GUNGRAVE」とは若干異なった所もあるが,設定資料本が発売される際には,必ず収録するので楽しみにして欲しいとのことコメントしていたぞ。
ほかにもサイン会や久保プロデューサーの私物が当たるじゃんけん大会なども行われ,大いに盛り上がったイベントとなった。
最後にマイクを握った内藤氏は,「ストレス解消ゲームです。肩肘張ってやるゲームではなく,好きなときにちょこっとプレイして欲しい」とコメント。久保プロデューサーも「ファミコンのゲームみたいに,末永く楽しんで欲しい」と語り,内藤氏と組んで2本目のゲームを企画中であることも明らかにした。
[SOFTBANK GAMES]
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