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トラウマになるので音楽は後からつけたほうがいい――チュンソフト 中村光一氏(前編)ヒライタケシの「投げる前から変化球」(その5)(3/3 ページ)

ヒライタケシの「投げる前から変化球」。春はあけぼの、チュンソフト代表取締役社長・中村光一氏を迎えて、おいしい鍋をつつきながらお届けします。トラウマって?

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中村 初期の頃、ゲームってどういう風になるんだろうとか、自分が想像できる範囲さえも分からない感じが楽しくてわくわくしたことありません? がっかりすることもあるけど。「ウィザードリー」とかRPGをはじめてやったときも、これ何階まであるんだろうとか、想像できない世界だったし、自分でモノ作っているだけに自分ならこう作るのにという視点もあったりして。自分の枠を超えられたものがそこにあると感動するんです。何て言うか、かき立てられる。どうしても解けない時はプログラムを解析したりとかして(笑)。「ザ・ブラックオニキス」をやった時に、デザイナーのスタッフがはまってしまい、そればかりやってて仕事やってくれなくて。で、ある日、夜中になにが面白いのかと始めてみたらやっぱり面白い。これは解けない限り、仕事をしてくれないと危機感を抱いて解いてしまおうと思ったんですが、どうしても最後の最後のフロアの解き方が分からなくて……解析しちゃいました。

平井 確か順番にまわるんでしたっけ?

中村 そうそう。でもそんなの分かるわけないじゃない(苦笑)。

平井 「ザ・ブラックオニキス」では衣装を替えるとちゃんとキャラクターも変わるというのに感動しましたね。一番強い装備が本当に強そうで。水色と青色のダンジョン感も刺さりましたよねー。

中村 ゲームはやる人のイメージの枠に収まっちゃいけないんだよね。もっとユーザーのイメージを超えた展開があるからこそ楽しめるんですよ。

平井 クリエイターとしての本質ですよね。

中村 初期のゲームはみんなそうでした。

平井 最近のゲームはどうですか?

中村 最近の傾向として、従来の“ゲーム”というジャンルと、任天堂が積極的にやっている“ゲームじゃない”ジャンルに分かれていて、ゲームというジャンルのものはハードが進化しすぎてものすごく開発費が高騰してるじゃないですか。だから、冒険がしにくい。

平井 今、モノを作るのにリスクマネージメントをしなくてはいけなくなっているじゃないですか。

中村 技術の方を追いかけるのも開発のテーマになっているので、出来上がっているものがいかにリアルかが分かるようなテーマにしなくちゃいけなかったりして。だからレースゲームやルールが誰でも分かるスポーツが多かったり、かなり偏っているような気がするんですよ。


平井 分かりやすい定性化、定量化していかなくてはならない時代になりましたね。何ポリゴン? シェーダーどれだけ書いているの? みたいな技術サイドの定性化、定量化がないと、ちゃんとした作品としてみなしてくれない時代ですよね。技術がたいしたことないけど、アイディアはすごいというものが評価されなくなってきている気はします。だから、すごく危惧しているんです。こういうのばかりでいいのかと。今キューエンタテインメントでは新規のタイトルを作っているのですが、「根本に帰ろう」と、得意とする音楽をベースにしたタイトルを作っているんです。まさに、将来を見据えての。中村さんは、会社を興されて、10年、20年と経って思うことなどありますか?

中村 我々の業界だと、時間の単位は作品ですよね。あれを作った年とか。

平井 では、「ドラゴンクエスト」を作った時は?

中村 ボクの中ですごくつらかったのは「ドラゴンクエストII」の時です。ゲーム業界にはプログラマーが逃げ出したという話がよくあるけど、本当にIIの時は逃げたいと思ったんです。Iの時は、「プログラムはツール、サウンド、プログラム全部」みたいに、仕事の範囲がある意味大雑把だったので分かりやすかったのが、IIではプログラムを大勢で作ることになり、分業化がなされたんです。ノウハウもないスタッフだったこともあり、実際作ってみたらメモリがお互い重なっていたり、ラベルがたまたま重なっていてアセンブラはパスしているのに、リンクしたらぐしゃぐしゃに動いたりともう大変だったんです。

 一番ひどかったのは、人のワークエリアを潰しながら走る別の人のプログラムとかもあって、すごくスタッフ間が険悪になって。当時は4〜5人でやっていたんだけど、カンカンガクガクで。とにかくバグが多くて、エミュレーターも初めて使ったものだし、ハードも安定してなくて、ソフトの問題なのかハードの問題なのかも分からなくて、何のせいかも分からないバグが頻繁に起きてしまった。

 だから、ボクはスタッフ間同士の橋渡しもやりながら、自分も仕事を抱えてて、予定していた納期に間に合わなくて……もう本当につらかった。転機とはまさにあの頃ですよね。IIはそんなに苦労したのに、発売日が延びたせいもあってお店からの注文が減っちゃったんです。発売日は延びるわ本数は減るわで、もうスタッフは辞めるとか言い出すしで、ボロボロですよ。本当、当時はこれで売れなかったら会社辞めようかなと思うほど追い詰められました。

 当時、マスターが上がってから発売まで3カ月くらいあったので、じっと発売日を待つ地獄を耐えてました。いざ発売日になったら、逆に、本数が少なかったせいもあって大行列になってニュースにまでなって……それで会社続けようと思い直しました(笑)。人間、つらいことは身体が覚えていて、ドラクエIIの音楽を聴くと今でも寒気がして逃げ出したくなるんですよ。すぎやま先生には申し訳ないんですけどね(苦笑)。

平井 やはり音楽は重要なんですね。今では分業は当たり前で、プログラマーが10名以上なんてのもよくある話じゃないですか。ボクが「シェンムー」でリードプログラマーをやっていた時は、最大で88人のプログラマーを抱えていたんですよ。1人につき10分時間を使うとすると、16時間彼らとの打ち合わせに使うことになるんです。メールをさばくのも朝から夜までそればかりやってて、それが終わってからやっと自分のメインの仕事をする生活で、4年の開発期間中、2年くらいはそんなことをしてました。その時はボクもテーマ曲は聞きたくなくなりましたね。

中村 音楽はできあがってから後でつけたほうがいいですよ。つらい記憶と一緒にすり込まれちゃうから(笑)。



 と、盛り上がってきたところで前編はここまで。後編では今後の意気込みやゲーム業界について。

第5回は2部構成となりました。まずは前編です。

長時間にわたる対談にお付き合い下さったチュンソフト代表取締役社長中村光一氏に感謝いたします。

変化の激しいゲーム業界の中で四半世紀に渡って駆け抜けている方は、やはり見る目線が違うなと感じたのがファーストインプレッションです。

ボクが言うのもおこがましいですが学生時代、若い世代が出てきた!と初めて実感出来たのが中村光一という人物でした。

家庭用ゲーム機の火付け役になったファミリーコンピュータ以前にパソコンでアーケードのゲームを再現してくれる、

そしてあらゆるジャンルで新しい発想を提供してくれた第一人者といっても過言ではないでしょう。

それだけセンセーショナルでボクがこの業界に入る理由になった1つです。

皆さんいかがだったでしょうか。

ドラゴンクエストあたりの下りは興味あるものではないでしょうか。

後編もますますエキサイティングな内容になります。

ご期待ください!

ワイン飲みすぎて酔っ払いトークになってないといいですが……。

ヒライタケシの「投げる前から変化球」(その5):トラウマになるので音楽は後からつけたほうがいい――チュンソフト 中村光一氏(後編)はこちら


プロフィール

平井武史(ひらい たけし)

キューエンタテインメント 最高技術責任者/CTO

代表作:「シェンムー」「スペースチャンネル5 パート2」「メテオス」「メテオスオンライン」

エンジニアとしてハイエンドからモバイル、Web、システム管理までほぼすべての環境、言語を話す。ヘアショーのサロン映像、音楽プロデュースを行ったり、海中での写真集を提供したりと守備範囲は広い。海をこよなく愛するMSD(マスター・スクーバ・ダイバー)である。


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