この夏屈指のホラー映画 細田守監督「未来のミライ」に見た不気味さの正体
ネタバレしてます。
夏といえばホラー、という風潮がなくなってから久しい。「クロユリ団地」「劇場霊」といった邦画の大作ホラーは秋口やゴールデンウィークに集中し、海外の大作ホラーは向こうでのハロウィンシーズン、10月に公開されることが多いこともあって日本での公開もそれ以降が中心だ。最近の作品では滝沢秀明主演「こどもつかい」などは夏公開だったが、大人も子どもも楽しめる内容を目指した結果、ホラーからは遠ざかってしまった。
ここにスポッとおさまったのが「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」で知られる細田守の最新作、「未来のミライ」。天下の東宝が放つ文句なしの夏の大作映画であり、全年齢層を対象にしたファミリームービー。しかしその実態は、一言でいえば不気味だ。
【あらすじ】とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。ある日、甘えん坊のくんちゃん(4歳)のもとに生まれたばかりの妹がやってきます。両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うくんちゃん。そんな時、くんちゃんは庭で未来からやってきた妹、ミライちゃんと出会います。ミライちゃんに導かれ、時を超えた家族の物語へと旅立つくんちゃん。それは小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まり。果たして、くんちゃんが最後にたどり着いた場所とは?ミライちゃんがやってきた本当の理由とは――。
★以下、本作のネタバレを含みます
不気味の谷と奇妙な家
この物語は1つの家に始まり、1つの家で終わる。冒頭、実写かと見紛うような空撮のシーンから徐々にカメラが降りていき、1つの家の形を捉える。ここでようやく本作品がアニメーションなのだと気付くことができる。この空撮シーンは本作で最もリアル、いってしまえば写実的だ。
アニメーションの魅力とは、絵でしかないキャラクターが実在感をもってそこにいるというリアルさからくる快感だ、と細田は語っている。それが最大限に反映されるかのように、くんちゃん(本田訓)の挙動は四歳児として非常にリアルだ。一段一段階段を降りていく姿、しゃがんで大きく伸びをする動き。しかしまさしく幼児そのものであるその動き一つ一つを見ている間、強い居心地の悪さを感じる。
不気味の谷、という言葉がある。人間ではないものが人間に近づいていくその瞬間、鑑賞者がそれに感じるすさまじい嫌悪感だ。それは上白石のすさまじく不自然な声とあいまって、なんだか人間のまがいものを見せられている感覚に包まれる。彼らが暮らす家も、ばあばによって(説明的に)語られる通り非常に奇妙な間取りだ。一見「ひろびろとしたダイニング」が登場したかと思えば、急勾配の段差に囲まれた部屋と中庭。一見幸せな家庭とその裏にある危険性を反映しているのか、と勝手に深読みさせられる。
ガタガタの脚本、本当に怖いもの
脚本の整合性のなさも不安を誘う。(必要のない犬化は細田のフェティシズムの発露として脇に置いておくとしても。)熱にうかされた子どもの夢のように着地点のないオムニバス形式の物語はその都合によって打ち切られ、「同じ人物は、同じ時間に同時に存在できない」という(わざわざひどく説明的な口調で示された)ルールは後半、ある人物同士の対峙によっていとも簡単に破られる。
仮に本作のタイムリープ、のような何かがミライの語るようなルールに基づいているのだとしたら。積み重ねられてきた過去の大切さを語っていたはずのミライが、過去を変え現実に影響を及ぼそうとする前半のシーンはなんだったのか。ミライちゃんがやってきた本当の理由とは、と聞かれても困る。まさか本当に雛人形を片付けに来たのだろうか。
最大の恐怖は両親だ。彼らはついに最後まで、くんちゃんの意図をくみとろうとしない。夫婦ふたりで「子育てって大変だよね」「君のこういうところよくないよね」「でも私たちがんばってるよね」とゆるやかに慰めあっているだけだ。
ノベライズ版では、書き出しから両親のすさまじい量の欠点が具体的に羅列されている。
総合出版社に勤める彼女は、真面目で責任感が強い完璧主義者。いい本を作るためには欠かせない性質を備えていた。が、裏を返せば神経質で、心配性で、ゆえに人の評価に敏感な性格だった。褒められてもわざわざネガティブに捉えてクヨクヨし、挽回しようと必要以上に頑張りすぎて、さらに疲弊する、という悪循環によく陥った。
建築事務所に所属する彼は(中略)独創的で、世間や他人に流されない強さがあったが、悪く言えば頑固で聞く耳を持たず、ある意味鈍感で、興味のあること以外はいい加減で、協調性がなく、空気も読めず、普段は穏やかなくせに自分のペースを乱されると途端に怒りっぽくなり、仕事の締め切り間際にはしょっちゅうピリピリした。
その二人から愛を与えられずにいる四歳児に、われわれは過去から連綿とつながっているのだ、ゆえに家族というシステムでの役割を自覚しろ、と啓発する本作は、はっきりいえば傲慢な劇薬だ。
そして本作のラストシーン。先に述べた間取りと同様だが、子どもと赤ちゃんが座る後部座席の後ろにあんな状態で荷物を積んていいものなのか。仮に急ブレーキを踏んだら間違いなく2人のもとにキャンプ用具が降り注ぐことになる。
アニメーション的に見るべきところがなかったわけではない。くんちゃんが犬になり、屋内を走り回るシーンは(これはいったい何なんだ、と思いながらも)見ていて素直に感心した。そして美術的なセンスが光った未来の東京駅は見事だ。遺失物受付センターのロボットは、「ひそねとまそたん」で変態飛翔生命体の声優を務めた講談師・神田松之丞が演じており、短い出番ながらまさしく好演といえる。
しかし、ひとりぼっちの子どもたちを迎えにいく黒い新幹線はどこにいくのか。あの車両はそのまま、あの無人駅に通じているのではないのか。昔の自分を「ガキ」とあざけり、家族とうまくいっているようにも見えない、捻くれてしまった本田訓へと。
あの家族のキャンプは本当に無事に終わったのだろうか。たったひとつのブレーキで、また崩れ落ちてしまったのではないだろうか。映画が終わったあとも、そればかりを心配してしまう。
もしも野原家だったなら
最後に。例えば本作が「クレヨンしんちゃん」の野原一家を主役とする物語だったらどうだろう? 妹の誕生に嫉妬しながら、その愛の不足を補おうと妹にあたってしまうシーンは、アニメ216話「お兄ちゃんだって甘えたいゾ」(コンテ・横山広行/演出・水島努)にも登場する。
しんちゃんの嫉妬に本作のような不快感をおぼえないのは、もちろん彼が全くリアルではないからだ。それはみさえの暴力と同じように、アニメ的に誇張されているからこそ許される表現だ。更に本作には「未来のミライ」に決定的に欠けていた、“両親が子どもからのヘルプサインに気が付く”シーンが、これ以上ない鮮やかな形で描かれている。
結局のところ、くんちゃんがクリスマル・キャロルを思わせる時空の旅で見たさまざまな風景は、「お兄ちゃんなんだからちゃんとしろ」の延長でしかない。しかし「お兄ちゃんだって甘えたいゾ」は「未来のミライ」が1時間半かけても描けていないそれを、たった7分で描き切っている屈指の名作だ。
外に一歩出ればうだるような猛暑の中、もし家族で見るのなら、断然こちらをおすすめする。「お兄ちゃんだって甘えたいゾ」はテレ朝動画にて有料配信中だ。
(将来の終わり)
※記事を一部修正しました(20時59分)
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