なぜ日本は偏差値が嫌いなのに使い続けるのか 考案した元・中学教員が語った“生徒のために作った偏差値が悪者になるまで”(2/3 ページ)
もともとは“教員の勘”で行われていた合否判定を、合理的に行うために生まれた数式。
そこで早速、前年度の各高校の受験者数と合格者数(定員)を調べました。また、合格した生徒のうち半分は1ランク上の学校でも合格できる学力があると仮定し、反対に不合格だった生徒も「1ランク下なら合格した生徒」「2ランク下なら合格した生徒」がそれぞれ一定の割合でいると仮定しました。
前年度の日比谷高校の合格者数は335人、1ランク下の小山台高校の合格者数は300人でした。上記の仮定に基づくと、学区内の全生徒のうち、335+150=485人(比率にして4.8%)が日比谷高校に合格する学力の持ち主ということになります。
同様に考えていくと、小山台高校に合格しうる受験生は上位985人(比率9.8%)、さらに1ランク下の九段高校に合格しうる受験生は1545人(比率15.4%)……と求めることができます。
この比率を、自分の中学校の成績順位に当てはめるのです。つまり、生徒のうち上位4.8%が日比谷高校に合格できる学力の持ち主だ、と考えることにしました。
これは良い方法に思えましたが、2つの問題が発生します。
1つは、実際には上位4.8%よりも下の生徒が日比谷高校に合格していたことです。ですがこれは、「うちの中学が他の中学に比べてレベルが高いのだ」と仮定することで説明可能です。事実、世間でもそのようにうわさされており、桑田氏は後に、この仮定が正しいことを明らかにしました。
より重大な問題は、もう1つの方でした。それは、生徒の順位がテストのたびに変動していることです。
上位の生徒はいつもあまり変わらないのですが、上位から中位につれてだんだんとメンバーの移り変わりが激しくなり、点差も小さくなるのです。数回のテストを平均しても、この傾向はあまり変わりませんでした。
これでは、「成績の上位○%」の生徒が決められません。「学区全体の成績順位に目を向ける」という着想は良かったものの、そこから先へ進めないのです。この変動をどう処理すれば、生徒の学力を合理的に推し量ることができるのでしょうか?
「物理実験の測定誤差」と「生徒の成績」は同じ振る舞いをする
この問題の答えが、偏差値でした。
なぜ偏差値で変動を処理できるのか。それを説明する前に、物理学の実験について少し説明した方がよいでしょう。
例として、「空気中を伝わる音の速さ」を調べる実験を考えます。実験には測定誤差がつきものなので、実験するたびに異なる値が得られます。つまり、341メートル毎秒、343メートル毎秒、346メートル毎秒……といった具合になるわけです。
これらのうち、「正しい値」はどれでしょう? これらのうちのどれかが正しい値で、それ以外は間違っているのでしょうか? それとも、これらの平均が正しい値なのでしょうか?
実は、どれが正しい値なのかは分かりません。しかし、「信頼度95%で、○○メートル毎秒以上□□メートル毎秒未満である」などと言うことが可能です。「正しい値は分からないけれど、○○~□□の間に正しい値がある確率は95%だ」という意味です。
具体的な計算方法は省略しますが、この計算をするにはまず「平均値」を求め、次に「標準偏差」と呼ばれる値を求めます。標準偏差とは、「データの散らばり具合」を表す値だと思ってください。どのデータも平均値の近くに集まっていたら標準偏差は小さく、反対にデータがばらばらに分布していると標準偏差は大きくなります。
標準偏差はσ(シグマ)という記号で表し、「正しい値」が平均値から±2σ(標準偏差の2倍)の間に入る確率が約95%になることが知られています。例えば、平均が344メートル毎秒で標準偏差がσ=10メートル毎秒であったなら、「空気中の音速は、344±20メートル毎秒(324メートル毎秒以上364メートル毎秒未満)に入る確率が95%である」と言えるわけです。
※実際には、どのような実験でも必ず95%の確率で±2σに入るとは限りません。これが成立するためには、「測定誤差が正規分布に従っている」という仮定が必要です(詳細な説明は省きます)。
桑田氏は、この±2σの法則が生徒の学力にも当てはまることを確かめました。
生徒の成績は、テストのたびに変動します。しかし、それぞれの生徒が「前回のテストから学力がどのくらい上がったか(下がったか)」をグラフにすると、95%の生徒が±2σしか変動していなかったのです。
前回と今回の差は、生徒が努力した成果とも受け取れますが、「測定誤差」と見なすこともできます。そしてその「測定誤差」の振る舞いが、物理の実験で登場する測定誤差の振る舞いと一致したということです。
いま「学力」という言葉を使いましたが、これは私が勝手に書いただけで、正確な表現ではありません。実は、この「学力」こそが、偏差値なのです。
偏差値を利用するメリット
偏差値は、次の公式で簡単に計算できます。
- 偏差値=10×(個人の得点-平均点)/標準偏差+50
ここで本質的に重要なのは、
- (個人の得点-平均点)/標準偏差
という部分です。これは「標準点」と呼ばれる値で、「その人の得点が、平均から見て標準偏差σの何倍離れているか」を計算しています。
ただし、この値はたいていの場合、±3の間の小数になってしまいます。これではちょっと分かりにくいので、10倍して50を足した値を「偏差値」としました。このようにすると、平均点を取った人は偏差値50になり、平均点からσだけ低かった人は偏差値40、平均点から2σだけ高かった人は偏差値70、などとなります。
これが、偏差値の正体です。偏差値70の人というのは、平均点から+2σだけ離れた人なのです。そして95%の人は、±2σ……つまり、偏差値30以上70未満のどこかに入ります。
偏差値の利点はいくつもあります。
まず、テストの順位はテストごとにコロコロ変わりましたが、偏差値はあまり変わりません。
次に、複数の異なるテスト間でも、学力を比較することができます。難しいテストなら自分以外の生徒も点が低いので、平均点が下がります。そのため、他のテストに比べて得点が低くても、偏差値はあまり変わらないのです。
そして、最も重要な利点は、入試に合格する確率を計算できることです。例えば、校内テストを5回行ったとき、A君の偏差値の平均が62.4、標準偏差が2.82になったとします。このA君が、合格最低ラインの偏差値が65の学校を受験したとき、合格する確率はいくらでしょうか? A君は偏差値62.4を出す確率が最も高く、そこから離れるにつれ出る確率は減っていきます。A君が65以上の偏差値を出す確率は、18%となります(計算方法は省略します)。
偏差値を使えば、これまでのように勘に頼らず、科学的合理的な判断を下すことができるのです。もし、津川君の時代にすでに偏差値があれば……彼が日比谷高校に受かるのが現状難しいことも、どの科目をどのくらい強化すれば合格確率を上げられるのかも、手に取るように分かったことでしょう。そうすれば、もしかしたら結果は違ったかもしれません。
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