お墓参りのときに感じる「ありがとう」と「ごめんね」 物心ついたときから入っていた宗教をやめた話
4世代にわたって信仰していた宗教をやめた話。
自分から信仰を決めたわけではなく、両親や親族の影響で、物心ついたときから教団などの宗教組織に入会していた人は、実は少なくないのではないでしょうか。いわゆる「宗教2世(2世信者)」と言われる人たちは、宗教に対して複雑な感情を抱いていることがあります。
スガカズ(@sugakazu)さんも、実家が4世代にわたってある宗教を熱心に信仰していた「宗教4世」。しかし、スガカズさん自身は昔から宗教と心理的距離を置いており、ある出来事をきっかけに20代後半に脱会。それから10年がたっています。そんなスガカズさんのエピソードを紹介します。
物心ついた時から入っていた宗教をやめてから現在までのお話
私の実家は曾祖父をはじめとして、ある宗教を信仰していました。両親や親戚、そして子どもである私たちも入会していました。
物心ついたときから修行(宗教活動)はあり、それを「当たり前にする事」だと思っていました。どういうことをするのかというと、読経や集会、イベントの参加や泊まりの修行です。
宗教の目的は単純に言うと「両家の先祖供養」が中心なのですが、身の回りで起こる問題の根底にはご先祖様の行いがあり、それを私たちが修行(宗教活動)することで解決できるのだそうです。逆に、よいことがあれば「ご先祖様のお導きだ」と言われていました。
こういった思想は幼少期から教えられていたのですが、私は小学校に上がった頃からこんな疑問を抱き始めました。
「もし仮に問題を解決できたのなら、これ以上続ける必要はないのに、なんで修行が続いているんだろう? これから起こることは全部修行で解決させなきゃいけないの? 自分に起こったよいことも、原因は自分が中心じゃなくてご先祖様なの?」
子ども時代の奇妙な経験
そんなある日、とても不思議な事が起こりました。
月1回程、各家庭で集会があります。この日は10人ほどの会員がわが家を訪れていました。全員でお経をとなえている途中で違和感がありました。
声が1人多いのです。低く、のどに引っかかるような苦しい声をしていて、父の近くで聞こえました。父の声は別に聞こえていて、父の後を追いかけるように、少し遅れて聞こえました。
不思議に思ったまま集会はお開き。みなの帰りを見届けた後、送迎役の母の帰りを1人で待っていると、仏壇の方からまた同じ声が聞こえてきました。さすがに怖くなってダッシュで家から逃げましたが、声の主は(内容がお経だったので)ご先祖様だと思いました。
周りの人はほとんど気づいていませんでした、母だけが聞こえていたようです。そのとき、「なんでご先祖様がいまだにお経をあげる必要があるの?」と疑問に思ったのを覚えています(あの声はいまだに謎のままです)。
迷ったときの「先祖」頼り
またある日、母が仏間で何かを熱心に行っている姿を見たので、何をやっているのか尋ねると、「今迷っているから、ご先祖様に導いてもらっている」との事。
選択に迷ったときに独自の占いのようなものをしていました。お経をあげてご先祖様に質問し、あらかじめ何個か用意しておいた「答え(導き)」の中で、仏具にひっかかったものがご先祖様の導きだと教えてくれました。
「それって紙にひっかかっただけでは?」「なんでご先祖様が導くの?」「自分で決めないの?」と思ったものの、ご先祖様を尊ぶ母の気持ちを無下にできませんでした。
宗教とは距離を置く
小学校高学年から、活動が億劫(おっくう)になり、距離を置くようになりました。変わりに習い事に没頭しました。
結果を出せた時は素直に「自分が頑張ったから」だと思えたし、親戚とは集会以外では交流が薄くなっていたので、「ご先祖様のおかげだ」と感じることはなかったです。まあ「距離を置きたい」という気持ちから習い事に没頭できたので、ご先祖様のお陰といえばお陰なのですが……。
父と母は私のことを尊重してくれたので、無理じいせず、そのまま宗教活動自体はフェードアウト。
てっきり私は完全に脱会しているものだと思っていましたが、27歳で父が他界(急逝)した時に、実は子どもたちのぶんの会費をずっと払っていたことが分かりました。
姉はもともといろいろ思うところがあり、きっぱりやめると親戚の方に伝えました。少し言い合いにもなっていましたが「仕方ないね」と相手も折れてくれました。
もともと脱会していたと思っていたけど、4世代続いた信仰だったので、私が脱会することでバチがあたるのでは? という怖さや後ろめたさがありました。父が急逝して「もっと親孝行すれば良かった」といった未練も残っていました。
そんな複雑な気持ちから、父が亡くなってすぐは、そのまま入会した状態にありました。しかし私には子どもがいたので、「自分の子どもに私と同じ経験をさせたくはない」という気持ちのほうが強くなってきて、しばらくして完全に脱会することになりました。
親戚(偉い人)には特に言われませんでしたが、それ以降、親戚としての縁は切れました。昔よく関わっていた親戚が他界したのを知ったのも、亡くなってから1年後というくらいです。
やめて10年経った現在
宗教と縁が無くなり、気が楽な一方で、年に一度実家に帰ってお墓参りをする時だけは複雑な気持ちになります。お墓には父を始めとしてご先祖様が眠っています。
手を合わせ「いつも見守ってくれてありがとう」と心でつぶやく一方で、「ごめんね」といった感情も生まれます。
私の場合はすんなり縁が切れたし、「ただ父方の親戚との付き合いがなくなったというだけ」だと思えば楽な方なのかも知れませんが、家族、親戚が宗教活動に熱心だと簡単に遠ざけることができない問題なのだと感じました。
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