【好きなゲームが世間のクソゲーな人インタビュー】1980年代のSTG事情から考える「なぜ『頭脳戦艦ガル』はクソゲーと呼ばれたのか」(1/2 ページ)
アーケード版「グラディウス」と同年に登場した“スクロールRPG”。
年末企画「自分の好きなゲームが世間ではクソゲーと言われている人インタビュー」。今回のテーマは“ファミコン初のRPG(だが中身はSTG)”と伝説的に語られている「頭脳戦艦ガル」。
企画:好きなゲームが世間のクソゲー
「これはクソゲー」「あれはクソゲー」と世間は気軽に言うけれど、遊び方も感性も人それぞれ。むしろ、そんな風に言われている作品の魅力を知っている人に話を聞いてみよう。Twitterで募集をかけたら、2~3人くらい手を上げてくださるのでは?
……と思っていたら、100人くらいから連絡が来ちゃった企画です。編集部のリソース的に可能な範囲で記事化。1日1本ペースだと公開しきるまでに数カ月かかるので1時間に1本ずつ公開します。
「頭脳戦艦ガル」(しょーけんさん/@SHOKEN4)
本作品は1985年12月14日に発売されたシューティングゲームです。
プレイヤーは「ジスタス-21」という戦闘機を操り、Aボタンでショットを撃ち、パワーアップすればBボタンで斜めショットを撃つこともできます。そして各面に存在する「エネルギーパーツ」を100個集めて、最終ステージにいる宇宙空間制御装置「ドラッグ」を破壊するのが目的になります。
「頭脳戦艦ガル」がクソゲーと言われる理由
さて、このゲームはオールドゲーマーなら知らない人はいないと思います。レビューサイトをのぞいていただけると分かるのですが、完全にクソゲー扱いなんです。
大方の意見を列挙してみるとしましょう(※私の意見は後半で語ります)。
<(1)シューティングゲームなのに「スクロールRPG」なんて表記されるのはおかしい>
このゲームはどこから見ても縦スクロールSTGなのであって、RPGという表記はおかしいのではないか? というレビューです。
<(2)エネルギーパーツを100個集めるなんてキ○ガイじみている>
このゲーム、各面に存在するエネルギーパーツを集める必要があるのですが、なんと1つの面に1つしか存在せず、しかも各面の難易度が高い上に、先に進んでもステージがあまり変化しないというレビューです。
このゲームのステージは地底12面、コア8面、宇宙10面の計30面あるんですが、実際は分岐点やらワープなどもあり、1周で30面をプレイすることはありません。
パーツを100個集めて、宇宙面ラストの30面をクリアすると、やっとこさ「ドラッグ」が登場するのです。隠しアイテムにより10個一気に取ることもできるのですが、やはり全面通して3周くらいしないとエンディングに到達することはできません。
<(3)タイトルにある「頭脳戦艦ガル」が登場しない>
「頭脳戦艦ガル」というタイトルがついているものの、実は「ガル」というキャラクターはゲーム中に登場しません。それはおかしい、というレビューです。
自身の機体は「ジスタス-21」、ラスボスは「ドラッグ」です。どこにも「頭脳戦艦ガル」というキャラクターは出てこないのです。では、これはいったい何なのかというと、「ジスタス-21」を収容する母艦の名前なのです。
<(4)ステージは地底・コア・宇宙の3種類を順番に巡るが、前半の方が難しく、難易度が理不尽>
地底のステージは狭い地形が多く、コアは左右端に平たんな壁が存在するものの一本道。宇宙は壁が存在しません。攻撃頻度は後半に行くほど高まりますが、地形に関して言えば前半の方が高くなってしまっている、というレビュー。
<(5)音楽が貧弱すぎる>
BGMが単調で、しかも、エリアごとに切り替えるため、同じ曲を聴き続けることになります。音楽家のすぎやまこういち氏は「このゲームの音楽はない方がよい」と名指しで批判もしたそうです(※)。
※編集部注:この逸話は広く知られているが、ソースは確認できなかった。ただ、みうらじゅんさんは『週刊プレイボーイ』の取材の中で「ドラクエの作曲家のすぎやまこういちさんと当時お会いすることがあって、同時に『ガル』をクソゲーとして挙げてて、すごい意気投合しましたよ(笑)」と語っている
まぁ他にも致命的なバグがあるとかいろいろあるのですが、ここまでにしておきましょう。これらのレビューをもって、「頭脳戦艦ガル」はクソゲーというレッテルが貼られてしまいました。
「ガル」はそこまで言われるほどヒドいゲームなのか?
私なりの考え方を述べることにしましょう。レトロゲームそのものを評価するには、そのゲームが発売された時代のゲーム全般を取り巻く環境を知らなければ、正等な評価はできないと思います。
極端な話をしましょう。現代のゲームセンターで対戦格闘ゲームに燃えている若いプレイヤーが「『ストリートファイター』は対戦バランスが荒削りだからクソゲー」と評するのはおかしなことではないでしょうか。
現代の価値観をもって一部のレトロゲームを批判することによって、そのゲームの“クソゲーとしての知名度”が上がってしまうのは不当であると思います。ポジティブに考えるなら、時代に忘れさられずに済むということで、ある意味ラッキーなのですが……。
反論というか擁護
<(1)シューティングゲームなのに「スクロールRPG」なんて表記されるのはおかしい>
当時のRPGを取り巻く状況はどうだったか。私もほどんどやったことがないのですが、PCゲームの「ウィザードリィ」「ウルティマ」「ハイドライド」などが少しずつRPGというものを構築していった時代です。このジャンルが一般に認知されるようになったのは、「ガル」の翌年に発売された「ドラゴンクエスト」以降ではないでしょうか?
そのころに生まれたガルがRPGと銘打つことにそこまで違和感があるのでしょうか?自機が敵を倒してレベルアップするゲームだし、スクロールもするのですから、スクロールRPGと言ったっていいじゃありませんか。
あの「スーパーマリオブラザーズ」だって、ジャンル表記は「ファンタスティックアドベンチャー」ですよ?
<(2)エネルギーパーツを100個集めるなんてキ○ガイじみてる>
これに関しては後述します。
<(3)タイトルにある「頭脳戦艦ガル」が登場しない>
何の問題があるのでしょうか? 当時のシューティングゲームでは、このようなことは当然でした。
例えば、ゲーム「ゼビウス」(アーケード版は1983年登場)の「ゼビウス」は敵軍の名前であって、そういう名前のキャラが登場するわけではありません。
<(4)ステージは地底・コア・宇宙の3種類を順番に巡るが、前半の方が難しく、難易度が理不尽>
これに関しては一部認めます。地形が難しい地底ステージが、序盤に来てしまっているのは残念でした。ただし、難易度に関しては批判するほどではないのではないでしょうか。
「ガル」の地底ステージの作りは名作「スクランブル」をほうふつとさせますが、それで難易度が高いというなら「スクランブル」にも同じ批判が当てはまると思います。同様のことは、これまた名作の「ザクソン」にも言えると思います。地形にやられるシューティングで、なおかつバランスよくできているのは「グラディウス」(アーケード版1985年/FC版1986年)が初めてだと思うんですが、いかがでしょう?
※編集部注:「スクランブル」は1981年にアーケード版が登場した横スクロールSTG、「ザクソン」は1982年にアーケード版が登場したクォータービューSTG。アーケード版「グラディウス」は「ガル」と同年1985年に登場した。ここでの主張は「『ガル』が生まれたのは、地形配置によるゲームバランスが取れた作品がようやく出てきたような時代だった」といったところか。
<(5)音楽が貧弱すぎる>
少なくとも私が当時プレイしたときは全く思いませんでした。前述にもあげた「ゼビウス」のFC版なんて、音楽はスタート時くらいしかありませんでした。
それよりも「頭脳戦艦ガル」の宇宙ステージの音楽なんて好きな部類に入ります。学校でよく口ずさんでたくらいです。
そこまで言うのであれば、「ガル」の良いところとはなんだ?
「ガル」が当時のシューティングと異なる点として、「弾の連射力の高さ」「優秀な当たり判定」があると思います。
まず「ガル」は一度に画面内に出せる弾が多く、いわゆる「弾切れ」という状態になりません。(再び名作を取り上げますが)「ゼビウス」や「スターフォース」ですら画面内に3発(?)しか撃てないので、手連射しても弾切れを起こしてしまいます。あの「ザナック」や「グラディウス」ですらそうなんです。
しかし「ガル」では少なくとも手連射であれば弾切れしません。後のヒット作の「スターソルジャー」に似ています。
しかも左右のショットが独自判定を持っているのです。硬い敵には両方の弾を当てれば攻撃力2倍。また、直線だけに撃つのが当然の時代でしたが、パワーアップすれば斜めにも撃てました。
さらに言うなら、斬新なステージ分岐システム。地底では各ステージのラストは出口が二股に分かれており、自分の好きなルートを選択できます。シューティングでこれをやるのは新しいアイデアでした。後に「ダライアス」などが継承して、見事に成功しています。
私はこれらの斬新な演出で発売から3カ月は楽しむことができました。「ガル」は面白いゲームだったのです。
「ガル」がクソゲーとされた原因は何だったのか?
1980年代のシューティングゲームはストーリー構成などが乏しく、ただただ弾を撃って敵を倒していくループゲームが主流でした。しかし、「頭脳戦艦ガル」は違います。プレイヤーには「パーツを100個集める」という目標がありました。
そしてこれが、このゲーム最大の失敗だったと思います。
再び名作を例にしてみましょう。「ゼビウス」では、敵軍の首領「ガンプ」はゲーム内に登場せず、プレイヤーはひたすら全ステージループを繰り返します。「エンディングを見る」という目標は存在しません。そもそも全16ステージをクリアする自体、マニアでなければ不可能だったと思います。
もしも最終ステージに「ガンプ」が存在したとしましょう。そこまで到達できる人は少なく、ただの難易度の高いシューティングになっていたかもしれません。でも、そうではなかったから、プレイヤーは「どこまで行けて何点取れたか」と語り合うにとどまり、時に「1億点を取る」という目標を“自らの意志”で定めたのです。
しかし、「ガル」は“ゲーム側”で「パーツを100個集める→その後現れる宇宙空間制御装置『ドラッグ』を破壊する」という目標を与えていたので、プレイヤーには「やらされている義務感」が生まれてしまいました。他の名作と同じようにひらすら進むだけのループゲームであれば、事情は違ったでしょう。
つまり、目標を宣言するのではなく、隠し要素にしてしまえばよかったのではないでしょうか。例えば「パーツを100個集めると何かが起こるかも……」という風に。
※なお、本企画は「インタビュー」として募集を行ったものの、作品愛ゆえか“完成した原稿”を送ってくださる方も。この記事では「過去に書いた日記からの抜粋」をお送りいただきました。編集部で少し修正したものを掲載してます。
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