「竜とそばかすの姫」レビュー 危険すぎるメッセージと脚本の致命的な欠陥(2/3 ページ)
細田守監督最新作「竜とそばかすの姫」レビュー。
これらのストーリー展開にはどこにも論理がない。偶然と超自然的な力により、非力なお姫様は手も下さずに魔物を倒してしまうのである。そこにあるのはご都合主義ですらない、ただの夢物語である。
そしてあろうことか、日常的に虐待を受けている14歳の少年に“僕も立ち向かわなきゃいけないって思った。だから、闘うよ”と言わせて、彼らの物語の幕は閉じ、以後彼らがどのような道を歩んだのか、一切明示されない。
“僕も闘う”とは、少年少女のひと夏の異世界アドベンチャーには似合うセリフだが、ここに登場しているのは現実世界で明確に親から危害を受けている少年だ。彼と近しい状況にある人間は、確実にこの社会に存在する。保護されるべき存在である少年に、このようなセリフを「肯定的なこと」として言わせ、夢物語でしかない解決を与え、その責任を取らないというのは、一線を超えている。被虐待児童に必要なのは、闘う意志ではない。
余談だが、先日絵本作家・のぶみが五輪関連イベントへの参加を辞退した。辞退理由は公表されておらず、一部報道などでは自伝における表現が問題視されたとも伝えられたが、実際のところ彼が批判されている理由は他にある。
彼は「子どもは虐待する親を自分から選んで産まれてくる」「障害は子どもが産まれる前に意志で選びとる」「中絶も、堕胎されるのもわかったうえで子どもは着床する」といった極端な思想をSNS上で拡散し続けている。これは責任を一方的に子ども側に転嫁するものであり、かつそれを絵本等、子どもが触れることを前提としたコンテンツとして販売していることを強く非難されているのだ。
細田作品にのぶみほどの即時的な加害性があるとまでは言わない。深夜アニメや、犯罪をテーマにした作品がいくらテロリズムや殺人を賛美しようと何も思わない。守るべきもののために世界を危険にさらし、警官に銃口を向けるアニメ映画があっても、もちろん何の問題もない。ただ、被虐待児童に対し世の中に対する不信を与え、明らかに誤った解決策を提示する作品については、擁護できない。
細田は現実世界の問題意識をはっきり持った上で作品作りに生かしているというが、単独脚本である「未来のミライ」そして本作をみるに、その危険度は明らかに上がっている。アニメーション演出自体の独自性、絵の魅せ方についての技量は否定しようもない。ただ、以下のような考えを持った上で作品を作るのであれば、脚本周りについては絶対に再考の必要がある。以前のように共同執筆、ないし脚本協力を入れる、またはいっそのこと細田の作業とは切り離すべきだ。
要は「エンタテインメントの作品に、そういう現代社会の問題意識は不要だ」っていう人もいるかもしれないけれど、そんな訳ないじゃん、甘い夢ばかり見せるのがアニメなんですか? と言いたくなっちゃうんです。アニメに求められているのが、単なる現実を忘れる道具だとしたら、それはつまらなすぎますよ。
もしここまで述べてきたような意見が、無責任な外部、インターネットの敵意、それこそ取るに足らないアンチの戯言として片付けられてしまうのであれば、非常に残念だ。
この作品は間違っている。
(将来の終わり)
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