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「人を信じることが怖い」――萩原みのり、“人間関係”への恐怖との向き合い方 “考察型”恐怖体験ホラー映画「N号棟」インタビュー(1/2 ページ)

萩原さん「傷つかないために自分を守りすぎた結果、友達の作り方が分からなくなった」

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 俳優の萩原みのりさんが主演を務める“考察型”恐怖体験ホラー映画「N号棟」が、4月29日から公開されます。


(C)「N号棟」製作委員会

 同作は、2000年前後、岐阜県富加(とみか)町の町営住宅で実際に起きた怪奇現象を基にしたホラー映画。“幽霊団地”や“平成のホーンテッドマンション”、“富加町のポルターガイスト”などと呼ばれた怪奇現象は、当時、多数のメディアが大々的に報じた他、多くの霊能力者が現地を訪れ、下火になっていた平成のオカルトブームの中でも異様な盛り上がりを見せていました。

 そんな幽霊団地騒動を基にした「N号棟」で萩原さんが演じるのは、自分の存在がなくなることへ過剰な恐怖を感じてしまう死恐怖症(タナトフォビア)を抱える女子大学生の史織。霊が出るとうわさの廃団地で怪奇現象に巻き込まれる中で、“生死”と向き合う姿が描かれます。

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(C)「N号棟」製作委員会

 最近では、ドラマ「ただ離婚してないだけ」(テレビ東京)やドラマ特区「RISKY」(MBSほか)などのエキセントリックで鬼気迫る演技が「怖い」「寒気がした!」と話題になった萩原さん。「N号棟」でも監督から「もはやドキュメンタリーでした。その顔は、今まで全く見たことのない、恐ろしい物でした」と言わしめた演技を披露しています。

 インタビューでは、「追い詰められてる芝居をした覚えがない」「私自身だんだんとおかしくなっていました」と、実際におびえる様子が作中に収められていることを明かした萩原さんへ、“恐怖”を軸に、怖さを伝える演技や自身にとって怖い対象との向き合い方などを聞きました。


史織役を演じた萩原さん(撮影/こた

萩原みのり

1997年3月6日生まれ、愛知県出身。近年は「37セカンズ」「佐々木、イン、マイマイン」「花束みたいな恋をした」「街の上で」などの映画作品への出演をはじめ、「成れの果て」では主演を務めた。「RISKY」「ただ離婚してないだけ」「ケイ×ヤク -あぶない相棒-」といったドラマ作品での演技が注目を集め、話題となった。

ホラー映画を撮っている感覚はなかった

――史織が死と向き合う中で、自分の死生観もぐちゃぐちゃにされてしまうような作品でした。ホラーというジャンルではくくれないように感じましたが、萩原さんは「N号棟」をご覧になっていかがでしたか?

 最初に脚本をいただいたときから、見た人がネガティブな考えではなく、「じゃあ、今をどう生きるか」と考えてもらえたら良いなと思っていました。

 撮影中は、ホラー映画を撮っている感覚はなかったんです。どこかのジャンルに当てはめなければいけないのであれば確かにホラーなのかもしれませんが、ホラー映画は苦手だから見られないという人も少しは見られると思います(怖いと思ったらごめんなさい)。ただ、見る人のその日の元気の良さで感想が変わってくると思うので、とにかく元気な日に見てほしいです(笑)。

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――「N号棟」へ出演を決めた一番の理由はなんだったのでしょうか?

 「よく分からないけど、やってみるか」という勢いが大きかったです。日本でここまで振り切っている映画を見たことないですし、脚本を読んだときに、大丈夫かな? と思うような描写もあって、この作品に関われるのはもしかしたらすごく面白いかもしれないと思って出演を決めました。

 後藤監督に初めてお会いしたとき、とにかく優しくて穏やかでニコニコしていたので、出演を決めてホッとしました。逆に、この人の脳みそに「N号棟」があったのかと思うと怖いんですが……(笑)。

 あとは、後藤監督の死に対する考え方が、すごく自分に近かったということも、一緒にこの作品に向かっていく安心材料になりました。史織ほどではないですが、私も得体の知れない死への恐怖を子どものころから抱いていたので。

――撮影は実際に廃墟で行われたそうですね。現場での印象的なエピソードはありますか?

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 10日間ほど廃団地で撮影していたのですが、ずっと、何が本当で何が作り物なのか分からなくなっていました。廃墟って死んでいるはずなのに、めちゃくちゃエネルギーに満ちた場所なんです。入っただけで「ん?」と違和感を覚えるくらい。

 例えば、団地の前に大きな廃棄物があるんですけど、美術じゃなくて本当の廃棄物が置いてあったり、壁に付いている赤いものは過去の撮影などで使われた血のりなのか、本当の血なのか分からなかったり、とにかく偽物なのか本当なのかという違いが分からなくなっていました。

 私、もともと東京の高層マンションとかを俯瞰で見るのがすごく苦手で、四角がいっぱいある場所が怖いんです。それも相まって、同じ形のものが羅列されている団地という独特な場所に対して、「なんか変、なんか嫌、すごくきれいだからこそ嫌」という不気味な感覚がずっとあって、撮影中は史織としてもそうですが、私自身、いろいろな感覚がマヒしていました。

 朝から夜までずっと同じ場所にいるから背景も変わらないし、周りにも何もない環境だったので、「今ここでなにしているんだっけ?」という洗脳……というか本当に「N号棟」に迷い込んでしまった感覚で、今でも思い出すと変な感じがするんです。夢みたいな。

――そうした萩原さんの混乱は演技に反映されているのでしょうか?

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 だいぶ反映されています。追い詰められてる芝居をした覚えがないんです。本当に追い詰められていたから、追い詰められている状態に自分を持って行く必要がなかった。自分自身が何かを作ったり、ウソをついたりすることがなかったので、ある種、すごく楽でした。映像を見ると、顔が真っ白だったりするんですが、本当に酸素が回っていない顔なんです。だから、映像が完成した初号を見させていただいたとき、エンドロールで流れる主題歌が「本当に(あの撮影は)幻だったんじゃないかな?」と思うくらいでポップでビックリしました(笑)。

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