コラム

ディズニーの実写版「リトル・マーメイド」が米国でヒットした2つの理由(1/2 ページ)

米ニュージャージー州在住の冷泉彰彦さんが考察。

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 実写版「リトル・マーメイド」が6月9日から全国劇場にて公開中だ。今作は主演にアフリカ系の歌手で俳優のハリー・ベイリーを起用し、公開前から議論を呼んだ。しかし、一部の国々では不評という報道もある一方で、アメリカ国内ではヒットを記録している。なぜ今作はアメリカ国内で成功を収めたのか。米ニュージャージー州在住の作家・ジャーナリストである冷泉彰彦さんに考察してもらった。

(文:冷泉彰彦  編集:上代瑠偉)

実写版「リトル・マーメイド」は興行的に成功を収めた

(C) 2023 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

 実写版「リトル・マーメイド」(ロブ・マーシャル監督)は、アフリカ系R&B歌手のハリー・ベイリーを主役のアリエル役に起用したことで波紋を呼んでいた。ハリーは「クロエ&ハリー」という姉妹R&Bデュオの妹のほうで、ローティーンのころから天才デュオとしてYouTubeで人気が上昇、ビヨンセから弟子として指名されてプロデビューの後、すでに2回(のべ5部門)のグラミー候補となっている。

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 この実写版は1989年のアニメ版の忠実な再現となっているが、アンデルセンの原作「人魚姫」に続いて、アニメ版の主役アリエルも白人だったことから、アフリカ系のアリエルという人選に、SNS上では「#notmyariel」つまり「(ハリーは)私のアリエルではない」というハッシュタグを使って反対意見が拡散し、中には露骨な差別表現まで横行するに至った。けれども、結果的には興行的に成功しており、多くのディズニーファンの支持を得たと言って良いだろう。

 まず、公開のタイミングとしては、5月末の「メモリアルデー(戦没者慰霊の日)」の3連休という、映画業界としては非常に重要なシーズンが選ばれた。この時期の公開作品としては、公開直後の週末(オープニング・ウィークエンド)の業績として、歴代1位は2022年の同時期に公開された「トップガン マーヴェリック」で興収1億6000万ドル(約230億円)である。これに対して、この「リトル・マーメイド」は、歴代5位(1億1900万ドル=約170億円)という堂々たる興収を達成している。

 本稿の時点ではアメリカ国内での興収が2億7000万ドル(約387億円)となり、2億5000万ドル(359億円)までの達成スピードは、歴代の全ての映画のランキングの89位。また全世界での興収としては、4億9900万ドル(約716億円)まで伸びている。

 CGIやセット、音響など、製作コストはかなり膨らんで2億5000万ドル、これに加えてマーケティング費用もかさんでおり、損益分岐点は5億ドル(約717億円)超えとも言われる。一部ではその達成は難しいという報道もあったものの、グッズやサウンドトラック販売などの「副収入」もあるため、クリアするのは時間の問題ではないか。そうなれば、直接映画を見たファンだけでなく、作品として社会的認知を受けたことにもなるし、プロジェクト全体としても堂々たる成功となる。

 批評家の反応はおおむね好評だが、保守系の批評サイトはどうかというと、例えば保守的な「福音派クリスチャン系」の映画評サイト「ザ・コリジョン」では、神学者のダニエル・ブラックベイが今作については好意的な批評を寄せている。主役のハリー・ベイリーに関しては「キャスティングに関する疑問や懸念は、(実際の作品を見れば)すぐに消えるだろう」としている。

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 保守系の映画評サイトでは、最も強硬で有名な「Worth it or Woke?(「見る価値アリ、それとも単なるポリコレ?」)」では、さすがに辛口で、総合評価は100点満点中の38点。親世代へのアピールは「0%」、「Non-Wokeness(ポリコレでない度合い)」も「10%」と手厳しい。だが、それでも演技には「49%」をつけているし、批判の多くはムリに多様性を演出したとする主張や、CGの魚が妙にリアルで気持ち悪いといった点に集中している。アメリカ保守の強硬派も、ハリーの演技を酷評することはできなかったようだ。

実写版「リトル・マーメイド」を成功へ導いた2つの要素

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 では、公開前は散々悪口を言っていた保守の強硬派も、実際に今作を見ると、どうして批判の声を引っ込めているのだろうか。それ以前の問題として、アメリカ国内ではどうしてここまでのヒットとなったのだろうか。

 まず第1に、主役のアリエルを演じたハリー・ベイリーが素晴らしい。何と言ってもその歌唱は圧倒的であり、ピッチも、発音も完璧だ。高い音域から低い音域まで全く声質が変わらず、その声質は澄み切っているが温もりがあり、まばゆいまでの輝きがある。そして、ミュージカル楽曲に要求される歌詞とセリフの絡んだドラマチックな表現も鮮やかにこなしている。キラキラとした存在感、ブレずに真っ直ぐ前を見つめる表情など、少女たちのロールモデルとしてのカリスマも目一杯ある。

 公開に前後して、ディズニーは「シンデレラ城」を背景にテーマ曲「パート・オブ・ユア・ワールド」を歌うハリーのMVを公開したが、これはすでに950万回超再生されている。また、その歌唱について多くのボーカルトレーナーやプロ歌手、オペラ歌手などが「いかに天才的か」をテクニカルな観点から解説した動画も数多くアップされており、話題になっている。

 2点目は、1989年のアニメ版を実に「正統的に発展」させたプロダクションということだ。まず、アニメ版は、デンマーク人のH・C・アンデルセンが1837年に発表した童話『人魚姫』を大胆に改変している。悲恋と自己犠牲という原作のテーマを、少女の成長と自立、和解の物語に書き換えただけでなく、舞台も全く違う世界に移植しているからだ。

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 アンデルセンの原作で人魚の住むのは冷たい北海であり、そこは人魚が一種の死神というような伝説の支配する世界だった。それをディズニーは、1989年の時点で、アラン・メンケンの極彩色の音楽とともに、暖かいカリブの海に移植している。これは「人魚」にあった「死のイメージ」を消して、子どもたちに希望を与えるエンディングへと転換するには必要な改変だったと言える。

 今回の実写版は、この温暖な「カリブ海」という世界観をCGIを駆使して忠実に踏襲している。その上で、カリブ海地方の主要な人口を占めるアフリカ系の女性が起用されるというのは、そこには明らかな必然性がある。つまり、これは「正統的な発展」なのだ。

 つまり、ハリー・ベイリーという唯一無二の才能を見出したこと、そもそもアニメ版において舞台がカリブ海へ移されており、その世界観を実写+CGIでより具体化したこと、この2つの要素が合わさることで、今作は成立している。その結果として、今作がこのようなプロジェクトとなることには必然性があり、そしてこのような成功も約束されていたと言っていいだろう。

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 一方で、2010年代以降のディズニーが、多様性という価値観を「時代の基本思想」として主要作品に埋め込んできた、そのサクセスストーリーの延長に今作があるという見方ももちろん可能だ。

 具体的には、女性キャラクター「レイ(デイジー・リドリー)」を主役に展開した「スター・ウォーズ」シリーズの後期3部作、そして、フェミニストを自認するエマ・ワトソンを主役に据えて知的で自立した女性像を描き出した実写版「美女と野獣」などの成功が指摘できる。さらにはアフリカ系によるアフリカを舞台にした物語を通じて、人種を超えた高い支持を獲得した「ブラック・パンサー」と、その悲しい続編「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」もその代表と言えるだろう。

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 こうした作品を積み上げることで、21世紀の中葉に社会を支える若い世代に対して、ディズニーはその時代に見合った価値観を示してきたのである。今作においても、結果的にアフリカ系のハリーを主役に抜擢して製作が進められたプロセスでは、やはり多様性重視という姿勢は作品に奥行きを与えることとなった。

 さらに言えば、例えば狂言回しのカツオドリ「スカットル」を演じ、いくつかのナンバーではアンサンブル歌唱も披露しているアジア系ラッパーのオークワフィナ、悪役「アースラ」で怪演を披露したアイルランド系女性コメディアンのメリッサ・マッカーシーなど、幅広いバックグラウンドを持つ才能が束ねられている。そんな中で、多様性重視というメッセージは、今作を通じて観客の子どもたちに確かに伝わっていると思われる。

 だが、それはあくまで結果であり、今作の成立はハリー・ベイリーというキャスティング、そしてアニメ版以来のカリブ海という舞台設定の延長で、自然に出来上がったものだと言える。冒頭申し上げたように、主役が公表されて以降の今作は、賛否両論に加えて、一部からは誹謗中傷にさらされた。製作陣は、そうした雑音にも一切ブレることはなかったし、また若いハリー・ベイリーをそのような悪意から徹底的に守り切った。その強い姿勢も、プロジェクトの成功を支えたと言えるだろう。

【6月27日13時35分修正】初出時、米ドルの記述が誤っておりました。お詫びして訂正いたします

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