アガサ・クリスティひ孫、時代に沿った表現の変更を「わずかな代償」とする覚悟 最新映画「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」では原作を大胆改編
100年前の読者も、現代の読者も同じ気持ちで楽しめる作品に。
ケネス・ブラナー監督・主演で送る映画シリーズ最新作「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」が9月15日から全国公開。過去2作とはテイストを変え、原作を知っている読者にも結末が予想できない、ホラーテイスト強めの本格ミステリー作品となっています。
原作はいわずとしれた、「世界一売れた作家」“ミステリーの女王”ことアガサ・クリスティによる名探偵ポアロシリーズ。最新作「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊(原作:『ハロウィーン・パーティ』)」は、過去に何度も映像化された前2作「オリエント急行殺人事件」(2017)「ナイル殺人事件」(2022)とは異なり今回が初の映画化で、比較的原作に忠実だった両作と比べてタイトルはもちろん、作品の舞台や役柄など多くの要素が原作から変更されています。
背景には、クリスティ作品を含めて旧作が近年経験している、時代の移り変わりによる表現の変化の影響を感じさせます。ねとらぼでは、クリスティのひ孫で作品の管理を担い、また映画シリーズにプロデューサーとして関わるジェームズ・プリチャードにリモートインタビュー。プリチャードですら当初は首をかしげたという『ハロウィーン・パーティ』映画化のいきさつや、死後50年が経過しても愛され続けるクリスティ作品の魅力を聞きました。
「なぜこの作品を選んだのか分からなかった」 ケネス・ブラナーが あえて地味な原作を選んだ意図
―― 今回の映画でプリチャードさんが担った役割を教えてください。一般的に映画プロデューサーは、資金集めを含めて撮影がスムーズに進むよう各所を整える仕事といった印象がありますが、プリチャードさんの場合は原作者のひ孫という立場です。
ジェームズ・プリチャード(以下、JP) 私の役割はさほど多くなく、日々何をするかというよりまずプロジェクトを深掘りし立ち上げることが中心です。映画でもテレビでも、成功のカギになるのは脚本だと私は考えています。すばらしい脚本なしに優れた映画は作れません。いい脚本があっても失敗することはありますが、少なくとも脚本さえあればチャンスは生まれます。
私の仕事は主に制作の初期に関わるもので、ストーリーを選択し、個々の要素をどう取り扱うか、映画が正しい方向へ向かっているかを確認することがメインです。ありがたいことに今回のプロジェクトでは、マイケル・グリーンという信頼の置ける脚本家に恵まれ、彼には何が大切かすぐさま察知する勘のよさがあるので、私の仕事はすっかり楽になりました。
撮影が始まってしまえばあとは監督の仕事です。ケン(ケネスのニックネーム)・ブラナーは自分が成すべき仕事を熟知しているので、私があれこれ指示を出す必要はないんです。
―― 原作に関していえば、なぜ今回『ハロウィーン・パーティ』が選ばれたのでしょうか? 過去2作に比べると知名度も高くなく、今回が初の映画化で設定もかなり変更されています。
JP マイケル・グリーンからは、ずいぶん前に『ハロウィーン・パーティ』を映像化したいと相談されていましたが、当時はなぜ彼がこの作品を選んだのか、どうしたいのかすら理解できませんでした。2、3年前になって、マイケル、ケン、20世紀スタジオのスティーブ・アスベルとの会議で、あらためて話を聞くと、「次は何か違うことをして、観客を驚かせたい」と説明されました。
前2作「オリエント急行殺人事件」「ナイル殺人事件」は、クリスティ作品のうちでも指折りのビッグタイトルを、クラシックな手法で原作に忠実に映画化したものだからです。マイケルはこの時点から、原作から変えるべき部分があるとしっかり主張していました。
仰る通り、「ベネチアの亡霊」は『ハロウィーン・パーティ』とはかなり違う作品となっています。最大の違いは、舞台をイギリスの村からベネチアへ移したことでしょう。原作を読んだことがあるアガサ・クリスティのファンも、先がどうなるか分からないストーリーを楽しめるはずです。作品全体のトーンは変えずに、とても恐ろしいホラー要素も加えられています。個人的にこの作品はホラー映画ではなく、マーダーミステリーであると同時にサスペンススリラーでもあると思っています。
初版と最新版、どちらを読んでも同じ感想になるように 時代とともに変化し続けるクリスティ作品
―― 舞台以外にも、映画オリジナルの登場人物や、既存のキャラも年齢や設定が変更されていますね。これだけ大胆に手を加えることを許容できたのは、ケネス・ブラナー監督との信頼関係があるからではと想像しますが、監督とはどんな関係を築いていますか?
JP 核心を突いた質問ですね。仰るとおり信頼が全てです。非常に幸運なことに、私たちは最初から一貫して一連のプロジェクトに同じパートナーと一緒に取り組めています。父から事業を引き継ぐ際、大切なのはパートナー選びだと教わりました。ただし選ぶには慎重になるべきだけど、一度決めたのなら全幅の信頼を寄せろとも。
ケネス・ブラナー監督、脚本家のマイケル・グリーン、そして20世紀スタジオのスティーブ・アスベル。シリーズ開始からずっと関わり続けてくれる彼らを心から信用しています。彼らが過去2作をやり遂げてくれたからこそ、今回自由にやってもらおうと任せられる余裕が生まれました。1作目からこれだけ大胆に原作を変えたいと打診されていたら、今私が抱いているほどの自信はなかったでしょうね。何年も一緒に同じ仕事へ取り組んできたからこそ、好きにやってもらえるほどの信頼関係が築かれた。最初からここまで任せられたわけではないです。
―― 原作には、現代の基準に照らし合わせれば差別表現と受け取られかねない記述もあり、個人的にはそれも今回の映画での設定変更の一端なのではと考えています。4月には小説内の表現に、時代の変化に準じて手を入れていることがニュースになりましたが、作品を管理する立場としてこうした変更をどう捉えていますか?
JP 私の曾祖母が小説を書き始めたのは100年以上前のことです。曾祖母自身、存命中には時代の変化に沿って単語やフレーズを置き換えることが多々ありました。言葉は変化するものだから、これまでも版を重ねるたびしばしば手を入れています。
私たちアガサ・クリスティ・リミテッド(ACL)は、アガサ・クリスティの死後、本人の名声や作品を管理し、守るために誕生した組織です。私の曾祖母はエンターテイナーで、他者の気分を害することを望む人ではありません。単語やフレーズを現代風に置き換えることが読者へ与える不快感は、過去100年間の読者がクリスティの物語を楽しんできたように、現代の読者が作品を楽しむために払うわずかな代償と捉えています。曾祖母がつむいだ物語の中心にあるのはあくまでプロット(筋)であり、作品には曾祖母のユニークな才能が反映されています。
―― 言葉やフレーズを変えたとしても、ここは絶対に変えられないと決めている基準はあるのでしょうか?
JP 基準にしているのは、ストーリーと作品の空気感。絶対に変えたくない部分で、とても慎重になります。初版と現在発売されているバージョンを読み比べたとき、読者が同じ感想を抱くようにしたい。私たちが変更するのは、単語やフレーズだけです。
「これぞアガサ・クリスティ・エクスピリエンス!」と喜ぶ映画に 原作から変わっていない部分
―― 原作『ハロウィーン・パーティ』を読んだことがあるファンが、映画「ベネチアの亡霊」に期待できるのはどんな要素でしょうか?
JP 軸になる部分は原作から変えていません。確かにストーリーには差異があり、新しく創作されたキャラクターもいますが、事件はハロウィーンの日に起きるしキャラも一部はそのままです。何よりマーダーミステリーという核心は変わっていません。
それこそがわれわれが“アガサ・クリスティ・エクスピリエンス(体験)”と呼ぶもので、私たちが譲れないクリスティブランド。観客はいわゆる定番のクリスティ体験を堪能できます。ケネス・ブラナーの演じる魅力あふれるポアロ、そしてポアロ映画としてのすばらしさ。それこそ私にとっては真のクリスティ体験というものです。
―― ちなみにクリスティファミリーに伝わるハロウィーンの伝統なんてものはあるのでしょうか?
JP ここだけの話、私自身はハロウィーンが大好きというわけではなくて(笑)。ただ今回の映画には、子どものころのハロウィーンを思い起こす場面が登場します。水に浮かべたリンゴを口でくわえて取り出すボビングアップルという遊びです。ハロウィーン自体は米国っぽい行事ですが、ボビングアップルはいかにも英国的な変な風習という気がします。どうしてこの遊びがハロウィーンにつきものなのか私には見当もつきません。
―― 確かになぜリンゴなのか。今も変わらずイギリスではメジャーなんですか?
JP 今でも行われていますよ。人気……といっていいのかは分かりませんが。ちょっと気持ち悪い遊びですよね(笑)。でも私にとって、ハロウィーンといえばボビングアップルなんです。
本気のビックリ顔を引き出した ケネス・ブラナーの監督力
―― 撮影現場の雰囲気はいかがでしたか? 画面からは不穏な雰囲気ばかりが伝わってきますが、意外に和気あいあいとしていたなんてこともあるのでしょうか。
JP 撮影はパンデミック終盤に行われたとはいえ、まだ感染対策に慎重だった時期なので私は現場への訪問を極力控えていました。ただ、ケンは現場の空気作りにとても優れているんです。キャストを一致団結させ、近年の映画撮影では珍しいほど一緒の時間を過ごしていました。お芝居でのカンパニー作りに近いかもしれませんね※。
これはいいなと思ったのが、ケンは撮影現場で何が起きるか意図的にキャストに知らせないこと。だから怖いシーンの幾つかで、キャストは演技ではないリアルな驚きを見せています。ケンの狙い通りにね。皆さん楽しみにしていてください。
※ケネス・ブラナー監督は王立演劇学校を首席卒業後、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーに参加。その後は自身で劇団を設立し、数々のシェークスピア作品を上演し高い評価を獲得しているほど舞台経験が豊富
―― 意外にやんちゃな方なんですね。キャストはいかがでしょうか? 霊能者を演じるミシェル・ヨーはオスカーも受賞したばかりで、今新たな旬の時期を迎えています。
JP ミシェル・ヨーはなかなか他にない魅力を持つ貴重な存在で、私たちは幸運にも彼女をキャスティングできました。前作「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が公開されたのは、われわれがキャスティングを検討し始めたのと同じタイミングだったんです。当初からオスカー候補とうわさされていましたが、ご存じの通り見事に受賞してすばらしい俳優だとあらためて証明しましたね。彼女が演じるジョイスは重要な役で、この映画が成功するかは彼女次第だったといっても過言ではありません。
さらに別のキーとなるのがケネス・ブラナーの演技で、彼はこれまでと同様に最高の実力を見せつけました。ティナ・フェイが演じるアリアドニ・オリヴァもよかった。そして忘れてはならない私のお気に入りが、レオポルド役を演じる子役のジュード・ヒルです。彼の演技には圧倒されましたよ。とんでもない才能の持ち主で、なんと言っても私には彼と同じ10歳の息子がいるのでね。キャストのすばらしさに皆さんも驚くことと思います。
―― 最後に、アガサ・クリスティの作品が時代や国を問わず愛されている理由をどう考えているのかお聞かせください。
JP とても簡単な質問です。答えは物語だと思います。曾祖母はストーリーテリングの天才で、プロット作りに長けていました。すばらしいストーリーとすばらしいプロットは時代を問いません。流行も国境も言語の違いも関係ない。それが現代でも曾祖母の物語が世界中で愛されている理由でしょう。
幸運なことに、私はACLを代表して日本を訪れたことが何度かあり、そのたびに日本のクリスティファンの熱狂ぶりにとても驚きました。曾祖母が生前に日本を訪れることはなかったのに。日本には古くから探偵小説を楽しむ伝統があったからでしょうか、日本で海外小説が楽しまれるようになってから変わらず人気と聞いています。それこそが曾祖母が優れたストーリーテラーだった証明です。最初の本が出版されてから100年以上、亡くなってから50年以上たった今日でもなお曾祖母の物語は世界中で愛されています。
『名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊』
9月15日(金) 劇場公開
監督:ケネス・ブラナー 脚本:マイケル・グリーン 製作:ケネス・ブラナー、リドリー・スコットほか 音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
出演:ケネス・ブラナー、ミシェル・ヨー、ティナ・フェイ、ジェイミー・ドーナンほか
ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c) 2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
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