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「ゲームセンター岩田と呼んでいた」――東工大が任天堂・岩田社長への追悼文を公開 同級生の教授らが学生時代のエピソードを明かす

30年以上前に学内外で同じ時を過ごした教授3人のコメントが掲載されています。

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 東京工業大学が8月4日、同校の卒業生である故・岩田聡任天堂社長への追悼文を公開しました。その中で、岩田さんと学内外で同じ時を過ごした同大の教授3人のコメントを掲載しています。


画像 「岩田聡氏を悼んで」

 工学部時代の同級生だった植松友彦教授は、入学時に名簿の順番が近いこともあってすぐ知り合いになったとのこと。「岩田君は、国産の一体型パーソナルコンピュータであるMZ-80KやPC-8001が発売される前に、Commodore社のPET2001を所有して、日夜その腕を磨いていました。当時のパソコンは高価で、電気系でも持っていた学生は10名以下だったと思います。同じアパートに住む同級生は彼のコンピュータでゲームを楽しんでおり、彼の部屋を『ゲームセンター岩田』と呼んでいました」と、興味深いエピソードを明かします。


画像 東工大

 研究室の先輩だった佐伯元司教授は、岩田さんの研究内容(タブレット上にペンで数式を手書きし、超小型コンピュータで認識させる)が、振り返ってみるとニンテンドーDSの原型ともいえるとし、「先見の明にあらためて感服している」とコメント。

 ハル研究所でのアルバイト仲間だった松岡聡教授は、浅草橋のマンションの一室で一緒に泊まり込みでゲームソフト開発に明け暮れたといい、研究所を離れる際にもらった言葉「自分はゲーム業界できっと成功するが、松岡も必ず研究者として成功するだろう」が奇しくも現実になったことに驚いていました。

 全文は同大学のサイトで読むことができます

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