吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」の歌詞は結構ホントだった! 当時の様子を知る人が“答え合わせ”してみると……
歌詞の舞台は、吉さんが上京したころの「何にもない故郷」だった。【訂正】
国民的演歌歌手・吉幾三さんの出世作となった「俺ら東京さ行ぐだ」。出身の青森県北津軽郡金木町の田舎ぶりをオーバーに歌った自虐ソングといわれ、大いに人気を博しました。
しかし同時に、「さすがにここまでド田舎じゃない!」と、地元金木町からはたくさんのクレームをもらってしまったとのこと。ですがあの曲の舞台は、(歌詞の一部分を除き)曲が発表された1984年ではなかったよう。後に吉さんはこう告白しています。
田舎を出てきたときの気持ちを歌にしようと思った。「なんにもないのがイヤで出てきたんだよな」。テレビもねぇ、ラジオもねぇ、車もそれほど……。田舎にないものをぶつぶつ言いながら書き出すうち、いつしか調子をとっていた。
(中略)
でも、地元の反応は散々。「今はテレビもラジオもある、ばかにするな」と事務所まで抗議の電話がきた。吉さんが「子どもの頃はなかっただろうが」と反論し、けんかになったこともある。
<出典:朝日新聞 2008年11月29日号 日曜別冊版>
つまり1984年ではなく、吉さんが東京に出てきたとき、1968年3月当時の「なんにもない」ふるさとを歌った曲だったのです。
ならば! と、「吉幾三さんのふるさと、当時のホントの姿はどうだったの?」を聞いてきました。インタビューに答えてくれたのは、金木町ご出身で金木商工会にお勤めで吉さんより1歳下の63歳、伊藤さん。
吉さんが育った金木町。さらに詳しくいうと、中心部から2キロ離れた農村地帯・旧嘉瀬村地域にお住まいだったそうです(昭和30年に金木町へ吸収合併)。そこで1967〜1968年ごろの金木町(および嘉瀬地域)のことについて聞きました。
「俺ら東京さ行ぐだ」歌詞のウソ・ホントを伊藤さんに1つずつ聞きました
(以下、伊藤さんの体験による見解になります)
テレビも無ェ→× ラジオも無ェ→×
「当時からテレビもあったし、ラジオもあった。カラーテレビも既に出ていたが、ちなみにウチは白黒テレビ」
(ただし吉さんの家は、吉さんいわく「町一番の貧乏家庭」だったそうで、本当にテレビもラジオもなかったとか。つまり金木町というより、吉さん宅の事情だったよう)
自動車(クルマ)もそれほど走って無ェ→○ 信号無ェ→○
「確かに車はあまり走ってなかったし、信号もなかった。車の往来が少ないので、金木町の中心あたりの交差点も信号はなかったが、大丈夫だった」
ピアノも無ェ→△
「学校にはアップライトピアノがあったが、おうちにあるのは見たことがない。ピアノなんかを習っている人はいなかった」
バーも無ェ→○
「しゃれたバーなんてものはなかった。「一杯飲み屋」はあったが、カウンターと小上がりがあるくらいの小規模のものばかりだった」
巡査(おまわり)毎日ぐーるぐる→○
「本当に事件らしい事件はなかった。おまわりさんも平和に散歩しているような感じだったと思う」
朝起ぎで 牛連れで 二時間ちょっとの散歩道→△
「『牛』でなく『馬』ならよく見た。田んぼの道を散歩させているところ。農耕馬は田んぼをおこすのに当時はまだ使われていたので。牛を散歩させるところもほんの少し見たことがあるが、馬のほうが一般的だった」
電話も無ェ→△
「多くの家には電話がなかったので、よそに電話を借りに行くことが多かった。私の家にもなかったので、よそヘ借りに行っていた。電話交換手を通して、電話料金を教えてもらえるスタイルで、その都度料金を電話主に払っていた」
瓦斯(ガス)も無ェ→○
「確かにあまりにプロパンガスは普及していなかった。かまどや薪ストーブを使っていた」
バスは一日一度来る→×
「一日一度っていうことはなかったはず。午前2本、午後2本などだったのでは。ちなみに今も1日3度くらい。ただ、当時の金木町よりもっと田舎のところはあったので、そこではバスが1日1度というのもあったと思う」
ギターも無ェ→○
「『ギター』はほとんど見なかった。持っている人はとても少なかったはず。当時のグループサウンズなどの歌をテレビで目にするにしても、ギターは持っていなかった。隣の五所川原市には楽器店があったので、それを吉さんたちもうらやましく見ていたのでは」
(ただ、吉さんの父親は民謡歌手のため、家にギターやバイオリンはあったそうです)
ステレオ無ェ→○
「ステレオもない家が多かったはず。当時はかなりお金持ちの趣味人しか買えなかった。五所川原市に行くと電気店があったので、それをショーウィンドウでうらやましく眺めていた金木町民も多かったと思う」
喫茶も無ェ→○
「金木町に喫茶店はなかった。初めてできたのは昭和40年代後半だが、それも1店だけだった」
集(つど)いも無ェ→×
「みんなが集まる『劇場』はあった。映画やお芝居やのど自慢コンクールなど、いろいろイベントをやる場所だった。さらに青年団や消防団もあった。ただ少年野球チームのようなものはなかった(中学以上の部活はあった)」
まったぐ若者ァ俺一人→×
「さすがにこれはない。むしろ今より若者は多かった。ただ、若い人が働き手として都会へいっぱい出ていってしまうのは当時からあったので、その寂しさを歌詞に込めたのかも……」
婆さんと爺さんと 数珠を握って空拝む→×
「実際に空へ向かって拝んでいたことはない。だが自然相手の農村は、作物を育てるのにお天道さまへ拝んでいたので、それを言っているのかもしれない」
薬屋無ェ→○
「薬屋はなかった。当時は置き薬の時代だったこともあるが」
映画も無ェ→×
「前述の『劇場』で、映画も上映されていた」
たまに来るのは紙芝居→○
「紙芝居は“たまに”どころでなく毎日来ていた。神社の境内に紙芝居屋が来て、水アメや型抜きなどを売っていた。子どもたちの楽しみの1つだった」
新聞無ェ→×
「新聞はあった。当時から新聞少年らが東奥日報を配達してくれた。ただ、お金がなくて購読できない家庭もあった」
雑誌も無ェ→×(△)
「本屋は金木町に一軒だけあった。ただ、嘉瀬地域にはない。今より雑誌自体が少なかったがマンガ誌の少年マガジンや少年サンデーなどはあった」
たまに来るのは回覧板→○
「地域の連絡手段としてあった」
俺らの村には電気が無ェ→×
「さすがに電気はあった。ただ、金木町より田舎の『山間部の開拓村』では、まだ電気の通っていない地域はあったと思う」
続いて以下の数項目は、曲の舞台が楽曲が発表された1984年当時になっているようなので、1984年当時の金木町を基準に検証します。
ディスコも無ェ→○
「もちろんない」
のぞきも無ェ→○
「風呂屋さんはあったが、のぞき部屋のような風俗店は今も昔も全くない」
【訂正:2017年7月20日午後1時40分】記事初出時、「のぞき事件があったことなどは把握していない」と記述していましたが、「“のぞき”とは当時の風俗店のことでは?」との指摘を受け、あらためて伊藤さんに確認を取り、上記の通り訂正しました。
レーザー・ディスクは何者だ?→○
「84年当時でも金木町では全然普及していなかったはず」
カラオケはあるけれど かける機械を見だごとァ無ェ→△
「8トラックカラオケはあったし、見たことはあった」
いかがでしょう。思ったよりも、かなり「○」が多かったのではないでしょうか。さすがにオーバーに歌っていた部分もあったようですが、あの歌詞にはホントの部分も実は多かったのです。
「東京賛歌のウラにある、ふるさとへの愛は感じました」
ここまで歌詞の一問一答にお答えくださった伊藤さんに、こぼれ話を聞きました。
――「俺ら東京さ行ぐだ」を初めて聞いたとき、どう思いましたか?
伊藤さん:衝撃的でもあったし、歌詞そのものが、逆に笑えました。さすがにこんなはずはないと思っていました。当時は歌詞の舞台の多くが1967〜68年ごろであることを知りませんでしたので。
――「俺ら東京さ言ぐだ」をご自身で歌ったことはありますか?
伊藤さん:東京で行われた青森県出身者の結婚式余興で、ギター弾き語りで歌いました。すごくウケましたよ。
――「俺ら東京さ行ぐだ」のメッセージを聞いてどう思われましたか?
伊藤さん:吉幾三さんと同じように金木町民は、みんな東京にあこがれていたと思います。悪いですが仙台などには目もくれず、東京に目が向いていましたね。出稼ぎ場所ももっぱら東京でしたから。それと同時に……東京賛歌のような歌詞のウラにある、「金木町への愛情」も強く感じました。それは分かりましたよ。
「何にもない田舎がやっぱり大好きなんだ」
吉さんは語っています。
何もかも遅れていたが「それはそれで良かった。いまのようにモノがいっぱいあって、不自由な思いをしない子どもたちが、果たして幸せなのかどうか」
<出典:吉幾三さんの著書『酒よ、歌よ、津軽よ(徳間書店)』>
モノがあるのが幸せか、それともないほうが幸せなのか。答えは出ませんが、吉さんはこうも言っています。
「確かに田舎には何もないよ。でも東京には山ねえだろ、ベゴ(牛)ひけねえだろ。それぞれ、あるもの、ないものがある。何にもない田舎が、おれはやっぱり大好きなんだ」
<出典:朝日新聞 2008年11月29日号 日曜別冊版>
(辰井裕紀)
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