今では普通に使われている「巨乳」という言葉。しかし、この言葉が生まれたのは比較的最近で、そもそも日本ではもともと、おっぱいは性の対象として見られていなかったと言います。
「巨乳」という言葉はいつから生まれたのか。日本人はいつごろから、おっぱいを性的に見るようになったのか。実は意外と知られていなかったおっぱいの謎と歴史を、書籍「巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか」の著者・安田理央さんに聞いてみました。
安田理央さんはフリーライターで、主にアダルトテーマを中心に執筆。また、特にエロとデジタルメディアとの関わりに注目していおり、アダルトメディア研究の第一人者でもあります。そんな安田さんが今回注目したのは、巨乳の歴史。「巨乳の誕生」では、おっぱいがどのようにメディアで扱われてきたのかを探っていったと言います。
80年代までは人気がなかった「大きなおっぱい」
―― まずはどうして「巨乳史」を書くことにしたのでしょうか?
安田理央(以下、敬称略):この本の前に「痴女の誕生」という本を書きまして、アダルトメディアの歴史を説いたのですが、かなり面白かったんです。さて、次はと思った時に「巨乳」が思いついたのです。でも僕は巨乳好きではないんですよ。
―― そうなんですか! さぞお好きかと思いました。
安田:ネタとしては面白いんです。繰り返しますが、好みではないです。実際、80年代まで大きなおっぱいの人は人気なかったんですよ。昔を振り返ってもそう思ってましたし。では、いつからメディアに大きなおっぱいがでるようになったのか。それが気になったわけです。
―― それで調べることになったのですね。
安田:今年で創刊40周年を迎える『バチェラー』(ダイヤプレス)っていう巨乳専門誌があるんですが、そこの編集部に行って40年分見せてもらったり、『週刊プレイボーイ』も創刊号から編集部で見せてもらったりしました。あとは古本を買い集めたり、国会図書館に行って調べまくったりしましたね。
日本人は胸を性的に見ていなかった
―― 巨乳の歴史を教えていただけますか?
安田:日本の話からすれば、日本人っておっぱいに興味がなかったんです。というか、性的な対象として見ていなかったんです。
―― そうなんですか!?
安田:江戸時代の春画を見るとわかるんですが、着衣での性器ばかり描かれていて、裸体自体が少ない。どうやら当時は男女の体の違いは性器だけだと思っていたようなんですね。おっぱいは描かれないし、愛撫もされない存在。まず、日本人は裸体に興味がない。だから混浴でも平気だったんです。
―― 興味がないから平気だったんですね。
安田:でも開国して外国人が入ってきて(混浴を)怒って、怒るのに見に来て。外国人にとっては信じられないですからね。彼らはキリスト教徒ですから。一般にキリスト教では、性欲は悪であり、裸は淫らなもの。そして、日本政府が1881年に裸体禁止令を出したんです。それで、あっという間に裸=淫らになってしまったんです。
グラマーからボイン。そして巨乳へ
安田:アメリカでは40年代以前は脚がセックスアピールとされていました。おっぱいに目覚めるのは40年代から50年代。マリリン・モンローの時代ですね。魅力的な女性という意味で「グラマー」という言葉が流行し、それが日本に入ってきて、57年ごろに一般化します。それがやがて、バストやヒップが豊かな女性を表す言葉となっていきます。
―― やっと大きなおっぱいが認められたんですね。
安田:ところが、60年代後半に入って、グラマーが廃れます。イギリスのツイッギーの登場で、痩せててユニセクシャルがカッコいいとされるようになる。ウーマンリブ(女性解放運動)が出てきて、大きなおっぱいは恥ずかしいとされてしまうんです。そして1967年にはアメリカで、「おっぱいが大きな女は頭が悪い」という論文が本当に発表されます。
―― 信じられない話ですね。おっぱいがかわいそうです。
安田:それから大きなおっぱいは、単なるエロの対象として扱われるようになったのですが、それと同時期に「ボイン」という言葉が日本で生まれます。巨乳と言われる前は「ボイン」と言われていたんです。1967年に深夜テレビの「11PM」で大橋巨泉が朝丘雪路の胸をボインと言い表し一般的になりました。
―― 今では死語として残ってますね、ボイン。
安田:70年代には日本の芸能界にアイドルという存在が生まれますが、彼女たちは胸が小さくなければいけなかった。実は胸が大きいアグネス・チャンはさらしを胸に巻いてそれを隠していたといわれています。そんな状況の中、75年にハワイからアグネス・ラムが来日し大人気に。グラビアアイドルの元祖です。そして、77年に初めてと言っていい、巨乳アイドルの榊原郁恵がデビューします。
―― 大きなおっぱいが一般的になっていくんですね。
安田:アイドルの世界では増えていきます。でも、意外にもアダルトの世界ではまだマニア向けのジャンルでしかなかったんです。Dカップ物、デカパイ物といわれていました。人気があった中村京子ですら、グラビアでは牛と一緒に撮影されたりと、どこかバカにされていた時代です。当時はDカップが巨乳を意味していたのですが、これはアメリカのポルノで使われていた言葉をそのまま使ったためです。アメリカでは計測方法が違うのでDカップはもっと大きいんです。
巨乳の誕生
―― 巨乳という言葉はいつ誰が作ったのでしょうか?
安田:所説ありますが、はっきりはわかりません。ただ、巨乳は巨大な乳という組み合わせの言葉です。もともと、巨根という言い方は既にあったわけですし。僕が調べたところだと既に67年での使用例がありました。80年代に入って、巨乳マニア雑誌の『バチェラー』ではすでに普通に使われてました。マニアの用語だったんです。
―― 一般化したのはそれ以降ですか。
安田:1989年に松坂季実子がアダルトビデオデビューします。そのころに「巨乳」という言葉が一般化してきます。他にも、樹まり子や工藤ひとみなど人気が出て、巨乳AVブームがやってきました。時を同じくして、一般誌でも『週刊少年サンデー』(小学館)で『巨乳ハンター』(安永航一郎)が連載されるなど「巨乳」はアダルトの世界でも一般誌でも浸透していきました。
今ではGカップ以上が巨乳
―― 巨乳の定義を教えていただけますか?
安田:今ではGカップ以上が巨乳ですね。2000年以降はアダルトでもグラビアの世界でも爆乳化が進んでますから。アダルトビデオでは、それまでは人気があるのは顔がいい子だったんです。それが2005年くらいからおっぱいもあるのが当たり前に。グラビアもカップ数を表記しての巨乳が一般的になりました。
―― 巨乳の時代がやってきたんですね。
安田:マスコミやメーカーといった送り手側が、一般もアダルトも「おっぱいはメジャーだ!」と言っていて、客側もおっぱいと普通に言っていいというか。もっと言ってしまえば、男は大きなおっぱいが好きである、巨乳をみたらリアクション取らなくてはいけない、2000年以降はそんな時代になっていってるんです。
次はアダルトメディアの歴史本が書きたい
―― この本を書くに至ってのご苦労を聞かせてください。
安田:いくら探しても、とにかく僕の求めている資料がなかったんです。巨乳の歴史についての本は出ているけど、多くがフェミニズムを語る本だった。なので、とにかく雑誌を当たって歴史を追いました。雑誌は時代を映し出すモノだと思っていますので。今回の本は、フェミニズム的なことや、どうして男はおっぱいに惹かれるかは排除しています。おっぱい好きな理由は100人いれば、100通りあると思うし、男が振り回されてるのは普通に歴史をみてもわかることですから。
―― 「痴女の誕生」「巨乳の誕生」と続きましたが、次は何が書きたいですか?
安田:アダルトメディアの歴史をやりたいですね。アダルトビデオ、ピンク映画、エロ本の世界史。まだ誰もやってない総合した誕生史を書きたいと思ってます。
安田理央(やすだ・りお)
1967年埼玉県生まれ。ライター、アダルトメディア研究家、漫画原作者。美学校考現学研究室(講師:赤瀬川原平)卒。
主にアダルトテーマ全般を中心に執筆。特にエロとデジタルメディアとの関わりに注目している。
(クラタマスミ)
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