会話には、表と裏があります。「ウソつけ!」の本当の意味は「ウソをつくな」。「時間があれば行くよ」は「たぶん行かない」。「前向きに検討いたします」は「意見だけ聞きました」。「今後のご活躍をお祈り申し上げます」は「不採用」。
小説を読む上でも、言葉の表裏は登場人物の心理を理解する上でとても重要です。今回はシャーロック・ホームズ作品「赤毛組合」の冒頭から、ホームズとワトソンの会話に隠された意図をできるだけシンプルに裏読みしていきます。
参考リンク:原文で読むシャーロック・ホームズ - 「赤毛組合」
【過去記事】
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ホームズとワトソン、言外の戦い
赤毛の依頼人と何やら熱心に話し込んでいるホームズ。入り口でノックをしても無視をされ、ワトソンはご立腹です。でもこのホームズの態度がいわゆる「ツンデレ」だったことは、前回指摘した通り(関連記事)。踵を返し退出しようとしたワトソンを、ホームズは腕をつかんで引き止めます。そこでワトソンは「君は手が離せない(忙しそうだ)と思ったんだけど」と、含みを持たせながら返事をします。
ワトソン「君は手が離せないと思ったよ」
(I was afraid that you were engaged.)
気付きましたか? ワトソンはここで「思った(was afraid)」と、過去形を使っていますね。英語の時制は厳密ですので、過去形から裏読みすると、「今は手が離せる」ことになり「じゃあ、これから事件に加わらせてくれるんだな」という、ワトソンの期待が透けて見えるのです。
残念なことに、新潮社・光文社・ハヤカワ・角川・創元社・河出書房の日本語訳を見ると、どれも過去形のせりふを現在形に翻訳していますので、裏読みできません。しかし、事件に飢えているワトソンと、それを知ってじらすホームズという、キリッとした対立軸がないと、会話の焦点がぼけ、雑談っぽくなってしまいます。
ワトソンのそんな気の緩みを見逃すホームズではなく、「今、まさに手が離せない状態さ」と、現在形で答えて「おいおい、ワトソン。勝手に過去形を使うな」と、カウンターを打ちます。
ホームズ「今、まさに手が離せない状態さ」
(So I am. Very much so.)
「だったら最初から『いいタイミングで来た』なんて言うな!」と普通の人なら怒りそうですが、それでは事件に興味津々だと認めてしまったことになります。グッと我慢して、ワトソンは「じゃあ、隣の部屋で待つこともできるけど」と言います。実質「じ、事件目当てで来たわけじゃないからっ!」です。かわいそうなワトソン。
ワトソン「じゃあ、隣の部屋で待つこともできるけど」
(Then I can wait in the next room.)
それに対してホームズは「君は(待つことなど)できないね」と言います。裏読みは「とぼけるなよ。まあ、そろそろ事件に参加させてやる」です。
ホームズ「君は(待つことなど)できないね」
(Not at all)
直後にホームズは依頼主にワトソンを「ずっと手伝ってもらっているパートナーでヘルパー」だと紹介します。ついさっきまで「忙しそうだから帰る!」「遠慮するなよ、本当はいたいんだろう?」という押し問答の後では説得力がありませんね。しかし、依頼人は疑い深い人物どころか詐欺まがいの事件にまんまと引っ掛かってしまう、人を信じやすいキャラです。うさんくさそうな目でワトソンを一瞥(いちべつ)しますが、そのまま状況を受け入れます。ここでは裏読みにより、人物設定がより分かるようになっているわけです。
紹介の直後、ホームズは「まあ、長椅子にでもかけろや」みたいな、ぶっきらぼうな口調でワトソンに席をすすめます。「ちょっと持ち上げすぎたかな」とでも言いたいんでしょうか。あえて「長椅子」を指示したのは「君はその他大勢だ」ということでしょうかね。
ワトソンを座らせたホームズは「人を裁く気分のときによくやるように」両手の指先を合わせます。これは、いよいよ戦闘開始! 本格的にワトソンに「言葉のパンチ」を見舞う準備なのです。
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