ブログやSNSは“ネットの空気”をどう変えたのか? 平成最後の夏、「ネット老人会」中川淳一郎が振り返る(3/3 ページ)
この平成、オタクのものだったネットはブログやSNSの登場でどのように一般、芸能人のものになっていったのか。サイバーエージェント・藤田晋社長に取材しながら、中川淳一郎が振り返る。
芸能人のネット参入
もともと一般人が存在感を放つためのツールと期待されていたネットだが、現実には芸能人や著名スポーツ選手が圧倒的なアクセスを稼ぐようになっている。これが私自身の、「しょせん、極少数の成功者は出るものの、もともとの知名度がある人間の草刈り場になってしまうんだな……」という諦観につながっている。
2008年、上地雄輔さんがブログの単日アクセス数でギネス記録を達成したかと思えば、2009年に辻希美さんがブログを開始し、すぐにとんでもないPVを稼ぎ出すようになっていった。2009年には広瀬香美さんが勝間和代氏の指導のもとTwitterを開始し、以後芸能人も続々とTwitterに参入するように。今ではInstagramも含め、フォロワー数の上位は芸能人が占めている。一般人の表現の場であったネットの世界に芸能人も活路を見出したのである。
芸能人のネット参入について、藤田氏はこう当時を振り返る。
後発なので、“なんとかしなくてはなァ……”という思いはありました。システム的には差別化できなかったです。というのも、当時はまだサイバーエージェントは技術力がそんなにある会社ではなかったのですよ。そうなるとコンテンツで差別化するしかない。そこで、芸能人ブログを立ち上げたんです。
そのときに、芸能プロダクションに営業している会社っていうのが他になかったんですよね。新しいメディアとして、芸能事務所はブログに注目していたんですけども、ブログサービスをやっている会社はseesaaとかはてなとか、技術系の会社が多かった。だから、事務所に営業に来てくれなかったんですよね。そんな中、サイバーエージェントは『ウチでブログ書きませんか!』と営業に来たので、『じゃあ、おたくで書くよ』みたいな感じで書き始めどんどん芸能人ブロガーが増えていったのです。
そう考えると、潜在的にみんな、何かを書きたかったのではないでしょうか。最初、山田優さんの事務所が始めてくれ、所属芸能人が一斉に始めてくれました。それを見て、他の事務所も参加しやすくなったのでしょう。ブログをやるのは、一部の芸能人というイメージもあったけど、それはいつしかなくなっていきました。
現在、芸能人のブログやTwitter、Instagramを基にテレビの企画もバシバシと作られているだけに、藤田氏のこの述懐は今となっては味わい深い「平成」な感じがする(ただ「平成」という言葉を入れたかっただけ、というのを理解してくれ)。
というか、私自身の感覚では今更「IT企業」という呼び方はあまりにも平成中盤臭がし過ぎる。というのも、「IT企業」というのはもともとはネットを使って通販をしたり情報発信をしたりする会社のことを呼んでいたのだが、今やどんな企業だって、いや農家や漁師、各種業界団体や組合もネットを使って日々の活動を行っている。もう平成も晩期であるだけに、もうこの分類はやめないか。本サイト「ねとらぼ」だってもともとは「ウェブメディア」的文脈だったがもう「メディア」でいいではないか。
Twitterの一般化
それはさておき、芸能人がブログを始めるようになってからブログ界の主役の座はそれまでの一般人から芸能人に取って代わられた。そんな中やってきたのがTwitterである。ブログの初期のころのように、新しいものが好きなギーク達がこぞって使い始めた。Twitterの場合、各IDに開始年月が書いてあるが、「百式」「IDEA*IDEA」で知られる田口元氏は2006年12月に開始し、「ネタフル」のコグレマサト氏は2007年3月、メディア・アクティビストの津田大介氏は2007年4月に開始している。彼らの開始は相当早い段階である。
前述の通り、広瀬香美さんが2009年にTwitterを始めるまで、Twitterは初期ブログ的雰囲気を帯びていた。要するにオタクというかネットリテラシーの高いギークの活動の場だったのだ。だからこそ、企業が使おうものならば「使い方がなっておらん!」と怒る面倒臭い古参ユーザーがいたりしたのである。KDDIがとあるハッシュタグを使いイベントの様子を実況してもらおうと試みたら「別のイベントでこのハッシュタグは使っている! KDDIは失礼だ! 喝だ! 大喝だ!」と激怒するギークもいた。あげ句の果てにはTwitterのコンサルを私がしてやろう、みたいなことを言いだす。
今もTwitterは面倒な場所になっているものの、当時は「Twitter学級委員」的なギークがそれなりに威張っており、案外面倒な雰囲気があった。しかしこれも懐かしき風景に。ブログがそうであったように、すぐに芸能人がTwitterに参入し、圧倒的フォロワー数を誇るようになった。Twitterが大ブームとなったのは2010年1月に『週刊ダイヤモンド』がTwitter特集をし、同年4月からフジテレビ系で「素直になれなくて」というTwitterを活用しまくるドラマが開始したのがきっかけだ。
芸能人の参加とギーク以外の層も大量にTwitterに流入した結果、すっかりTwitterは一般化した。2010年にはmixiに代わるSNSとしてFacebookが隆盛を誇るようになり、スマホの大普及に沿う形でついにネットは「みんなのもの」になった。もはや「カタカタ」やら「ピコピコ」と言う者はいない。
起業家の家入一真氏は自著『さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について』(中公新書ラクレ)で若者に対し、「インターネットが好き」と伝えたところ、不思議な顔をされたと述べている。同氏は10代のころインターネットの魅力に取りつかれ、ネット関連ビジネスを立ち上げるに至ったまさに「ネットの申し子」。だが、若者からすれば30代後半の家入氏が「インターネットが好き」と言ったことはあたかも「ハサミが好き」と言ったかのように聞こえ困惑したのだという。
そうなのだ、本稿冒頭で「インターネット老人会」と述べたが、ネットを特別視すること自体がオッサン・オバサンの表れなのかもしれない。若者はもはやインターネットもリアルも同じものと捉え、水道や電気、ガスと同様の扱いをしもはやネットに夢は求めていない。だからこそ2013年に猛威を振るった「バカッター」騒動も発生したのである。
あの時は軒並高校生や大学生がバイト先でのバカ行為をネットにさらしまくったが、彼らにとっては友人に楽しい様子を伝えるつもりだったのだろう。恐らくは現在の40代・50代が熱狂した「交換日記」的な感覚だったのではないだろうか。そう考えるとあの時バイト先や通学先に抗議電話が殺到し、退学やクビに追い込まれた若者も多かったがそこまでの制裁を受けるほどのものだったか。若気の至りというか愚行は誰しも経験するもの。2013年のあのころ、39歳だった私は周囲の友人らと「オレらの時にTwitterがなくて良かったな!」と胸をなで下ろしたものである。
* *
さて、平成最後のSNS・ブログについてはまぁ、最近の記憶が皆さんも浅いだろうからこれ以上は語らないが私自身は「ネットニュース編集者」を名乗っているだけに、ネットで記事を編集し始めた2006年あたりの空気と現在の空気との間に隔世の感がある。何しろ「ネット」とか「IT」と言うだけでうさんくさがられたのだ。高城剛氏が「ハイパーメディアクリエイター」と自称しうさんくさがられたのと同様に、「ネットニュースの仕事をしている」も十分にうさんくさかった。しかし、今やスマホでニュースは見る時代となり、紙メディアからウェブメディアに続々と転職する者が増え、マスメディアも一般人のSNS投稿や芸能人ブログに情報をたよりまくる現状にある。
平成最後の夏(初秋)、平成のSNS・ブログを振り返ってきたが、ここまで書くのに約3時間。実に楽しい作業だった。ハッ! こんな振り返りをする時点で若者からすれば「チョー意味わかんねぇっす。インターネットなんてハサミみたいなもんでしょ?」と思われてしまうのだろう。すまんすまん。だからこれは「インターネット老人会なのだ」と開き直ろう。
そして、今年6月24日に福岡で暴漢に襲われ亡くなった「はてな」およびネットウオッチ界の重鎮だったHagex氏に心より哀悼の意を申し上げます。
(中川淳一郎)
中川淳一郎 プロフィール
1973年生まれ。Web編集者、PRプランナー。1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV
Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てWeb編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。
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