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人はなぜ“将棋”に人生を捧げるのか 最長手数の詰将棋「ミクロコスモス」(1525手詰)作者に聞く「詰将棋と向き合ってきた40年間」

登場当時、コンピュータでも解けなかった超長編詰将棋はなぜ生まれたのか。

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 指し将棋の終盤のように、王手の連続で相手の玉を追い詰める知的パズル「詰将棋」。指し将棋の世界で戦うプロ棋士ほど目立つ存在ではないが、詰将棋創作に人生を捧げる人々がいる。

 今回取材した橋本孝治さんは、最長手数記録を持つ「ミクロコスモス」を手掛けた詰将棋作家。約30年前(1986年)に22歳の若さで発表した1519手詰の作品で、この記録は1995年に自ら更新した(1525手詰に)以外には破られていない。プロの実戦で現れる詰みが長くて10数手程度ということを考えれば、この手数の途方もなさは一目瞭然だろう。

 同氏にとって詰将棋は「すでに完全に生活の一部」であり、費やしてきた時間は「取りあえず数万時間」。形を変えながらも、今なお詰将棋の世界に関わり続けているという。その情熱、詰将棋と向き合い続けて見えてきた世界について話を伺った。

ライター:橋本長道

1984年生まれの小説家、元奨励会員、神戸大学経済学部卒。著書に『サラの柔らかな香車』『サラは銀の涙を探しに』(いずれも集英社刊)。現在、『yomyom』(新潮社)にて将棋小説『覇王の譜』連載中。

最長手数の詰将棋作品「ミクロコスモス」はいかにして生まれたか

 橋本さんが本格的に詰将棋創作をするようになったの中学生のころ。『詰むや詰まざるや 将棋無双・将棋図巧』(平凡社)という本を通じて、江戸時代の将棋指し伊藤宗看、伊藤看寿の作品に触れたのがきっかけだという。

 特に看寿が詰将棋の世界に残した足跡は大きく、その年でもっとも優秀だった詰将棋作品に与えられる賞を「看寿賞」という。橋本さんは早稲田大学将棋部に所属しながら、詰将棋作家として活動していた1985年、「イオニゼーション」という作品でこの看寿賞・長編賞に選ばれている。


「イオニゼーション」。将棋経験がほとんどない人には対局の様子に見えてしまうかもしれない。本屋さんでよく見掛ける1〜5手詰程度の詰将棋で、このように盤面全体、駒の全てが用いられることはまず考えられない

 789手詰だったが、この作品の新しさは手数の長さではなく、それを生み出す仕掛け。「縦方向にしか動けない香車を、いったん持ち駒にすることで横に動かす」という一見簡単そうだが、それまで誰も思いつかなかった趣向を取り入れていた。そして、翌1986年に同作の機構を洗練し、2年連続で看寿賞・長編賞を受賞したのが「ミクロコスモス」だ。

 手数が膨大なため詳細な解説は省くが、同作では、玉が“と金のベルトコンベヤー”に乗ったかのように、右へ左へと同じ場所を往復。約1500手にわたって逃げ続ける。しかし、その“ベルトコンベヤー”の裏側で少しずつ持駒や香、馬の位置がズレていき、あるとき、ピタリと詰み上がる。仕掛けを理解すると、アルゴリズム的な美しさが浮かび上がってくる作品だ。


「ミクロコスモス」


同作の構造を抽象化すると「(と金送り+持駒変換)×香の位置変換×馬鋸」という式で表現できるという。創作時はまず「と金送り」「持駒変換」……といった各モジュールの役割、要件の明確化を行い、具体的な駒配置がある程度見える段階まで将棋盤や駒は使わなかったという。「大掛かりな作品の場合、構想段階から盤駒を使うことはありません。頭の中で駒を並べることもありません」(橋本さん)


「ミクロコスモス」詰手順。なお、解析には「脊尾詰」(SeoTsume1.2)を利用。ちなみに、詰将棋向けプログラムの論文では「同ソフトが1997年に初めて『ミクロコスモス』を解くのに成功した」といった内容を記載しているものも。これもまた広義の将棋史の一部なのだろう


ぼんやり眺めるだけでは気付きにくいが、手数を重ねると駒の配置に微妙な変化が。1500手を超えたあたりで盤面は突如として動き出す

 「本格的に着手してから約2週間と記憶しています。創作ノートを見ると最初の図(不完全)が登場するのが1986年2月22日で、最終的な発表図が登場するのが3月3日」と橋本さん。それから『詰将棋パラダイス』誌で発表されるまでの約3カ月間も、同作と対峙し続けていた。

 「余詰(よづめ/意図していなかった詰手順)などがないか検証する工程は、現代であれば詰将棋専用ソフトを使うことで大幅に短縮できます。ですが当時は、実際に駒を並べて、手間を掛けるほかありませんでした。

 検討作業に関しては『詰将棋パラダイス』誌も優秀な詰将棋作家を検討陣に加えて、万全の体制を整えてくださったのですが、作品を完全作にする責任はあくまで作者にあります。この作品に関しては発表号が刊行される直前(6月)まで、細部に亘る検討作業を継続していました」。

 詰将棋作りの裏側にある職人的な苦労を感じさせるエピソードだが、金字塔と言っても過言ではない作品をものにした若者には、また別の苦労もあったという。

 「とにかく『早く誰かに見せたい』という気持ちでいっぱいでした。『詰将棋パラダイス』誌に投稿していたので、時がくれば発表されるわけですが、詰将棋史に残るかもしれないこの作を、自分の心の中にしまっておくには大変な忍耐力が必要だったのです。

 詰将棋の会合で親しい棋友に詳しく説明するつもりだったのですが、その日は関東に大雪が降り、電車はストップ。代わりにバスを利用するも、それも途中でストップ。やむなく雪の中、徒歩で帰宅しました。雪のおかげで頭が冷えたのか、それ以降は割と平静に発表を待つことができるようになりました」。

「私よりもこの作品の方が長生きするだろう」

 発表された「ミクロコスモス」には詰将棋業界以外からも注目が集まり、一般マスコミからも取材を受けたという。しかし、当時を振り返る橋本氏は驚くほど冷静だ。

 「当時は下宿で、部屋に電話もなかったので、下宿先のおばさんには結構迷惑を掛けたと思います。最初は何をしでかしたんだと思われたでしょうね。当時の自分にとっては大変な経験だったのですが、客観的に見れば全然大したことはなかったと思います。

 新聞記事になったので家族も『ミクロコスモス』のことを知っていましたが、両親は『将棋と詰将棋の区別もつくかどうか』という感じで、『取りあえず新聞に載るほどすごい』という認識だったと思います」。

 実際、淡泊な反応をしてしまう人は少なからずいただろう。というのも、1500手を超える「ミクロコスモス」を自力で解ける人間がどれだけいるのだろうか。そのうえ、この作品がコンピュータで解けるようになったのは登場から約10年後のこと(1997年/脊尾詰)。本当に詰将棋として成立しているのか確かめることも難しい、こんな状況では驚きたくても驚けないだろう。

 橋本さん自身は「ミクロコスモス」についてどう思っているのか。同氏はWeb上で「私よりもこの作品の方が長生きするだろう」というコメントを残している。その真意とは?


1982年以降の発表作をまとめた「橋本孝治 普通詰将棋作品集」より

 「『ミクロコスモス』のアピールポイントは第一にその長手数にあるわけですが、記録自体は更新される可能性があります。しかし、例えば、1755年に発表された伊藤看寿の『寿』(611手詰)は、今も名作として親しまれています。


この611手詰という最長手数記録は長らく破られることはなかったが、ちょうど200年後の1955年、「新扇詰」(作・奥薗幸雄/873手詰)が塗り替えた

 これを超える手数の作品が数多く作られている現代でも、その独創性は詰将棋愛好家に伝わっており、今もなお『寿』の存在感は失われません。長手数記録の実現に新しい発想が伴っている場合、記録が更新されても作品価値はなくなりません。その意味で、『ミクロコスモス』は私がこの世から去った後も、人々の記憶に残ると信じています」。

将棋とは400年かけても解けない“王手義務のない詰将棋”

 橋本さんはこれまでに計4回、看寿賞長編賞に選ばれているが、詰将棋作家としてもう1つの顔を持っている。通常とは異なるルールを持つ「変則詰将棋」の作家でもあるのだ。

 「普通の詰将棋では双方が最善を尽くすことが前提ですが、変則詰将棋では反対に、双方が最悪を尽くすものも考えられます。変則ルールは無数に考案されており、普通の詰将棋と同等の情熱を注ぎ込む価値があるものも少なくありません。詰将棋はただ1つの世界ではなく、たくさんの世界の中の1つなのです。そうすると、各『世界』同士の関係に着目するのも、自然な発想でしょう。ある世界で実現可能なことが、別の世界でも可能なのかどうか、などの問いが浮かんできます。

 『ミクロコスモス』が大きな影響を受けたのは『自殺詰』『自玉詰』と呼ばれるルールでした。これは『攻方が相手に王手を掛けつつ、自玉を詰めさせる。しかも相手はそれに協力しない』というものです。そのルール内で有効な機構をそのまま普通の詰将棋に“翻訳”することはできませんでしたが、何とか“意訳”できないかと頑張った結果、面白い作品ができたと思います」。

 詰将棋作家のピークについて伺うと、「おおむね学生生活の最終盤に来るのではないか」という。指し将棋の世界はプロ制度が整っているが、詰将棋は違う。同じように金銭的な報酬が得られるわけではないから、社会人になると創作の時間が取りにくくなってしまう。

 しかし、橋本さんはこの40年間、現在に至るまで詰将棋にひたむきに向き合ってきた。

 「仮に詰将棋のことを1日1時間考えていたとしても、約1万5000時間費やしてきたことになります。もっと多くの時間を注ぎ込んだような気もしますが、取りあえず数万時間としておきましょう。すでに完全に生活の一部になっていて、うっかりすると頭が働かなくなるまで詰将棋に時間を掛けてしまうので、やり過ぎないように気を付けねばなりません。

 最近は自分の創作よりも、他人の変則詰将棋作品をできるだけ分かりやすく解説することに多くの時間を割いています。特に現代の変則詰将棋の世界は多様化・細分化が進み過ぎていて、あるルールを専門とする人が、別のルールでは初心者同然という事態が起こっています。優秀な若い作家が途切れることなく登場していて、自分自身が創作する時間を多少削ってでも、裏方的な役割を果たすことが重要だと考えています。

 ですが、この役割もいつかは他の人に任せなくてはならないでしょう。それでも確実に言えるのは『詰将棋との接し方が変わっても、何らかの形で自分は詰将棋と関わり続けるだろう』ということです。先人の多くが、世を去る間際まで詰将棋を作ったり解いたりしていました。私がそれを語るのは少し気が早いかもしれませんが、最後の最後まで関わっていたい、それが詰将棋という存在です」。


 将棋のルールをよく知らない人でも羽生善治九段、藤井聡太七段、加藤一二三九段などの名前や顔は目にしたことがあるだろう。指し将棋の世界にはこのような有名人たちがおり、タイトル戦の動向なども頻繁にニュースになる。それと比べると、詰将棋の世界は地味に見えてしまうかもしれない。

 では、詰将棋作家たちは、何のために作るのか。なぜその世界に没頭するのか。――この答えに代えて、インタビュー中、最も心に残った橋本さんの言葉で記事をしめよう。どんな形であれ、人が将棋と向き合う根本的な理由は、金でも名誉でもない何かなのだろう。

 「変則詰将棋の観点で『将棋』を見ると、『将棋』は『攻方王手義務のない詰将棋』に見えます。人類はこの『攻方王手義務のない詰将棋』のたった1問を解こうと400年も奮闘してきましたが、最高級の頭脳を持つ人間を送り込んでも、最新の人工知能を投入しても、今のところ、このたった1問が解ける気配はありません。まったく、とんでもない難問を見つけてしまったものです。将来その『解答』を人類が手にする日は、来るのでしょうか?

連載:オタクの幸せ

 この記事は、ねとらぼとYahoo!ニュースによる共同企画記事です。何が自分の幸せか、何をして喜ぶのか。幸せにはさまざまな形があり、周囲と同じものになるとは限りません。人生に悩む人も多い現代社会で、他人とはちょっと違うところに没頭し、我が道を行く「オタク」な人々に話を聞き、豊かな人生の歩き方を探ります。

橋本長道/編集:ねとらぼ編集部)

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