新横浜ラーメン博物館(横浜市港北区)に日本で初めてラーメンを広めたといわれている浅草「來々軒」が復活する。「來々軒」は1910年(明治43年)創業、1976年(昭和51年)に閉店したラーメン史に残る名店。
來々軒の創業者である尾崎貫一さんの孫にあたる高橋邦夫さんと玄孫にあたる高橋雄作さんの協力を得て、新横浜ラーメン博物館が調査を進める中で、当時使われていた小麦粉や調理方法などを解明したことで今回の復活にこぎつけた。
麺に使用する小麦は、明治までさかのぼり、当時の遺伝子を持つ後継品種を使用し青竹打ち製麺で再現。具材も当時使用していた食材を用い、当時の調理方法で再現する。スープに関しては時代と共に食材の品質や味の嗜好の変化があるため、当時使用していたしょうゆや食材の基本は変えずに、現代風にアレンジした。
來々軒は、横浜の南京町から中国人コック12人を引き連れて尾崎さんが浅草の新畑町3番地にオープン。正月などの繁忙期には1日2500人〜3000人の来客があったといわれている。オープン当時は、ラーメン店という業態は存在せず、來々軒が「支那そば」「ワンタン」「シウマイ」という大衆的なメニューを安価に販売したことで、他業種にもラーメンを広めるきっかけとなった。1944年に戦争により一時閉店するも、1954年に八重洲に場所を移し再開。1965年に内神田に移転するも、跡継ぎがいなかったこともあり1976年に閉店した。
ラーメン屋の代名詞となった來々軒という屋号は、その後全国に広がり太宰治の『斜陽』や手塚治虫の『三つ目がとおる』などにも登場。現在は、同名の店舗は国内に171軒(2020年5月時点)、海外ではパリやニューヨークまで広がっている。
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