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【骨折したまま自転車通学していたワケ】高校生のころ、右足の骨折を“誰にも気付かれないまま”生活していた話(1/2 ページ)

折れたまま球技大会に出ちゃうくらい、気付かれなかったそうな。

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 「学校は机に座って勉強するだけの場所ではない」とよく言われますが、それゆえにさまざまな事故やトラブルも起こりうるもの。ねとらぼ読者からそんな体験談を伺う本企画、今回は「高校生のころ、脚の骨が折れていることに気付かないまま生活していた」というお話。

脚を骨折したまま自転車通学

 高校3年生のころ、脚を骨折したまま病院に行かずに生活していたことがあります。腫れあがってしまって、クラスでは「バオバブの木」と呼ばれていました。

―― 軽い捻挫(ねんざ)程度ならともかく、骨折を放置していたのはどうしてでしょうか?

 当時は高校生活最後の学校行事となる、球技大会を控えていた時期。クラス対抗サッカーの模擬試合として、芝生の上で5人対5人ほどのフットサルをしていると、皆テンションがハイになっていって、ゴールが決まったら敵味方関係なく喜んでいました。

 そのときに相手チームのお調子者がスライディングしてきました。彼とは仲が良かったので、ハイテンションのままふざけて転ばせようとしてきたのだと思います。

 ただ、勢い余って右脚にヒットしたスライディングは、今まで体験したことのない痛さでした。

 それから脚に力が入らなくなってしまったのですが、僕は骨折経験がなかったので捻挫だと思って。家に帰ると親から痛み止めをもらって、脚を冷やしました。

―― その状態でどうやって生活していたんです?

 骨折したほうの足に力が入らず立てないので、基本的にはケンケンです。

 通学時は自転車を片足で漕ぎ、学校に着いたらクッション代わりに靴下の中にポケットティッシュの束を入れて、壁に手をつけば多少歩ける状態にしていました。

 クラス内でも捻挫で通していましたし、痛がりつつも普通に通学している僕を見て、まさか骨折しているとは思わなかったようでした。

―― “脚を骨折したまま自転車通学”なんて聞いたことないでしょうしね、誰も。

 試合当日になっても脚の痛みは引きませんでしたが、欠員が出るとチームが出場停止になりかねないため、靴の中に大量のティッシュを詰め、用量の3倍の痛み止めを飲んで、参加しました。

 力が入らず走ることができないため、仲間からは「じゃま!」と言われましたが、女子からの黄色い声援を受け、良いところ見せようとしました。飛んできたボールを1回だけヘディングする機会があったのですが、ボールがちょっとだけ前に飛ばせてうれしかったです。試合には負けました。

 家に帰ると脚がぱんっぱんに腫れていました。

―― ムチャしやがって……。

 親から「早く病院行け!」と言われ、翌日行くと「腓骨」という骨が折れていたことが判明し、その日からしばらく松葉杖生活に。最初にお話しした通り、腫れすぎた脚が世界史の資料集に載っている「バオバブの木」に似ているということで、脚が治るまでそのあだ名で呼ばれていました。

 ちょっとムカついて最初は反論していたのですが、本当にそっくりだったので、自分でもそのうち「まあいいか」と思ってバオバブの木でいることにしました。

―― その後、気を付けるようになったことなどありますか?

 骨折したらとにかく安静にすることが大事だと思いましたね。僕は治りが1週間遅くなってしまいました。

 松葉杖の生活はとにかく大変で、受験も控えていた時期ということもあり、精神的な負担も感じました。

―― ちなみに、骨折のきっかけになった“相手チームのお調子者”との関係はどうなりました?

 正直、球技大会当日までは「試合が迫っているのに走れなくなってしまった」と、彼に対して少々イライラしていました。でも「治らなかったら仕方ない」と思っていましたし、何より、ケガの痛みよりもあの模擬試合の青春の楽しい感じが勝って、ギスギスした関係にはなりませんでしたね。

 骨折が発覚したあと、“お調子者”くんは何日間もしばらく謝ってきてくれたのですが、折ろうと思ってやったわけでないことは分かっていたので、笑い話にしました。

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