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千代の富士さんがほめてくれた――ちゃんこ屋から元力士俳優がもう一度、まわしを締めるまでの10年私の人生が動いた瞬間(1/2 ページ)

Netflixオリジナルドラマ「サンクチュアリ-聖域-」で猿谷役を演じた澤田賢澄さんへインタビュー。

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 人生100年時代といわれる現代、「何歳からでも新しいステージに踏み出すのは遅くない」という考え方が広がっています。著名人も例外ではなく、ある分野で成功を収めた人が転機を経験し、別のフィールドで奮闘する姿は多くの人に勇気を与え、モチベーションやインスピレーションを与えています。

澤田賢澄

インタビュー連載 「私の人生が動いた瞬間

 Netflixオリジナルドラマ「サンクチュアリ-聖域-」で、ひときわ存在感を放っていた役者がいた――関取復帰を目指す元小結で、主人公の猿桜の兄弟子として物語で重要な役割を担った猿谷。言葉数こそ多くはありませんが、つつましく、ひたむきにけいこに向かう姿や、断髪式での涙に胸を打たれた人は多いのではないでしょうか。

 演じたのは、元幕下・千代の眞、澤田賢澄(さわだ けんしょう)さん。弟は、現在十両の千代の国で、腎炎を患い2012年9月場所で現役を引退しました。その後は、10年間にわたって飲食店を経営。コロナ禍で飲食店の経営が傾いていたときに舞い込んだ「サンクチュアリ-聖域-」のオーディションをきっかけに、現在は力士俳優として活動しています。

 わらにも縋る思いでたどり着いた先にあった“相撲”。一度はまわしをつけることもなくなっていましたが、「(相撲は)やっぱりめっちゃおもしろいです」と再びまわしを締める澤田さんに、人生の転機を聞きました。


厳格な父から逃げるように入った相撲界

――「サンクチュアリ-聖域-」に出演されていた方が、ほとんどは相撲未経験の方だと知ったときは驚きました。澤田さんが先導されて、1日300回ほど四股を踏まれていたそうですね?

澤田賢澄(以下、澤田) やっぱり四股が踏めないと、腰ができないんです。素人みたいな仕切り(相撲の取組における立ち合いの構え)をされても絵にならないので。

――その成果は、元力士の澤田さんから見ても表れていたと思いますか?

澤田 そう思います。現役の相撲取りや親方が見ても、「どっかの大学相撲連れてきたの?」と驚いていたぐらいなので、四股がしっかりできていればちゃんと力士に見えるんですよ。

――相撲界から見ても本物だったんですね。周りからの反響はありましたか?

澤田 第72代横綱の稀勢の里さんは配信後、「夫婦で泣いた」とすぐに連絡をくれましたし、第69代横綱の白鵬さんからは「俺は猿谷の『点を線で結ぶ相撲』というせりふが好きだから言ってくれ」と銀座のど真ん中で言わされました(笑)。

澤田賢澄
白鵬さんもお気に入りの「サンクチュアリ」

――澤田さんはあらためて力士の体を完成させるために35キロ増量されたそうですね。

澤田 栄養士の方とトレーナーの方に調整していただいて体を作ったんですが、今37歳で、量が食べられなくなって大変でした。あの時期はカレーに助けられましたね。

澤田賢澄澤田賢澄 猿谷のビフォーアフター

――もともと空手の経験があった上で相撲の道に進まれたんですよね。相撲以外の選択肢はなかったのでしょうか?

澤田 父親が星飛雄馬のお父さんみたいな昔気質じゃないですけど、厳しい父親だったんです。だから、「お前が自立しているならお前の選択肢でいいけど、そうじゃないんだから俺が与えた選択肢で選べ」と全寮制の高校に行くか、実家が寺なのでお坊さんになるか、相撲部屋に入るか選択肢を渡されて、もう一択、相撲界でした。とにかく家を出たかったんです。

――家を出たい一心で飛び込んだ相撲部屋も相当厳しい環境だったんじゃないでしょうか。

澤田 もともと空手でも厳しい練習をしていたので、けいこ自体は問題なかったんですけど、相撲部屋の上下関係や私生活はかなり厳しかったですね。

――「サンクチュアリ」でも描かれていましたね。ほぼほぼいじめなんじゃないかという……。

澤田 いじめなんて日常茶飯事でしたよ。猿桜さんと一緒で、実家からの荷物を捨てられたこともありました。「はい」か「すいません」しか言っちゃいけなくて、「いいえ」は反抗になる社会だったんです。でも、僕の場合は、父親に対してもそうだったので、相撲部屋の方が楽じゃんって思っていました。

――相撲を辞めようとは思わなかったんですか?

澤田 理不尽な暴力やいじめが嫌になったことはありましたけど、逃げようと思ったことはなかったです。辞めるなら、全部暴露してから辞めてやろうとは思ってましたけど。


親方・千代の富士さんがほめてくれたちゃんこ

――澤田さんは幕下まで番付をあげて、腎炎で引退を決意されます。もう戦えないと分かったときの心境を教えてください。

澤田 僕はタイミングでした。病気を患って、治療してそこからまた復帰しようにも、病気でどんどん体重が減ってしまっていたので食べることが苦痛になっていたんです。そんなときに、弟の千代の国が幕内に上がって、「俺の役目は終わった」と思って決心しましたね。

――それから飲食店を経営されますが、中学生から相撲部屋に入って、新しい社会に出ていくのはなかなか覚悟が必要だったんじゃないでしょうか?

澤田 次のステージでは横綱になってやろうとワクワクしていましたね。でも、外のことを何も知らなかったので、光熱費ってこんなに高いの? というところからのスタートでした。

――相撲部屋は衣食住は保障されてますもんね。

澤田 お相撲さんって、髪の毛の鬢付け油を落とすのにシャンプー1本使うくらい時間かかるんですよ。だからシャワー出しっぱなしにして洗ったりしていると親方やおかみさんに「使わないときはシャワー止めなさい」と言われていて、「ケチ臭いな」とか思ってたんですけど、いざ1人暮らしをして自分でシャワーを使うじゃないですか、めっちゃ止めますね(笑)。

 相撲界にいたときの感覚のまま世に放たれると、金銭感覚も豪快だし、「今月俺どうやって飯食えばいいんだ」ってときは結構ありました。相撲部屋ってすごく守られていて、甘えていたんだなと思いました。

――飲食店をやることは決めていたんですか?

澤田 僕が飲食に行こうと決めた理由が、千代の富士さんが僕の作ったちゃんこをほめてくれたからなんです。当時の九重部屋は、マネージャーが元料理人だったので料理がすごくおいしかったんですよ。その方は今、旧九重部屋で「ちゃんこ千代の富士」をオープンしています。

 千代の富士さんは、本当に褒めない方だったんですけど、ある日「今日のちゃんこうめぇな」ってマネージャーに言っていて、「それ賢澄が作ったんだよ」って俺が作ったことが分かると一変して「ぬるいよ」って(笑)。ただでは褒めてくれないんですよね。でもそれくらいおちゃめで、恥ずかしがりやな方でした。

――それはうれしいですね。

澤田 自分が作った料理をおいしいって言ってもらえるのはうれしいなと思って、最近までは地元の伊賀でちゃんこ居酒屋「ダイニングまくに」を経営していました。

――飲食店はコロナ禍で相当ダメージを受けたのではないでしょうか。

澤田 田舎だったこともあって、コロナ禍は外に誰もいなくなってしまっていました。借りられるものは借りて、テイクアウトに切り替えて、ギリギリなんとかやっていた状態で「サンクチュアリ」のオーディションのお話をいただいたんです。


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