【ネタバレ注意】新年早々『天気の子』と「メリバ」のことを考えたら自分の価値観がグチャグチャになった話
INDEX
※この記事は作品のラストに関わる重要なネタバレを含みます。
2021年、明けてすぐの1月3日に新海誠監督作品『天気の子』がはじめて地上波放送されていた。筆者の感覚からすると、いわゆる「メリバ」な作品だった。
※メリバ……「メリーバッドエンド」の略。視点を変えるとハッピーエンド(ハピエン)にもバッドエンド(バドエン)にも、受け手の解釈によって捉えることができるような物語のこと。第三者から見ると不幸だけど当事者たちは幸せといった物語なので、だいたい後味が悪い。
物語に時間を使ったりお金を払うのだから、できればその時間を得した気持ちで終わりたいと思うのは自然の摂理ではないか。そうすると人は自然とハッピーエンドを求める傾向にある、と筆者は思っていた。
筆者自身『天気の子』のラストを見るまでは、ハッピーエンド以外の物語は苦手だと思っていた。ところが、10年ぐらい前に『秒速5センチメートル』を見てラストの展開に深く心を抉られていたはずの筆者は、『天気の子』を見て「おれたちの新海誠監督が帰ってきた!」と喜んでいた。知らないうちにメリバの耐性がついていたのか。こんなはずでは……!
『天気の子』はメリバ?
2019年に放映された『天気の子』は興行収入140億円、観客動員数は1000万人以上を記録した大ヒット作だ。東京の街の決してきれいとは言えない部分も緻密に美しく描かれていて、最初は「コロナ以前の東京」の資料映像のような気持ちで見ていた。劇中に出てくる看板だって実在のものばかりだったし、バニラトラックが走る「東京」は身近なはず……だったのに今の自分から遠くなってしまった「東京」。この状況下で見たというのがまたよかったと思う。ひたすら今の自分に染みた。
【簡単なあらすじ】
天候の調和が狂っていく時代。雨が降り続く東京を舞台に、離島から家出してきた少年・帆高と弟とふたりで暮らす少女・陽菜が出会って物語が動き出す。
陽菜には祈ることで局地的に天気を晴れにすることができる不思議な力があった。なんやかんやあって「晴れ女」のビジネスをふたりではじめ、評判を呼ぶ。だけど陽菜のように古来より祈って天気を晴れにしてきた巫女は、最後は人柱になって異常気象を鎮めてきた。
そんな時、陽菜は姿を消してしまう。陽菜を助ければ東京はこのまま雨が降り続けて最悪なことになってしまうかもしれない……それでも、主人公は「東京が大変なことになるかもしれないけど陽菜を助ける」という選択をする。
帆高が陽菜を助けるシーンは美しかった(そこに至るまでにめちゃくちゃ犯罪おかしてるけど)。それだけに、その後の「陽菜を助けることができた。でも雨は降りやまず、東京は、日本は大変なことになってしまった」という展開を辛く感じる人も多いのではないかと思う。
もともと新海誠監督も賛否両論あることを覚悟して作ったと話されていたし、メリバは見る人を選ぶものだとばかり思っていたので、メリバっぽさを含むこの作品が広く受け入れられたことに驚いたりもした。みんな、実はメリバが好きだったんだ……?
『天気の子』のハピエン・バドエン・メリバ展開を考えてみた
『天気の子』で雨が降り続いて街は最悪だけど、人はその中でも生活を続けているし、帆高と陽菜はまた出会うことができる。ふたり的にはハッピーエンド……だけどこの選択をしたことを「街を犠牲にして、本当にこれで良かったんだろうか?」とは心のどこかでずっと思い続けるんだろう。劇中でも雨が降り続くまま3年もの時間が経っている。うーんめっちゃトロッコ問題。
※トロッコ問題……「多くの人を助けるためにひとりを犠牲しても良いのか」という倫理学上の課題。
この100%ハッピーエンドとは言えないラストも、要素が少し違っていたらハッピーエンドにも、逆にバッドエンドにも簡単に転がれそうだと思い、『天気の子』におけるハピエン・バドエン・メリバ展開を考えてみた。
◇
ハピエン:
ふたりはまた出会えるし、奇跡が起こって雨は止んで東京は救われる
メリバ:
ふたりはまた出会えるけど、雨は降り続け東京は大変なことになる
バドエン:
ふたりはもう出会えない。雨は降り続け東京は大変なことになる
◇
ッカーーー! 自分で書いてて『天気の子』がこの解釈のバドエン展開じゃなくて良かったと心から思った(昔の新海誠監督ならやりそう感ある)。
メリバの解釈は人によるので難しいところだが、いわゆるメリバに分類されがちの物語は、本人たちは幸せだとわかっていても後味は悪いので心がざわざわする。そしてこの心に引っかかる感じ、なんなら数日そのことを考えて引きずってしまう感じ、メリバ嫌いじゃない……。
今までメリバは割と避けてきた要素だったけど、どうやらメリバの扉を『天気の子』でこじ開けられてしまったようだ。そして、もうひとつ触れなきゃいけないのが、上記以外の4つ目のパターン。
◇
第4パターン:
ふたりはもう出会えない(or 陽菜が犠牲になる)けど、雨は止んで東京は救われる
こちらの本人たちは不幸、でも世間的にはハッピーエンドという第4パターンも「メリバ」にあたるようだ。メリバの世界は奥深いなー……!
実は幼少期から身近なバドエン・メリバ
だけど、考えてみると私たちは幼少期に触れるたくさんの童話でハッピーエンド、バッドエンド、そしてメリーバッドエンドにも触れている。
『シンデレラ』はわかりやすくハッピーエンドだけど、『人魚姫』は泡になって消え、王子様からの愛は得られない。誰もが幼少期に触れるバッドエンドだ……(『リトル・マーメイド』など、ハピエン展開にアレンジされている解釈もたくさんある)。
不幸な人びとに自分の宝石を与えて自分はみすぼらしい姿になる王子と、手助けしてくれたツバメも死んでしまう『幸福な王子』はメリバだろうか。『浦島太郎』に至ってはなんだこれ。いじめられていたカメを助けた結果不幸になる。自分ひとりお爺さんになっても世界は変わらず動き続ける。胸糞悪ッッ……幼少期になんてもんに触れているんだ私たちは。
でも、ハピエンの定番・『シンデレラ』も、もし継母やその連れ子の視点だったら、「突然できた邪魔な妹(娘)が、自分の好きな(自分の娘と結婚させたかった)王子様に見出された」話となり、ハッピーエンドとは言えないだろう(なんかレディコミっぽい)。悪い鬼を懲らしめて宝もゲットする桃太郎の話も、鬼視点だったら人間は本土で暮らすなか鬼たちは「鬼ヶ島」という離島にまとまって住んでいるわけで、人間においやられながらも必死に生きてきた鬼が、住処までやってきた人間によってコテンパンにされ、しかも宝も奪われてしまうというバッドエンドの話かもしれない……。
当たり前なんだけど、ハッピーエンドな童話でも不幸な目に合っている人は絶対いて、視点を少しずらすだけで全然違う解釈ができる。
そう思うと、絶対だと思っている自分の常識や価値観は、自分の経験で培ってきたすごく狭い世界の中だけで通用するもので、実はすごく脆いものなんじゃないだろうか……。
『ミノタウロスの皿』で自分が完全にわからなくなった
自分の常識や価値観って実はすごく脆いのでは――。ということを、同じくらいに「丑年だから」という理由で藤子・F・不二雄先生の『ミノタウロスの皿』という作品が期間限定で公開されていたのを読んだときにも思った。
ミノタウロスの皿: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 1 (1) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
『ミノタウロスの皿』も一見ボーイミーツガールの話なんだけど、主人公視点かヒロインの視点に立つかで、ハピエンにもバドエンにもメリバにも解釈できる構成をしている。「彼等には相手の立場で物を考える能力がまったく欠けている」と言う主人公自身にでっかいブーメランがぶっ刺さっているように思え、軽く恐怖を感じた。
こちらも人によって解釈が分かれて非常に面白いので、機会があったらぜひ読んでほしい。短編でサクッと読めるので、「バドエンやメリバは苦手」という人もチャレンジしてみてはいかがだろうか。
メリバでしか得られない栄養素がある
苦手だったはずのメリバだが、見終わった後も物語を考えて引きずってしまう、よく言えば「物語に強く浸り続けることができる」独特の感覚は、メリバでしか味わえないものだと思う。メリバでしか、得られない栄養素がこの世にはあるのだ……。
『天気の子』も『ミノタウロスの皿』もメリバ入門編として良いのではないだろうか。新年早々、『天気の子』で揺らいだ「自分の常識や価値観」が、『ミノタウロスの皿』で完全にグチャグチャになってしまった。そしてもう少し、「メリバ」とされている他の作品にも触れてみたくなった……。
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