ねとらぼ

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都道府県別「人口日本一」の移り変わり。かつて、広島や新潟、石川が「人口日本一」だった時代があった
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現在は東京が1372万人、ぶっちぎり
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逆に人口ワーストは山陰と四国、北陸の県。
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146年前の人口は、現在の4分の1強だった。
写真は1872年に開業した横浜駅の様子(Wikimediaより)
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広島は1894年に臨時帝国議会が開催され、臨時首都の様相を呈したことも(広島市HPより)
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当時の名古屋城は、一時的に金鯱がなかった。その金鯱はウイーン万博に出展され、帰国後、日本全国で公開された
都道府県人口1位の変遷
1873年時点での人口ベスト10。地図は現在のものを使用。
(ビジュアル版 日本 歴史地図,カルチャーランド著,メイツ出版より)
都道府県人口1位の変遷
新潟県最大の繁華街だった、古町通(1873年)(新潟ふるまちより)
都道府県人口1位の変遷
明治期の金沢駅の様子(Wikimediaより)
都道府県人口1位の変遷
日本海側が日本の物流のメインルートだった(北前船寄港地フォーラムより)
都道府県人口1位の変遷
1878年当時の人口ランキング。週刊ダイヤモンド97.8.16,23合併号より。ソースは「日本人口史」(関山直太郎、四海書房)
都道府県人口1位の変遷
東京・大阪の銭湯の8割が日本海側3県出身者によってはじまったとされる
都道府県人口1位の変遷
1874年、札幌琴似村に建築された最初の屯田兵舎。当時北海道は「開拓使」と呼ばれた(明治大正期の北海道(北海道大学附属図書館)より)
都道府県人口1位の変遷
当時、奈良は大阪府だった(ATAC内の田村順造氏の記事より)
都道府県人口1位の変遷
現・ユニチカの摂津紡績会社の様子(双日歴史館より)
都道府県人口1位の変遷
日本一の「大大阪」時代があった(日本全国 地図の謎,浅井建爾,東京書籍)
1890年でやっと30万人台を脱出するなど、当時から人口の少ない県だった鳥取(道府県現住人口. 明治17-40年 内閣統計局より)
1880年の県別人口。島根が東京を上回っていた(日本全国 地図の謎,浅井建爾,東京書籍)
時の日本で最も高い建物、凌雲閣。1890年に竣工した(Wikimediaより)
ほぼ空襲を免れた、札幌市街「昭和20年の記録(札幌市教育委員会)」より
1886年には年始と年末の二度調査があったので、大阪は4期分トップ。
2050年のランキング。首位・東京が突出。大阪が4位に落ちるといわれる(国立社会保障・人口問題研究所「日本の都道府県別将来推計人口」(平成19年5月推計)より)
鳥取をはじめ、4県が40万人に突入する過疎社会になるとされる(国立社会保障・人口問題研究所「日本の都道府県別将来推計人口」(平成19年5月推計)より)
2005年からだとここまで減る。秋田の人口は半分以下に。国立社会保障・人口問題研究所「日本の都道府県別将来推計人口」(平成19年5月推計)より環境省が作成
経済発展するアジア諸国との重要な拠点となる、日本海側の港

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