紙では届かなかった人たちにも届けられた――事件ルポ『つけびの村』がSNSでバズるまで

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 2013年の夏、わずか12人が暮らす山口県の集落で、一夜にして5人の村人が殺害された。 犯人の家に貼られた川柳は〈戦慄の犯行予告〉として世間を騒がせたが……それらはすべて〈うわさ話〉に過ぎなかった。Amazon.co.jpより)

 閉ざされた村で起こった異様な事件の真相を、丹念な取材で解明していくノンフィクション書籍『つけびの村』。賞に投稿したものの落選し、個人が有料コンテンツを公開できるサービス「note」で公開したところ火が付いて書籍化に至ったという経緯も話題となりました。

 著者の高橋ユキさんに、ノンフィクションライターになったきっかけから、普段の取材で意識していること、事件を追い続けるモチベーションについて聞きました。(聞き手・文:ひらりさ)

高橋ユキ(たかはし・ゆき):1974年生まれ、福岡県出身。2005年、女性の裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成。翌年、同名のブログをまとめた書籍を発表。以降、傍聴ライターとして活動。裁判傍聴を中心に事件記事を執筆している。著書に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社)など。

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もともとプログラマーでした

――『つけびの村』発売おめでとうございます。発売1カ月が経ちましたが、反響はいかがですか。

 note版をたくさん読んでいただいたときと同じように、SNSで「購入したよ」とか「読みました」とか感想を書いてくださる方が多く、本当にありがたいです。

――私が高橋さんの名前を知ったのは、2018年8月でした。東大生わいせつ事件を題材にした姫野カオルコさんの小説『彼女は頭が悪いから』のレビュー記事を読んだら、それが高橋さんの書いたものだったんですよね。ずっと、出版・マスコミ業界で活動されてきたんでしょうか。

 いや。私は趣味で裁判傍聴を始めたら、結果的に仕事になったというパターンで。もともとは、ゲーム会社でプログラマーをやっていたんです。

――意外なような、しっくりくるような。

 2000年代前半にうつ病になって休職しまして。これからの人生どうなるのかな……と悩んでいました。復職しても以前のように働くのはなかなか難しいでしょうし、それだったら好きなことをやりたい! と、まず仕事に関係ない本をたくさん読むことにしたんです。それでノンフィクション本に手を出したら夢中になったんですね。

 読んだ本の中で、いくつかの事件でまだ公判をやっている事件があって、せっかく東京に住んでいるので霞ヶ関の裁判所というところに行ってみようと思ったのが、はじまりです。

――当時傍聴した事件で印象に残ってるものはありますか?

 宗教にハマった女性が、お父さんと遺産を巡って揉めた末、宗教仲間と共謀してお父さんを殺したという事件ですね(参考)。登場人物が多くて人間関係が複雑だったのですが、次に関係者が何を話すのかとても気になり、「次の公判も見なければ!」と続けて通いました。一つの事件を通して追う醍醐味は、そのときに知りました。

――2000年代なかばって、北尾トロさんの『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』が刊行されたあたりですよね?

 そうそう。現場で、北尾トロさんとか阿曽山大噴火さんとかを見かけたり。そんななかふと手にした「裏モノJAPAN」で、トロさんが霞ヶ関の傍聴集団にインタビューしていた記事を読み「これを女でやったらどうだろう?」と思い、2005年に、mixiで知り合った友達3人に声をかけて傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成しました。アイドル風のふざけた名前で。

――傍聴録をまとめた書籍『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』も読みました。2000年代のmixiの空気がありながらも、がっつり傍聴の様子が書かれていて、面白かったです。

 まだ招待制だったから本当に知り合い前提で書いていた文章で、自分で読み返すと、超恥ずかしい~という気持ちになります……。でも、この本のおかげで、雑誌などでも傍聴記事を書けるようになり、現在のキャリアの足がかりになりました。

――実は女性だというのも、「霞っ子クラブ」のことを知るまで分かってなかったんです。

 女だと知るとなめてくる人って多いんですよね。だから霞っ子時代からネカマって思われるくらいでいいかなと思っていました。最近までSNSのアイコンをおじさんのイラストにしていたのも、すぐに女と見破られないようにするためでした。『つけびの村』のAmazonレビューで「女性ライターさんなのによく頑張りました。及第点」というような投稿があって、ムカつきましたけど(笑)。

――あぜんとしすぎて罵詈雑言を言いそうですが、ぐっとこらえます。そもそものキャリアもインターネットから始まった、というのは、事件取材のライターとしてはかなり珍しいですよね。Twitterも、2010年8月から利用していると知って驚きました。

 今のアカウントは2代目で、既に削除している初代は、かなり牧歌的な時代にやっていました。プログラマーという出自なので、新しいサービスにはなんでも手を出してみるタチなんです。

――Twitterを始めた時点ではもう執筆仕事メインになっていたんですか?

 2011年までは兼業ライターでした。一番やりたいのは傍聴なので、その時間がとれるように、バイトをしたり、開発の案件を請けたりしていました。

 ただ、東日本大震災があったじゃないですか。その後が余震があって。「死んじゃうかもしれないな」「自分の本当にやりたいことってなんだろう」と考えた結果、ライター仕事にシフトしていきました。

――全く違う業界で働くうえで、苦労はありましたか。

 自分には、ライターの仕事のほうが性に合っていました。ゲームって1つの仕事の結果が出るまで、数年かかりきりになるんですよ。1年単位でのびることもあったり。雑誌は成果がすぐ出るし、反応も見えるから、すごくやりがいを感じられました。しばらくして週刊誌所属の記者になり、そこからは傍聴にとどまらず、企画ものの取材をやったり、事件現場にも足をのばすようになりました。

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「note 売れる」で検索していたはずが……

――そうしたキャリアがやがて、「つけびの村」のnoteでの大ヒットにつながるわけですね。あらためて、「つけびの村」投稿の経緯を教えてください。

 「つけびの村」は、もともとノンフィクションの賞に応募するために書きあげていたんですが、落選してしまったものです。書籍化を目指したいと自分では思っていたけれど、知人編集者に送っても返事がない。週刊誌記者をやめて独立したライターとして活動している手前、かかった時間やお金を回収したいと考え、noteで売り出してみることにしました。

 投稿した2018年7月の時点でもちょっとは売れたのですが、そこまでの手応えはなく。最初はワクワクしながらダッシュボードを見ていたけれど、だんだん悲しくなって見なくなり(笑)、「note 売れる」とかで検索しては、「俺をまねしたらラクラクnoteで生活できるぜ!」的な記事を読んで、ため息をついていました。

――それが一変したのが2019年3月。「全6回、7万字くらい課金して全部読んでしまった」というツイートがものすごい勢いで拡散し、大ヒット。僭越ながら明かすと、実はこのツイートを最初にリツイートしたのが私だったのですが、まさかここまで広がるとは思いませんでした。

 夜、「何か通知が多いな?」と思ったけど寝ちゃって、朝起きてチェックしたらnoteからびっくりするくらい購入通知がきていて、止まらなくなりました。感想ツイートもたくさん流れてくるから一つ一つ「ありがとうございます」とメンションしていたのですが、だんだん追いつかなくなって。「何回購入いただきました」という報告ツイートも、途中で怖くなってやめました。

――書籍化の話は、すぐに来ましたか?

 すぐでしたね。今回書籍を刊行することになった晶文社の江坂祐輔さんが最初にご連絡くださったのですが、他社さんもほとんど同じタイミングでした。だけど今回のような、一般的な事件ノンフィクションとはちがう形の作品をつくるにあたっては、時間との戦いの側面もあります。初めてお仕事をする編集さんとゼロからリズムを整えてゆく時間的余裕がなかったことと、note版からきちんと内容をブラッシュアップしたかったので、友人であり作家でもある藤野眞功さんに、外部編集者として入ってもらいたいなと思っていたんです。江坂さんがその希望に柔軟に応じてくれて、今回3人のチームで作業を進めることができました。

――チームで本を作るのは、ノンフィクション界隈では定番なんですか?

 ちょっとめずらしいと思います。でもすごく良かったので、これからも取り入れたいくらい。書籍をつくるときって、作業の折々で、自分の考えていること・この本で大事にしたいことをきちんと伝えていかないといけないんですよね。

――分かります。それこそページ数とか、いくらで売るだとか、装丁や、推薦文を誰にお願いするかまで、「作者が大事にしたいこと」を細かくすりあわせないと、微妙に違う方向に行ってしまう。

 これが取材・執筆とは違った負担を生むもので、藤野さんが入ってくださったおかげで、その点でもとても助かりました。

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必要なのは「自分のうわさ話をされる覚悟」

――書籍にする上で特に意識したことはありましたか?

 note版ではどうしても、「謎」にフォーカスした書き方をしていたので、みんなに「こわい村」というイメージを植え付けてしまったのが心のこりで。どんな集落にもいい面と悪い面がある。書籍版では、note版取材当時では聞けなかった話を聞くだけでなく、事件の舞台となった郷集落の成り立ちや、時代ごとの変化などについても、丁寧に記述するよう心掛けました。

――取材は結局何回行ったんですか?

 取材メモを見れば正確な回数も分かりますが、郷集落へは、20回ぐらいです。夫の休みのタイミングで行くので、まとまった日数はとれません。一度の現地取材で、長くても4、5日の滞在がやっとでした。

――序盤は自腹だったんですか?

 いや、最初の取材が月刊誌から依頼された企画だった経緯もあり、ある程度の取材費が出ていました。取材費が出ないとプレッシャーにならないんです。「空振りでもいいか」と帰ってきちゃうところがある。「なんとかものにしないといけない」という気持ちがあったから、ここまでやれたと思います。

――掲載のアテがないのに、山口県の集落に通い続けるというのは、すごい覚悟だと思ったんです。クルマじゃないと行けないし。

 初回取材を終えた時点で「あの人にあれを聞いたら記事になるかな」という勘がいくつか働いていたので、自分では手応えがあるつもりだったんですよ。

――取材時の7つ道具のようなものはありますか?

 とにかくたくさん歩くので、歩きやすい靴ですね(笑)。あと金峰地区近辺はコンビニがないので、水筒とアメ玉、汗をふくタオルも欠かさず持っていってました。途中から虫除けも……。取材内容に関しては、現場ではICレコーダーを回しながら紙にメモをとり、あとでEvernoteに保存するスタイルです。写真は、携帯のカメラで済ませてしまうことが多いですね。

<取材道具一式>
・ふせん
・充電用ケーブル(パソコンを持ち歩いているのでそこからいつでもケータイ充電できるように)
・紙めくり指サック(ゲラチェック用)
・データカード
・ノイズキャンセリングイヤホン(袋の中。IC文字起こし用)
・ペン(こだわりがあります。ゲラ書き入れ赤ペンは定番のフリクション。細さは極細で。黒ペンは傍聴+取材用。ユニボールシグノ0.28mm愛用)
・ICレコーダー
・電話取材用のケーブル(テレホンピックアップ )

<傍聴メモ>
現場取材と公判取材で持ち物が変わる。
ノートが現場取材用で、A5ルーズリーフが傍聴メモ。
いずれもコクヨです。
傍聴メモはたまってくると、もっと大きなバインダーにとじます。

――取材時の心構えとして気を付けていたことを教えてください。

 どこに取材に行く時も同じなんですけれど、「自分のうわさ話をされること」への覚悟は必要ですね。あとは、他人のうわさに加担しないこと。誰かが誰かの話をしているときに「あの人に取材したときはこう言ってましたよ」なんて口を挟むのは厳禁です。でもこれって、普通の人間づきあいでも変わらないことではあるかな。

――「うわさ」をめぐる事件が、SNSというツールで拡散していったのも、「つけびの村」の特徴の一つでした。

 この事件に関しては、当時ネットで「加害者が村八分にあっていて復讐したんだ」という情報が出回っていたんですよね。そういう無責任なうわさに対して「違うよ」ということが言えたのはよかったなと思います。

 また、「ノンフィクションとかルポってこういうものなんだ」と面白がってくれている人の感想がうれしかったですね。紙では届かなかっただろう人たちに届けられた。

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普通ならやらないことの「なぜ」を追って

――紙とWebの仕事、今はどれくらいの割合で受けているんですか。

 紙ももちろんやってますけど、Webメディアからの依頼が増えてますね。ただ取材費はなかなか出ない。「紙のほうで書いていたあの事件、うちでも書きませんか?」という依頼が多いですね。書き手としては手数が少なくていいけれど、紙媒体の取材費でとれた話にフリーライドしてない? というモヤモヤはあります。これはWebの課題ですね。紙がなくなっちゃったら、どうするつもりなんだろう?

――取材費を出せる紙媒体も減ってますよね。

 企画が通らないことは増えましたね。難しい時代だなあと思います。

――通る企画が減っているぶん、「定型」も大事にされている?

 そう思います。事件ノンフィクションをやるんだったら、せめてこの辺りの人まで話を聞いてほしいとか、紙媒体なりの条件がある。それによって、アウトプットが似通ってしまうのも否めないです。

――そんな厳しい業界状況の中でも、事件を追い続けるモチベーションはなんでしょうか。

 純粋に「もっと知りたい」という一心ですね。人の取材した本や記事を読んでも「この人こんなこと言ってるけど、私が聞いたら違うこと言うんじゃないか」とか思っちゃうんです。普通に生きてきたらやらないようなことをやった人に対しての「なぜ」を掘り下げたい。

 連続殺人事件や女性が被害者の事件に昔から関心があるんですけれど、自分が子どもを産んでからは、子どもが被害者の事件のことが一層気になりますね。正義というわけでは全然ない。いろいろなことに興味関心が尽きないんです。

――暗い事件を追っていて、気が滅入ることはありませんか?

 「なぜ」を知りたい気持ちが強いので、そうでもないかな。ほかに趣味といった趣味もないし。執筆や仕事がなくても何かしらの事件の公判を聞きに行ってます。強いていえば、宝塚歌劇団は好きで柚希礼音さんをひいきにしていたのですが、退団してしまったんですよね(涙)。

――事件記者やノンフィクションライターと聞くと、どうしても「執念でどこまでも犯人を追い詰めるハードボイルドな男性」のイメージがあったのですが、高橋さんの文章や人となりを知って、すっかり覆されました。

 骨太な男性ノンフィクションライターの本にも影響されて今の仕事をやっているんですけれど、実際現場には私以外にも女性記者がたくさんいます。男性だけの仕事ではないし、かっこいいことばかりではないんですよね。書籍化にあたっては外部編集の藤野さんから「ノンフィクションライターという側面だけでなく、夫がいたり、母親でもある高橋さんの日常をそれなりの分量で入れたほうがいい」と説得されました。

――「治一郎」のバウムクーヘンとラスクのセットを抱えて山口に向かうところとか、すっごく良かったです。

 職業の内実をつまびらかにするのも大事だっていうのは、意外な発見でした。

――事件自体はとても重いものですが、気負わずに読める本と文体でした。

 読み慣れてない方にも楽しんでほしかったので、事件記事にありがちな「魑魅魍魎」のような四字熟語はできるだけ排除しました。事件取材はいろいろな人がやっていて、いろいろな文体があっていいというのを、今後も提示していけたらいいなと思っています。

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